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夢と現5


 どうやら私が気づいていなかっただけで、このお姉さんはちゃんと自分の荷物を持っていたようだ。

 まあ、考えてみれば当たり前の話よね。物盗りに荷物を奪われたとかなら話は別だけど、手ぶらで旅をするはずなんてないもの。

 ラウラスが部屋の隅から丈夫そうな外套と革の肩掛けカバンを取って渡してくれた。


「ごめんね、分かりにくかったかな」


「いいえ、私も頭がまだぼんやりしていて」


 曖昧に笑いながらカバンを受け取る。

 それにしてもこのお姉さん、ほんとうにこんな荷物ひとつで、一人で旅をしていたのかしら。徒歩で? ちょっと常識では考えられない。

 そもそも女性が一人で旅をするということ自体が異様だわ。しかも、クレハールまでだなんて。

 旅をするのはだいたい商人か巡礼者くらいなものだけど……。

 カバンの中身を確認してみると、金貨と銀貨が数枚、小さなナイフと火打ち石、革の水筒、チーズとハシバミの実がいくつか入っていた。

 金貨や銀貨が入っているところをみると、それなりに裕福な人のようだけど、持ち物が完全に旅人よね。若い女性ひとりなのに、野宿も辞さないような。

 それとも、ほんとうは一人じゃなくて誰かと一緒だったけど、はぐれてしまったとかなのかしら。

 カバンの中に入っていた書類をちらりと広げてみる。


(どこかの商人の紹介状っぽいわね)


《ユリシア・トラント》


 紹介状にはそう書かれていた。

 これがこのお姉さんの名前かもしれない。

 お姉さん、何の因果か分からないけど、ちょっとだけミルテとして体を使わせてね。


「ミルテ、なにか食べるなら主人に声をかけてくるけど、どうする?」


 採ってきた薬草を選り分けながらラウラスが言う。

 そういえばこの体で目が覚めてから、何も食べていないな。


「……いただこうかしら」


 私がそう答えると、しばらくしてラウラスがお粥と葡萄酒を持ってきてくれた。

 まさかラウラスといっしょに食事できる日が来るなんて思わなかった。

 質素な食事で、それらが並べられているのも粗末な小さいテーブルではあったけど、小さなテーブルだからこそラウラスとの距離が近くてドキドキする。

 ラウラスのことばかり気になってしまって、私がスプーンでお粥の豆をつついていたら、ラウラスが気づいて小首を傾げた。


「レンズ豆、嫌いなの?」


「い……いいえ。これ、レンズ豆っていうのね」


「食べたことない?」


 不思議そうな顔をするラウラスを見て、ハッとした。

 レンズ豆のお粥って私は食べたことないけど、きっと庶民には一般的な食べ物なのよね。私はいま庶民のミルテなんだから、侯爵令嬢としての感覚は出さないように気をつけなくちゃ。

 にこっと笑って、レンズ豆のお粥というものを口に入れる。


 うん。べつにまずくはない。

 もともと上等な舌をしていないから助かった。それに、私はイデルの強烈な味覚に付き合わされることがあるから、それを思えばこのお粥は十分に美味しい部類に入る。

 ぺろっとお粥をたいらげ、最後に葡萄酒を口にして……思わず吐き出しそうになった。


「どうしたの? 大丈夫?」


「ん……っ、うう……」


 思わず両手で口もとを押さえる。口の中に入ったままの葡萄酒をどうしたらいいか分からなくて、キョロキョロしてしまう。

 とにかく酸っぱくてたまらなくて、言葉も出ない。なにこれ。なんでこんなに酸っぱくて渋いの。

 でも、まさかラウラスの前で葡萄酒を吐き出すなんてことはできないし、必死に飲み込むしかなかった。

 きっと私、すごい顔をしていたに違いない。


「あの……」


「葡萄酒、口に合わなかった? 蜂蜜をもらってきてあげようか?」


「え、ええ。お願いできるかしら」


 いくらイデルの異常な味覚に耐性があるとはいっても、単純に酸っぱいものは酸っぱい。

 水で口をゆすぎたい気持ちになったけど、そもそも綺麗な水というのは貴重なもので、この国では日常的に口にするものではない。

 私が舞踏会でよく飲んでいたレモネードは、裕福な貴族で、なおかつ特別な場だからこそ用意するものであって、貴族も庶民も普段は水ではなく葡萄酒や林檎酒などの果実酒に、エールやビールを飲んでいる。だけど、それがこんなにも味が違うなんて思わなかった。

 ラウラスは平気そうに飲んでいたのにな。

 ラウラスが持ってきてくれた蜂蜜を入れて、改めて葡萄酒を飲み干す。


「ミルテ、ほんとうに歩いて行く気なの? 都まででもけっこうな距離があるよ。途中で倒れてしまったくらいだし、やっぱり僕はあまり賛成できないな」


 食器を片付けながらラウラスが言う。

 すぐ隣に立っているラウラスに、やっぱりドキドキしてしまう。庭師なのに、すごくなめらかで綺麗な手をしているのよね。


「ミルテ? 聞いてる?」


「えっ、えーと。ええ、聞いているわ」


 慌てて顔を上げる。そしたら、さらに近くにラウラスの顔があって、思わずのけぞってしまった。勢いあまって、椅子から転げ落ちそうになる。


「…………ほら、こんなだし。ほんとうにやめておいたほうがいいと思うよ。大丈夫?」


「えっと、えっと、あの……! 大丈夫。ごめんなさいっ」


 抱きかかえるようにして支えてくれているラウラスから慌てて離れる。この距離、心臓にわるいわ……。

 アモル伯爵夫人のところに薬草をもらいに行ったときもラウラスは近くにいたけど、あのときの私はシュリアで、彼にとってはお嬢さまでしかなかったから、どこか壁があって。当然ではあるけど、ろくに名前すら呼んでもらえなかった。

 でも、今の私はラウラスにとってお嬢さまではないから、前のときよりもずっと距離が近い。


「足手まといにならないように頑張るわ。だから、私もいっしょに行かせて」


「うーん……。絶対に無理はしないと約束してくれる? 無理そうなら、きちんとラバなり馬車なり使って行くんだよ」


「ええ。そうするわ」


「それにしても、どうしてそんなに見ず知らずの僕と行こうとするの? ミルテはもうちょっと警戒心を持ったほうがいいと思うよ」


「自分でそんなふうに言うあなたなら大丈夫でしょ? 一人で行くよりあなたといっしょのほうがいいと思ったのよ」


「ミルテって世間知らずでしょ」


 うっ。

 それを言われたら否定はできない。いちおうこれでも私は侯爵令嬢で、いくら規格外のお兄さまがいるとはいえ、箱入り娘であることに変わりはないんだもの。

 とりあえず曖昧に笑って誤魔化す。


「私が足手まといだと思ったら言って。できるかぎりあなたの邪魔にならないように努力はするから」


「僕が心配してるのはそういうことじゃなくて、ミルテの体調の問題だよ。ほんとうにちゃんと言ってよ?」


「ええ。約束するわ」


 侯爵令嬢のシュリアとして元の体に戻れたとしても、どうせ待ち受けているのはろくな未来ではないんだもの。

 それなら今、何がなんでもラウラスの役に立てるように頑張りたいし、少しでもそばにいたい。

 ラウラスが手にしている食器を引き受けて、私が階下まで運ぶ。

 今はお嬢さまじゃないもの。出来ることはなんでもやらなくちゃ。


 今度はちゃんと外套を着てカバンを持って、ラウラスと並んで宿をあとにした。

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