夢と現2
会いたくてたまらなかった人が目の前にいる。
目の前で、まっすぐに私を見てくれている。
この瞬間を切り取って額縁に入れておきたいくらいだ。もちろん、時間なんて切り取れるものではないけれど。
それに、気安い口調で話しかけてくるラウラスはとても新鮮だったし、そんなふうに話しかけてもらうことに憧れてもいたから、なおさら胸がいっぱいだった。
「名前、答えたくないなら、無理にとは言わないよ」
私がなかなか口を開かないせいか、ラウラスは気遣うように微笑み、私をベッドに腰かけさせた。
「わたし……」
見上げるようにしてラウラスを見つめ、言葉に詰まる。
私はいったい何と答えればいいのだろう。
シュリアだと名乗ったところで信じてはもらえないだろうし、たとえ信じてもらえたとしても、そのときには彼は私にこんなふうに気安い口調で話しかけることはしなくなるに違いない。名前だって呼んではくれないだろう。
ただの〝お嬢さま〟におさまって、さっきみたいに手を差し出してくれることもない。絶対に。
そう考えると、シュリアと名乗ることは何ひとつ良いことがないように思えた。
だからといって、この女性が何者なのかは知らないし、名前なんて知るよしもない。
だけど、そもそもラウラスもこの女性とは面識がないようだから、違う名前を言ったところで、たいして不都合はないように思えた。
「ミルテ」
私はとっさにそう答えていた。
「え?」と、ラウラスがちいさく眉根を寄せる。
だから、私はもう一度ゆっくりと言葉を紡いだ。
「私の名前はミルテよ」
「ミルテ? きみの親御さんは西国の出身か何かなのかな。とても素敵な名前だね」
そう言って笑ったラウラスの顔が本当に優しくて……。
胸が詰まって、また涙がこぼれそうになる。
いつから私はこんなにも涙もろくなってしまったんだろう。
「じゃあ、ミルテ。体の具合いはどう? 何か食べられそうかな」
「なんだか頭がぼんやりしているけど、体調が悪い感じはしないわ。お腹はあまり空いていないけど、食べられないことはないと思う。それより、私も質問していいかしら?」
「どうぞ? 僕に答えられることであれば」
ラウラスは部屋に一つだけある椅子に腰をおろした。
「まず、ここはどこなの?」
「ここはナルーメアにある宿だよ。きみが僕に道を尋ねた場所からいちばん近いところにある町だから、もとの場所に戻ろうと思えばすぐ戻れるし、安心していいよ」
そういえばこの女性、ラウラスに道を尋ねて気を失ったとか言っていたっけ。いったいどこに行くところだったんだろう。ナルーメアといえば、ブリアールと都の、だいたい中間あたりにある町だったと思うけど。
「ごめんなさい。私、あなたに余計な手間と時間を取らせてしまったのよね」
「そんなこと気にしなくて構わないよ。僕はとくに先を急いでいるわけでもないから」
「あなたはどこに行くところだったの?」
これが夢でないなら、ラウラスの向かう先は都のはずだ。分かっていたけど、なんとなく尋ねずにはいられなかった。まだこれが夢だという思いが拭いきれなかったからかもしれない。
「僕は都に行くところ。君はクレハールに行くって言ってたよね。ずいぶん遠いけど、一人なのかい? 誰かとはぐれたとかじゃなくて?」
クレハール。
都よりさらに東にある土地だ。たしかにここからだと遠い。若い娘が一人で旅をするのは些か無謀に思える。ラウラスが訝るのも無理はなかった。
「ええ。誰かとはぐれたとかじゃなくて、最初から一人なの」
本当のことは知らないけど、とりあえず無難にそう答えておく。
「事情はよく知らないけど、きみみたいな子が一人でクレハールまで行くのは危ないと思うけど……。急ぎなのかい?」
「べつに急ぎではないけど……」
というか、私はブリアールに戻らなければ。
私がこんな姿でここにいるということは、私の体はどうなっているのか。
まさかエスカラーチェ子爵に刺されて、そのまま死んだことになってお墓の下とかじゃないわよね……。
いったん思考が現実的な問題に向くと、急に気持ちが焦りだした。
「あのっ。今日って何の月の何日なのかしら?」
「今日は緋の月の二十日だよ」
「二十日……」
私が刺されたのは緋の月の十七日だったから、あれから三日が経っているということだ。
「あの、あのっ! 最近なにか大きな事件とかなかったかしら!? 貴族の誰かが殺されたとか」
「事件? さあ……、そういう話は聞かないけど……」
いきなりどうかしたのかと、あからさまにラウラスは不審げな表情を浮かべた。