舞踏会6
「お久しぶりですね。お元気にされていましたか」
上等な衣装に身を包んでいる青年が爽やかに笑う。
やわらかそうな栗色の髪に、吸い込まれそうなほど澄んだ緑の瞳は、見る人にとても優しげな印象を与えるのに、彼全体の印象として優男の称号はまったく相応しくなかった。それは引き締まった頬のラインと、意志の強さを感じさせる口もとのせいだろう。
私もとりあえずお上品に微笑み返すものの、顔半分を隠している扇は保持したままだ。
ほんとにこの人誰よ。
久しぶりということは、どこかで会った? 社交の場で紹介された人とか、あまりよく覚えてないからなぁ。
困り果てて、壁際にいるはずのステラのおばさまを視線だけで探すと、私の窮地を察知したらしいおばさまが、すぐさま駆けつけてくれた。
さすが優秀なお目付け役だ。
「まあ、エスカラーチェ子爵。お久しぶりでございます」
何も言わなくても、さらりと私の欲している答えをくれるステラのおばさまは、やっぱり頼りになる。
だけど、エスカラーチェ子爵って? 聞き覚えがないな。
エスカラーチェっていうと、たしか国境の近くにある土地だったような気がするけど……。ちょうどソルラーブのあたりの。
えーと、だけど、あのあたり一帯はソルラーブ境守伯の土地だったような? 他の貴族はいなかったと思うんだけど……。うーん?
「子爵さまは、新しいお住まいのほうからわざわざこちらへ?」
かなり強引に情報を捻じ込んでくるおばさまは、早く気づけと私を急かしているようだった。
新しいお住まい。つまり、最近引っ越しをしたってことね。
爵位には土地がついてくる。というか、土地に爵位がついていると言うべきかしら。ブリアール侯爵領を有しているレールティ家の当主、すなわち私のお父さまがブリアール侯爵と呼ばれるように。
ステラのおばさまはつまり、目の前の貴公子は最近エスカラーチェ子爵になったと言いたいらしい。
「いえ、実際には私はまだ実家のほうに住んでいますので」と、貴公子は穏やかに微笑んだ。
うむ。爵位をもらっても実家住まいを続けているということは、家督の一部を受け継いでエスカラーチェ子爵になったと考えられるわね。私のお兄さまも同じように家督の一部を譲り受けてグラースタ伯爵と呼ばれているわけだし。
この人、けっこう若いもんな。どう見ても二十代前半だもの。何かの功績で褒美として爵位を与えられるにしては、今の世の中は平和だし。
エスカラーチェはソルラーブ境守伯の土地で、そこを受け継いだってことはつまり……。
メリディエル家の人間?
思い至ったとたん、背中に汗が流れた。
えっと、えっと。
土地を受け継いでも領地に行かずに実家住まいが許されているってことは、家の跡継ぎってことよね。
メリディエル家の跡継ぎって、それってもしかして、もしかしなくても、キアル・マルゴー・デュ・メリディエルじゃ……。
扇で顔を隠していてほんとに助かった。
扇の陰で、おばさまにキアルさまなのか尋ねると、そうだと頷かれた。
ほんとにほんとに顎が外れるかと思った。
キアルさまって、私の元婚約者じゃないのよ!
一気に私の笑顔が引きつる。
元婚約者といっても、私は顔もよく覚えていないくらいだし、親しくも何ともない。ただ、躍起になって縁談を破談させた身としてはなんとなく気まずいものがあるわけで。
できれば早くこの場を立ち去りたくて、誰か助けてくれそうな人はいないかと、さりげなく周囲に視線をやったけど、見つかったのは私たちを遠巻きに見ている人たちだけだった。
まあね。天下のメリディエル家の令息とレールティ家の令嬢が話しているところに割り込んで来るだけの度胸がある人なんてそうそういないわよね。
こっそり溜息をつき、改めて子爵さまを見やった。
以前に侍女たちが騒いでいたとおり、たしかに見目麗しい青年だ。家柄は言うまでもないし、本来なら私の結婚相手として申し分ないんだろうけど、双頭の蛇のおかげで神の意に沿わないとして一度婚約解消になっているから、もう私の旦那候補には入らない。相手にしても無駄。
ってことで、早くどこかに行ってくれないかしら。
こんな圧倒的な魅力を振り撒く人がいると、他の人が寄ってこられないじゃないのよ。
私は今日の舞踏会に勝負かけてるんだから、邪魔しないでいただきたいわ。
そもそもこの人、元婚約者によく爽やかな笑顔で声をかけられるわね。少しくらい気まずそうにしてもよさそうなものなのに。
いったいどういうつもりなのかしら。