舞踏会3
「シュリアさま、お着替えの時間でございます」
ノックの音と共に扉の向こうから声がかかる。
もうそんな時間かと、また溜息がこぼれる。
どうして貴族は一日に何度も着替えたがるのかしら。一人で気軽に着られるような衣装なわけじゃないし、大勢でよってたかって着せられるのは疲れるだけなのに。面倒臭くてたまらない。
だけど、おばあさまがいるかぎり、きちんと貴族としての習慣を守っていないと長い長いお説教を聞く羽目になるし、教育がなっていないと、私のまわりにいる人が罰を受けることになるので、口が裂けても嫌だとは言えない。
部屋に入ってきた侍女を見て、私は首をかしげた。
「イデルはどうしたの?」
着替えの声かけにはだいたいイデルが来るのに、今日は違う侍女だった。
「イデルは明日の準備のほうにまわっておりますわ」
「ああ……、そう」
思わず声のトーンが一段低くなる。
そういえば明日だったわね……と、ぼそりと呟く。
「いよいよでございますね」
声を弾ませる侍女の気持ちが私には心底理解できない。
なにがいよいよなもんですか。
「グラスレン公爵主催の舞踏会ですから、シュリアさまのお支度に万に一つも不備があってはならないと、イデルは目を血走らせていましたわ」
あー、はいはい。そうでしょうね。すごく想像できるわ。
「招待客の確認にも余念がありませんので、ご安心ください」
もはや侍女が何を言っているのか、私には理解不能だった。いったい何をどう安心しろと言っているのか?
また耳元で相手の財産やら年収やらを囁かれるのかと思うだけでげんなりする。
自分で言うのも何だけど、私の容姿は平凡でも、家柄と財産は破格なものなので、求婚相手はいくらでもいた。舞踏会に行けば、ナントカ伯爵やらナントカ男爵やらが群をなして私のまわりに集まるし、ダンスの相手が途切れることなんてない。
年若い未婚の令嬢が舞踏会に行く場合は、必ずお目付け役が同行していて、踊る相手が途切れないように手をまわすものなのだけど、私の場合はその必要はなかった。
その代わりと言っては何だけど、お目付け役のもうひとつの仕事、令嬢がつまらない男に引っ掛からないように目を光らせ、踊る相手を指定するという役目のほうは忙しいようだった。
私のお目付け役は叔母のステラ伯爵夫人が務めているのだけど、さすがおばあさまの娘なだけあって、かなり厳格な人だから、見張られる私も楽じゃない。
おばさまは、相手を紹介する前には必ず小声で相手の地位、財産、年収、スキャンダルの有無を囁いてくる。
おかげで、相手の名前よりも財産やスキャンダルのことが頭に入ってきて笑いだしそうになったことも一度や二度じゃない。
とにかく貴族の女というものは相手の財産と結婚するものなんだなと、社交界に出ていくようになってつくづく感じた。たぶん、それは男のほうも同じなんだろうけど。
愛のある結婚なんて物語の中にしか存在しないものなのかと、舞踏会へ行くたびに絶望感でいっぱいになる。
私のまわりにはいつもたくさんの貴公子たちが集まってくるけど、彼らは私のことが気になるんじゃなくて、私に付いてくる財産が気になるだけなんだろう。
そう思うと、相手がどんなに好青年であったとしても、心なんてときめきもしない。
私みたいに容姿が平凡で、家柄が良くて財産のある人間は、それなりの貴族のお飾りの正妻として嫁いで、旦那は他に女をつくって、愛ってなんぞ……という人生を送るんだろう。まったく、最悪な人生だ。
愛のある結婚をするために《真実の雫》を受け継いでいる私なのに、愛のある結婚がまったく想像できないなんて、あまりに無情な現実だわ。
「ねえ。そういえば、あの庭師はもう都に向かったの? 王妃さまからお声がかかったっていう……」
努めて何でもないふうを装って尋ねてみる。
イデルやキャナラでなければ、訊いたって大丈夫だ。みんな、私とラウラスのことは知らないから。
「ああ、ラウラスとかいう者のことですか? 彼ならたしか昨日のうちにブリアール城を出ているはずですよ。すごいですよね。王妃さまから会いたいとおっしゃってくださるなんて」
「そうね」
それほど興味がないような、冷めた声で応じる。
最近、ラウラスはお兄さまの指示で薬草に関する書物をつくったのだけど、それが巷でかなり評判になって、ついには王妃さままでが興味を示してラウラスに直接会いたいと言い出したらしい。それでラウラスが都に出かけることになったと、風の噂で耳にしていた。
お兄さまが私のためにおばあさまを説得してラウラスをこの城に留まらせたとは最初から思っていなかったし、何か他に意図があるんだろうなとは思っていたけど、ラウラスや王族の方を動かして今度は何をしようとしているのかしら。