運命の縁談11
「シュリアさま、今からでも遅くはございません。考え直してくださいませ。虹は人の命を喰らうといいます。もはや結婚が破談になるとか、そういう次元の話ではございませんのよ」
またかと溜息をついて振り返る。
案の定、着替えを持って立っているイデルは、何か苦いものでも食べたのかというくらい顔を歪めていた。
「バカね。あなた、そんな話を信じているの? ここはよく虹が出る町らしいけど、ほんとうに虹が人の命を喰らうなら、こんな土地でおちおち生活してらんないわよ。それに、昔お兄さまが言ってらしたわ。虹は光と水分の関係で生まれるものだろうって。現にここはよく雨が降るって話だし、虹なんてただの自然現象よ」
「で、ですが、虹が出ると誰かが溺死するとか、産褥死するとか、大雨が降って町が水没するとか──」
「じゃあ訊くけど、この町はいったい何回水没したのよ?」
〝筋肉こそ至上〟がモットーのお兄さまは、あやふやなものを信じない現実主義者。筋肉云々はともかく、私もその思考についてだけはお兄さまから受け継いでいるものがあるかもしれない。
だけど、世間から見れば、私やお兄さまの考えは異端の部類。
イデルみたいな人がふつうで、迷信がまかり通っている世の中だからこそ、私もこの作戦を実行しようと思えるのだ。
「とにかく私は考え直したりなんかしませんからね。結婚の話を破談にする他の良い作戦をイデルが提案してくれるなら別だけど」
「破談、破談とおっしゃいますけど、そもそもこの話を破談にしようとすること自体が間違っているのですわ。キアルさまほどシュリアさまに相応しい方はいらっしゃいませんのよ」
「なんでそんなことがわかるのよ。会ったこともないのに」
キアルさまとやらは、私の誕生日に催された舞踏会に来ていたという話らしいけど、そんなこと私はまったく記憶にない。
興味のない人の顔や名前をおぼえるのが苦手だという自覚はあるから、絶対に会ったことがないと言いきることはできないのだけど。
少なくとも、私の印象に残らない程度の人物であることは間違いない。
「キアルさまは境守伯の跡取りですし、選定侯の家柄で、お人柄もよいとのお話で──」
出た出た。この私だって、世間ではおしとやかで上品な侯爵令嬢で通ってるけど、そんなのはただのソトヅラだし。
世間の噂なんてアテにならない。そのお人柄のよい境守伯の息子とやらにも、どんな裏があるか分かったものじゃないわ。
「だからなによ? それがどうしたっていうの。べつにうちは今、政略結婚が必要な状況じゃないでしょ。お兄さまが今をときめくエードラム伯爵家から立派なお嫁さんをもらっているし、もう十分じゃない。私はちゃんと家のことも考えているから、うちに因縁つけられないように、こうやって穏便な方法で破談にしようとしているのよ。何やってもいいっていうなら、今すぐメリディエル家に乗り込んで、結婚なんてお断りだと怒鳴り散らして、件の跡取り息子の顔に馬の糞でも投げつけてきてやるわよ」
「んまぁ……っ!」
目をひん剥いて、口をパクパクさせるだけのイデルは、まるで鯉のようだった。美人が台無しね。
ふんと鼻を鳴らし、イデルの横をすり抜けながら手首にあるブレスレットを掴みしめる。
《真実の雫》の力を使って、キアルって人の心の内をたしかめようという気も起こらない。
だって、今の私にとって重要なのはラウラスの胸の内だけだもの。他の人の真実の気持ちなんてどうだっていい。