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銀梅花16

 わけもなく狼狽する僕とは対照的に、お嬢さまはしずかに空を見上げた。

 無意識にその様子を目で追っていた僕は、すっと冷たいものが胸の内に流れ込んでくるのを感じた。

 さっきまでお嬢さまはたしかに笑っていた。今もその横顔は微笑んでいるのに、今にも泣きだしそうに見えるのはなぜだろう。


「私、ほんとに植物だったらよかった」


 そう言って、お嬢さまは西のほうを指差した。


「あっちに針槐(はりえんじゅ)あるでしょ。私ね、あの樹になりたいと思ってたの」


「どうして針槐なんですか?」


 心底理解できなくて首をひねる僕に、お嬢さまは空を見上げたまま答えた。


「似ているからよ、私に」


 僕は何と返していいのか、言葉の選択に困った。

 いったい針槐のどこがお嬢さまに似ているというのだろう。

 たしかに花は美しいけれど、枝ぶりが不恰好な樹木で、ここの庭師たちにあまり好まれてはいないし、お嬢さまとは少しも──…。


 そこまで考えて、ハッとした。

 針槐はブリアールの庭師たちに好まれていない。枝はすぐに折れてしまうし、繁殖性が高いので、根こそぎ抜いてしまおうという話すら出たことがあるくらいだ。

 つまりは厄介者。

 お嬢さまは、まさかそんな意味で自分が針槐と似ていると言っているのだろうか。


「植物だったらよかったけど、残念ながら私は植物じゃないのよね。だから、ラウラスにお願いがあるのよ」


「なんでしょうか」


「私のことが鬱陶しくなったり嫌いになったりしたら、ちゃんと言ってほしい。うわべだけの優しい言葉なんていらないから。私、そういうの疑ってしまうのよ。優しい言葉を疑いながら過ごすより、はっきり突き放してもらえたほうが安心するの。約束してくれる?」


「……はい」


 僕に話しているはずなのに、お嬢さまの目は空に向けられたままだった。それが悲しいと思ってしまった。ちゃんと僕を見て話してほしいと。

 だけど、それ以上にお嬢さまには笑っていてほしいと思った。笑ってくれているなら、お嬢さまがどこを見ていようが、そんなことはどうでもいいから。


「同じ白い花なら、お嬢さまは針槐ではなく、銀梅花のほうに似ていると思いますよ」


 思わずそんなことを口にしていた。

 そう。お嬢さまには銀梅花のほうがしっくりくる。

 僕がここに庭師として来たときからずっと眺めつづけている樹木。愛らしいのに、凛としていて、痛みを緩和する薬にもなって──。


「銀梅花は祝い酒にも使われますし、祝いの木という別名がつけられるくらい縁起のいいものなんです。私は、お嬢さまは銀梅花に似ていると思いますよ」


 なにをそんなに必死なっているのかと自分自身が滑稽に思えたけれど、お嬢さまが僕のほうを見て笑ってくれたので、それだけですべてがどうでもよくなった。


「ありがとう。ラウラスはほんとうにいつも優しいね」


 あまり信じてもらえてないのかな。僕はお世辞で言っているわけではないのだけど。


「祝いの木なんて、私にはちょっと上等すぎるわねえ」


「そんなことありませんよ」


 お嬢さまにはちゃんと幸せになってほしいと、心から思った。

 お嬢さまの寂しさを理解して、その心の隙間を埋めてくれる人が早く現れればいいのに。

 お嬢さまがそうして嫁がれる日までは、僕にできることなら何でもするから。

 誰よりも幸せになって、心から笑う日々を送ってほしい。


「銀梅花って、たしか庭師の宿舎のそばにある小さな木よね」


「はい、そうです」


「今から見に行っても大丈夫かな」


「もちろんです。ご案内いたしますよ」


 お嬢さま相手に手を差し伸べることはできないけど、その代わりに出来るかぎりの笑顔を向けると、お嬢さまも極上の笑顔で応えてくれた。


「お嬢さま。先ほども申し上げましたが、私は迷惑とも面倒とも思いませんので、何かあればいつでもおっしゃってください。私ではたいした役にも立たないとは思いますが、愚痴でも何でも聞くくらいはできますし、私はいつも庭にいますので」


 お嬢さまは少し驚いた顔をしたあと、にこりと笑った。


「ありがとう」


 その言葉を聞くだけで、どうしようもなく嬉しくなる。少し困ってしまうくらいに。

 胸の内に何を秘めていようとも、けっして弱音を吐かないお嬢さまだけど、あんなふうに雨のなかで独りで泣くくらいなら、たまには弱音を吐いたほうがいいと思う。

 たとえ人の心が信じられないのだとしても、僕のことは信じてほしい。そう思うのは、あまりにも都合がよすぎるだろうか。


「ねえ、ラウラス。あの銀梅花ね、誰が植えたか知ってる?」


「ええ。今の庭師長が植えたと伺っています」


「それだけ?」


 なぜかお嬢さまがクスクス笑う。

 いや、理由はなんとなく分かっていたけど、敢えて知らないふりをした。

 あの銀梅花は、庭師長が奥方のために植えたものだ。

 今更ながらに銀梅花の花言葉に気づいて、しまったなぁと思ったけど、もう取り返しがつかない。

 そもそもお嬢さまの存在として、その言葉はあながち間違ってはいないと思うし、わざわざ弁解する必要はないだろう。

 そう結論づけると、僕は「それだけです」と応じた。


 どうか幸せになって。

 僕の大切なひと。


銀梅花の花言葉……愛の囁き


番外編①はこれにて終了となります。

次回からシュリア視点の本編に戻ります。

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