銀梅花15
「私のこと、ほんとにバカで我儘な子供だと思ってるんでしょう」
「そんなこと、たったの一度も思ったことありませんよ」
お嬢さまはいつも他人を気にかけている優しいお人で、ときどき驚くほど無茶をするけど、それも結局はいつも他人のためで。自分のための我儘なんかじゃない。
「お嬢さまにはほんとうに感謝しています」
「やめてよ。なによ……。ほんとに出て行っちゃうの?」
泣きそうな顔をしているお嬢さまを見ていると、妙に胸が痛んだ。
それに、普段は明るく笑っておられることが多いし、心のままにくるくると表情を変えられる無邪気な方なのであまり意識はしないけど……。
こんなふうに目を潤ませてまっすぐに見つめられると、どうしても目を奪われてしまう。
初めてお会いしたときに花の精霊のような愛らしい少女だと思ったけれど、あのときのまま成長されたお嬢さまは愛らしさに加えて慈しみを感じさせる女性になっていた。
さすが兄妹と言うべきか、グラースタ伯爵も神話から抜け出してきたようなお人だけど、お嬢さまも同じだ。
僕は気づかれないように、小さく息をついた。
「私は……」
言葉が、つづかなかった。
僕はここを出て行くべきだと思う。
もう疲れたし、どんな形であれ人と関わるのは、やっぱり僕には向いていない。
グラースタ伯爵の居城に移ることもお断りして、どこか遠くへ行きたいと思う。僕のことを誰も知らない場所へ。
でも、だけど。
「そんな顔をなさらないでください」
今にも泣きだしそうなお嬢さまに背を向けるのは気が引けた。
いや、ちがうな。
気が引けたどころではなく、僕まで悲しくなって、どうか泣かないでと言いたくなった。
「どこにも行きませんよ。私はここにいます。ブリアールに」
だから、そんな顔をしないでほしい。
いつものように笑っていてほしい。
僕がここにいるだけでいいなら、それだけで笑ってくれるなら、僕はどこにも行かないから。
お嬢さまには、どうか泣かないでいてほしい。
「ほんとうに? 本当にブリアールにいてくれるの?」
「お嬢さまがそれを望んでくださるのなら。私はもともとお嬢さまのために雇われた人間ですから」
「じゃあ、ずっとここにいて。もう迷惑はかけないようにするから」
その表情があまりに真剣で、僕にはよく理解できなかった。
「お嬢さまのことを迷惑だなんて思ったことはありませんよ」
むしろ、迷惑をかけているのは僕のほうだと思うのだけど。
「お嬢さま。私は今までお嬢さまのことを迷惑だなんて思ったことはありませんが、迷惑でも面倒でもかけてくださって構わないのですよ」
「どうしてそんなおかしなこと言うの?」
「おかしいですか? 私はお嬢さまのために何かしたいだけです。それがお嬢さまのためになることであるなら、迷惑とも面倒とも思いません。大切な植物を育てるときに、どんな手間も惜しまないのと同じです」
「ああ」と、お嬢さまは納得したように頷いた。
「分かりやすい例えね」
お嬢さまは、そう言って笑った。
久しぶりに心からの明るい笑顔を見た気がする。
それだけで僕の胸もあたたかくなって、自然と笑みがこぼれた。
「私はラウラスにとって植物と同じなのね」
今さらながらに、お嬢さまを植物と同列にするのは失礼な気がして、素直に頷くことは躊躇ってしまったけれど。どうやらお嬢さまは気分を害してはいらっしゃらないようだった。嬉しそうに、にこにこと笑っている。
なんだろう。この気持ちは。
さっきまではどこにもなかったはずなのに。
どうして手を伸ばしたくなるのだろう。
お嬢さまは目の前にいるのに、どうしてそこにいることを自分の手で確かめたいなんて思ってしまうのだろう。
僕は頭がおかしくなってしまったのだろうか。
「ラウラス? どうかしたの?」
「はい、あの、えっ!?」
自分でもびっくりするほど動揺してしまった。