銀梅花14
「城の外の人間が届けた薔薇という可能性もありますでしょう?」
「そうね。でも、あれはラウラスの薔薇よ。あなた、今の季節を失念していて? 今は晩夏よ。四季咲きの薔薇はブリアール城にしかないものだわ。あなたが生み出したものなんだから」
お嬢さまの言葉は、僕にとって純粋に驚きだった。
花ひとつで僕の存在に気づいてもらえることなんてあるのか、と。
「私たちが初めて会ったのも薔薇がきっかけだったわよね。憶えてる?」
「ええ。秋に薔薇が咲いているのが不思議だと、お嬢さまが庭に出てきてくださったんですよね」
忘れるはずがない。あのとき、僕ははじめて免罪符を得た気がしたのだから。こんな僕でも人の役に立つことがあるのだと。
「私ね、あのときラウラスが怒ってると思ったの」
「……え? あ、私が何も言わなかったからですか? あれはいきなり侯爵家のご令嬢に話しかけられて驚いたからで、怒っていたわけではありませんよ」
そういえば、たしかに初めてお会いしたときの幼いお嬢さまはおかしなことを言っていた。「話しかけて悪かった」と。
あれは僕が怒っていると思ったからだったのか?
僕はそんなに怖い顔をしていたのだろうか。
「ううん。そうじゃなくてね、ラウラスも私のことを嫌ってるのかと思ったの」
「私も……?」
「そう。私のことを嫌ってるから、話しかけられて気分を害したのかと思ったのよ」
僕は首を傾げるしかなかった。
なぜお嬢さまがそんな不可解な答えを導き出すに至ったのか、僕にはまったく理解できない。
だけど、いくら待っても、お嬢さまはそれ以上なにもおっしゃらなかった。
ただただ、しずかに微笑んでいるだけで。
そんなお嬢さまの姿が、僕の目にはとても痛々しく映った。
『自分が人に面倒をかけると、相手の胸の内にどんな感情が湧くか、あいつはいやというほど知ってる』
唐突に、グラースタ伯爵の言葉が脳裏をよぎる。
……ああ。もしかして、そういうことか。
「私はお嬢さまが声をかけてくださって、嬉しかったですよ」
みんながみんな、常にお嬢さまを疎ましく思っていたはずがない。だけど、ほんの一握りの人間の、ほんの一瞬の冷たい感情は、幼い子供に深い傷を与えるには十分過ぎたことだろう。
僕にだって、覚えがある。
いまだにその傷口が塞がらず、血が噴き出しつづけているのだから。
痛みすら麻痺して感じなくなるほどに。
「でも、あなたに迷惑をかけたわ」
「迷惑?」
「謹慎のことよ。ほんとうに、私のせいで嫌な思いをさせてしまって……ごめんなさい」
「いえ、そんな……。お嬢さまが謝られるようなことではありませんよ」
「いいえ、違うの。ほんとうに私のせいなの。私がバカで、自分勝手で我儘だから、ラウラスに迷惑をかけたの。嫌われたって仕方ないと思ってる。ちゃんとラウラスの気持ちを考えなくちゃいけないって分かってる。でも、でも……」
「なんですか?」
お嬢さまは俯いたままドレスをぎゅっと掴み、一生懸命に何か言葉を探しているのが伝わってきた。
「どこにも行かないでほしい。ブリアールから出て行っちゃイヤ」
「え?」
それは思いがけない言葉で、僕は目を瞬いた。
「あの、あのっ。お兄さまが、ラウラスをクルアス城に呼んだって。でも私、ラウラスの新しい薔薇が見られなくなるのは嫌で……その……っ」
ああ、なるほど。お嬢さまは薔薇がお好きだものな。
「薔薇なら、クルアスからでもお届けしますよ」
「あのっ、そうじゃなくて!」
顔を真っ赤にして身を乗り出すお嬢さまを見ていると、なんだか急に笑いが込み上げてきてしまった。
「なんで笑うのよ! 私は真剣なのに!」
「申し訳ございません」
なんだろう、この気持ち。とても胸があたたかい。
薔薇ひとつで、僕の存在を見つけてくれる人がいる。
初めてお会いしたときもそうだった。
お嬢さまは、いつも行き場を無くして立ち尽くす僕に憩える場所をくださる。
こんな空っぽの僕に、いつも真面目に向き合ってくださるんだ。