銀梅花13
「久しぶりね、ラウラス」
「……あ、はい。あの、お久しぶりでございます」
慌てて目を伏せ、頭を垂れる。
ほんとうは自分の頬をつねりたかったけど、さすがにそれは堪えた。
これが白昼夢ではないと仮定した場合、僕はどうするべきなのだろう。
このまえの雨の日のことを謝るべきなのだろうか。
泣いていた人に、わざわざ嫌なことを思い出させるのは無粋という気もするけれど……。
いっぽうで、お嬢さまが僕からの謝罪を待っていた場合は、僕が知らないふりをすることで、無視をしたと受け取られることも考えられる。それはそれでよろしくない。
「いつまでそうやって固まっているつもり? 顔を上げなさい」
僕の中で何の答えも出ないまま、言われるままに顔を上げる。
いつになくお嬢さまの口調がきつくて、内心で戸惑った。
けれど、口調がきついということは、それだけ力に満ちているということだ。あの日、雨に打ちひしがれて弱々しい姿をさらしていた少女の面影はどこにも探せない。
「言っておくけど、もう体のほうは何ともないわよ。ちゃんとグレン医師やイデルの許可も得てきてるから、今日は追い返さないでちょうだいね」
「追い返すだなんて、そんな」
「あなた、このまえは私を追い返したでしょう」
やっぱり、お嬢さまはあのときのことを怒っていらっしゃるようだ。
「あれは、そんなつもりでは……」
思わず視線を外して言いよどんでしまう僕は、ほんとうに情けない人間だ。
横たわる沈黙に言葉を探しあぐねていると、ふいに手に何か温かいものが触れた。
「知ってる。私のことを心配してくれてたからでしょ。ちゃんと分かってるわ」
お嬢さまが僕の手をそっとつかみ、優しく微笑んでいた。
僕は不思議な思いで、僕の手を包み込んでいるお嬢さまの手を見つめた。
あたたかい手だけど……、どうしてそれ以上の感覚がないんだろう? そんなことってあるんだろうか?
「今、話をしてもいい?」
「はい。それは構いませんが……。その、誰が見ていないともかぎりませんので、手はお離しいただいてよろしいですか」
僕がそう言うと、なぜかお嬢さまは唇を尖らせた。
「あーあ。私もあのエリダって子みたいに生まれたかったなあ」
「急に何をおっしゃるのですか」
「べつに。ちょっと羨ましく思っただけ」
いったいエリダのどこに、お嬢さまが羨ましく思うような要素があるというのだろう。
よく分からなかったけど、お嬢さまは唇を尖らせたまま僕から手を離した。
なぜだろう。その瞬間、僕の胸が強く疼いた。
「本当にもう外にお出になってもよろしいのですか? とても具合が悪いように伺いましたが」
「本当にもう大丈夫よ。ちょっと考えごとをしていただけなの。そうしたら、どんどん気分が落ちてしまって……、それだけなの。病気とかじゃないから、もう平気よ」
すっきりした様子で笑っているので、それは嘘ではないのだろう。
水色の瞳がいつもの明るい光をたたえているし、頬もほのかに薔薇色で、臥せっていたことすら感じさせない。いつもの愛らしいお嬢さまだった。
「あなた、あのとき私に訊いたわよね。なぜ雨の中、あんな場所にいたのかって」
「ええ。たしかにお尋ねしました」
どう反応すればいいのか分からなくて、なんだか気まずかった。
「あなたにね、会いたかったのよ。あなた、私に薔薇をくれたでしょう? それを見ていたら、無性にラウラスに会いたくなったの」
思いもよらない答えに、僕は面食らった。
だけど、そういえばあのとき、たしかにお嬢さまは薔薇の話をしていた気がする。
「なぜ、あの薔薇が私からだと?」
「あなた、私をバカだと思ってる? あの薔薇はこのブリアールの庭園にはないものだわ。あなたが個人的に育てているものでしょ。誰だって分かるわ」
そうだろうか。
ブリアールの庭園はかなり広いし、ましてやそこに植えられている薔薇の種類なんて、かるく三十は超えている。正確に把握しているのなんて、庭師くらいではないだろうか。