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銀梅花12



 伯爵が訪ねてきた翌日から、僕の日常はもとに戻った。

 これまでどおり庭に出て庭師の仕事をする日々。

 グラースタ伯爵のいるクルアス城に移ってもいいと言われたことについては、まだ考え中だ。


「ラウラス、このまえはごめんね。私から言いだしたのに、すっぽかしちゃって」


「かまわないよ。仕事だったんだろう?」


 瑠璃苣(るりぢさ)のスープを作るというエリダに頼まれて、いっしょに瑠璃苣の若葉を摘んでいると、なんだかすべてが夢だったように思えてくる。大奥さまの怒りを買ったことも、雨の中でお嬢さまを見かけたことも、グラースタ伯爵が訪ねてきたことも、何もかも。


「まだ花は咲かないわねぇ」


「それはそうさ。先月植えたばかりなんだから。花が咲いたら、そのときはエリダに声をかけるよ」


 瑠璃苣の花は、サラダやスープのつけ合わせとして用いられるけれど、気分を高揚させる効能があるので、気鬱を払う薬としても使われる。

 それに、瑠璃苣の美しい青い花弁は、葡萄酒に浮かべるとピンク色に変わるから、貴婦人たちに人気だった。

 とはいえ、ブリアールで瑠璃苣の花を目にするのは、まだ二十日ほど先の話だろう。


「ところでエリダ、僕に直してほしいって言ってたものは?」


「ああ、あれね。手先の器用な同僚が見つけて直してくれちゃったから、もういいの」


「そう。無事に直ってよかったね」


 自分で思っている以上に、僕という存在はそれほど人に必要とされていないのだろう。

 今さらたいした感慨も湧かない。


「あっ、こらエリダ。手で折ったらダメだって! 瑠璃苣はそこから腐ってくるんだから。ちゃんと鋏で切って」


「ごめんなさい。つい……」


「もう。まさか厨房でもそんな調子なんじゃないだろうね」


「違うわよ。料理はちゃんと真面目にやってるんだから!」


「そう。ならいいけど。できれば、食材になるものの扱いも丁寧にしてもらいたいね」


 お城の庭園に植えられている植物は、観賞用ばかりではない。じつは口にできるものがたくさんある。

 庭師の宿舎の前にある銀梅花だってそうだ。実は香辛料に使えるし、花も食用としてそのまま食べられる。

 食用だけでなく、薬として使えるものも多く育てられていて、一見して風雅なだけに思えるブリアール城の庭園は、実際にはなかなか実用的だったりするのだ。


「そうよね。ラウラスにとって、ここの植物たちは我が子みたいなものなんだし、私も大事にしないとね」


「我が子?」


「そう。だって、愛情かけて大事に育ててるんだもの。我が子と同じでしょ?」


「そんなこと、考えたことなかった」


 愛情。我が子──。

 僕にはよく分からない。

 たしかに僕は植物を育てるのが好きだ。植物を見ていると気持ちが落ち着く。

 だけど、それを人に当て嵌めて考えることはできそうにない。

 人に対して愛情なんて覚えたことがないから、その感覚が理解できなかった。


「ラウラスってば、ほんとに天然ねえ」


「そうかな」


 曖昧な笑みを浮かべることしかできない自分が、心底イヤになる。

 他の人は当たり前のように理解できるのに、僕にはどう足掻いたって理解できない。それはまるで人間の出来損ないだと言われているようで、やるせなかった。


「ねえ、その石、いつもつけてるよね。特別な意味でもあるの?」


 エリダの指差す先にあるものが、僕の首もとにある翡翠だと気づくと同時に、自分がその翡翠を握りしめていることにも気づかされた。


「いや、とくに意味なんてないよ」


 本当はこれは母の形見だ。

 だけど、エリダに真実を話す気にはなれなかった。


「スープを作るなら、葉はもうこのくらいでいいんじゃないのかい?」


「そうね。充分だわ。いつも手伝ってくれてありがとう」


「いや、エリダ一人にやらせると、また鋏で手を切ったとか棘が刺さったとか毒が目に入ったとか、そういうことをやりかねないから……」


「ちょっと! 私を子供扱いしてるの!?」


 籠を抱えたまま反対の手を振り上げるエリダは、はっきり言って子供そのものにしか見えなかった。


「ほら、そういうことをしていると、また転んだりするから。怪我をしても、僕は知らないよ」


「嘘つきー。今まで私が怪我して、ラウラスが手当てしてくれなかったことなんて一度もないくせに」


「それ、そんなに得意げに言えること?」


「言えることよ! 私はね」


 くすくす笑いながら、エリダは籠を抱えて走り去っていく。

 相変わらず嵐のような子だ。


「あなた、自分のことを僕って言うのね。知らなかった」


「え?」


 唐突に声をかけられ、驚いて振り返る。

 僕は目を瞬いた。

 また夢でも見ているのだろうか。

 そこには少し不機嫌そうな顔をしたお嬢さまがいたのだ。


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