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銀梅花10

 人の感覚を奪う。あの真珠にそんな恐ろしい力があったなんて……。まるで呪いのようだ。


「感覚を失っても、時間が経てばもとに戻る。皮膚感覚を失った場合、戻るまでにかかる時間は三日だ。今日の昼までにはシュリアの感覚はもとに戻るはずだったし、実際もとに戻った。……が、あいつはすぐにまた真珠の力を使って、皮膚感覚を無くしやがった。あいつは幼い頃にも同じようなことをしていたことがあったが、あの頃は父親に構ってほしくてやっていたんだ。今はそうじゃない。今はほんとうに外界のものを拒んでいるからやっているんだ」


「なぜそのようなことに?」


「さあな。シュリアは皮肉なことに、《真実の雫》のせいで自分の真実を語らなくなった。語らなくなったというより、分からなくなったというほうが正しいかもしれないがな」


 そう言う伯爵の声はどこか悲しげだった。


「いくら優しそうに笑っている相手でも、真珠を持っているシュリアには心の内に潜む悪意や不満が見えるんだ。自分が人に面倒をかけると、相手の胸の内にどんな感情が湧くか、あいつはいやというほど知ってる」


 僕は、気づいた真実に言葉を失った。

 お嬢さまに大丈夫だとか平気だとかいう言葉が多いのは、周囲への優しさや気遣いのためではなく、傷つけられるのが怖くて──。

 だから、本当のことを言えなかっただけなのではないだろうか。

 ……いや、もしかしたら自分自身でも、本当に痛みを感じにくくなっているのかもしれない。僕がそうであるように。

 相手に面倒をかけまいと思って耐えることが続くと、だんだん自分が感じる痛みそのものに対して鈍くなっていく。心が凍りついて、ほんとうに何も感じなくなっていくのだ。


「普段は我慢強いってだけで済ませることができるが、小さな心の疲れに気づけないってのは、吊り橋のロープがじりじり擦り切れていっているときに気づかなくて、吊り橋を支えている最後の細い糸が切れてから気づくのと同じだ。気づいたときには手遅れで、谷の底さ」


 僕の視線は自然と床の上を彷徨った。

 たしかに僕から見てもお嬢さまは我慢強い。けれど、それが自分の痛みに気づかないゆえのものだったとしたら、伯爵の言うとおり、とても危うい。

 そして、今回の場合、おそらく最後の糸を切ったのは僕だ。三日前の、あの雨の中で。


「どうすればいいのでしょう……」


 思わず言葉がこぼれた。

 伯爵はおかしそうに笑い、僕を覗き込むようにして頬杖をついた。


「どうもしなくていいさ。あいつはそのうち谷底から這い上がってくる。今は殻に閉じ籠ることがシュリアにとって必要ってだけだろう」


「心配ではないのですか?」


 伯爵のあっさりした言い方が不思議で、思わず尋ねていた。


「心配していないこともないが、おまえが思うほどには心配しちゃいない。シュリアは根が強いからな」


 伯爵は、なぜ僕に会いに来たのだろう。

 改めて疑問に思った。

 お嬢さまを心配して、お嬢さまが塞ぎ込んでいる理由をつきとめに来たのかと思ったけど、そういうわけではなさそうだ。

 伯爵とのやりとりを、もう一度思い出してみる。

 最初にお嬢さまの話題を出してきたのは伯爵のほうだ。

 ここ最近お嬢さまに会ったかどうかを尋ねられた。それに対し、僕は何も答えなかった。

 真珠の話題を出してきたのも伯爵だ。真珠の力を使って、お嬢さまは自分の殻に閉じこもっている、と。だけど、心配はしていないと。

 それなら、なぜ僕のところへ?


「シュリアはおまえのことを天の御使いを描いた絵画のようだと言っていたが、俺も同感だよ。おまえの目が何も映していないという点においてな」


「え?」


 またしても唐突な話題転換に、頭がついていかなかった。話の筋がまったく見えない。


「おまえはこの世の何にも執着しない。いざとなれば何でも手放すだろう。違うか?」


 違わなかったけれど、僕は何も答えなかった。


「おまえみたいなのがいちばん厄介なんだ。質に取っておくものが何もないからな」


 ああ、何となくわかった気がする。

 伯爵は僕という人間に対して探りを入れていたんだ。

 グラースタ伯爵が相手では、僕の性格というか、心の有り様まで見透かさてしまった気がして心臓が痛かった。


「質を取りたい……つまり、私をここに留めておきたいということですか」


「べつにここじゃなくてもいい。俺の手が届くところであればな」


「伯爵が何をお考えかは存じ上げませんが、私を留めたところで、私に利用価値などありませんし、何も得しませんよ」


「利用価値がないかどうかを決めるのはおまえじゃなくて俺だ、ウィリディリス」


 高圧的にその名を呼ばれ、自分の表情が硬くなるのを感じた。


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