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銀梅花9

「おまえ、最近シュリアに会ったか?」


「え?」


 まったく予想だにしていなかった質問をぶつけられ、一瞬どう返答しようかと迷った。

 お嬢さまには三日前にお会いしているけれど、伯爵の質問の意図が分からないだけに、迂闊に口にしてはいけない気がした。

 僕が大奥さまの命令に反して庭に出たことが知られるのはいいとしても、臥せっているはずのお嬢さまが庭にいたことを知られるのはまずいのではないかと思えて。


 側仕えのナリアート嬢が、具合の悪いお嬢さまに一人で庭に出ることを許すことなど考えられない。十中八九、お嬢さまは黙って出てきていたはずだ。


「ああ、答えなくてもいいぞ」


「はい?」


 思わず間の抜けた声がこぼれた。質問しておきながら答えなくてもいいとは、いったいどういうことだろう。

 意図がまったく分からなくて、伯爵の様子を窺い見たけれど、まっすぐに僕を見ているはずの伯爵の瞳からは、感情ひとつ読み取ることができなかった。

 そのまま伯爵が何もおっしゃらないので、後ろめたい気持ちがある僕としては沈黙が必要以上に重く感じられ、なんとかこの沈黙を破りたいと思わずにはいられなかった。


「あの、ひとつお伺いしてもよろしいですか」


「なんだ」


 伯爵が目で先を促す。


「お嬢さまの具合はいかがですか。臥せっておられると聞いたのですが」


「具合か。まあ、最悪だな」


「えっ。それはどういう……」


 やはりあんな雨の中にいたから体調が悪化してしまったのだろうか。

 最後に目にしたのが、うつむいて泣いている弱々しい姿だっただけに、具合は最悪だなんて言われると、気になって仕方なかった。


「おまえ、シュリアの持っている《真実の雫》のことは知っているか?」


 お嬢さまの容体を知りたいのに、伯爵がまったく違う話題を振ってくるので、思わず顔をしかめてしまった。そのことに気づいて一瞬慌てたけれど、伯爵はまったく怒っている様子もなく、ただ僕の答えを待っているようだった。

 グラースタ伯爵は、ほんとうに怖いくらい胸の内が見えないお方だ。


「ええと、はい……知っています。人の心を覗いたり、自身の心を人に見せたりする真珠ですよね?」


 お嬢さまがいつも身に付けているブレスレットを思い出しながら答えると、なぜか急に伯爵の目つきが鋭くなった。


「それは誰から聞いた?」


「え、あの……お嬢さま自身からですが……」


 何かまずいことでも言ったのだろうかと不安になるくらい、伯爵の声音は刺々しかった。つい先ほどまで何の感情も見せることがなかっただけに、よけいに恐ろしい。


「あの、誰にも話してはいませんので」


 思わず言い訳めいたことを口にしてしまう。


「ああ、すまん。おまえが何か悪いことをしたわけじゃない。少し意外で驚いただけだ。気にするな」


 いったい何が意外だったのかはよく分からなかったけれど、たしかに伯爵から刺々しさは消えていた。

 それにしても、少し驚いただけであの威圧感なら、この人が本気で怒るとどれほどのものなのだろう。ふつうの人なら気絶しかねないのではないだろうか……。まさに軍神だなと、どうでもいい思考がはたらく。


「シュリアのやつ、真珠の力を使って完全に自分の殻に閉じこもりやがってな。食事どころか水も口にしないから、侍女たちやじいさんがほとほと手を焼いている」


 伯爵の言う「じいさん」とは、グレン医師のことだろう。


「真珠の力を使って殻に閉じこもるというのは、どういう意味ですか?」


 僕が尋ねると、伯爵は怪訝そうな顔をした。


「おまえ、知らないのか?」


「え? あの……すみません」


「謝らなくてもいいが、おまえは真珠のことについて、いったいシュリアから何をどう聞いた?」


 伯爵にそう尋ねられ、アモル伯爵夫人のお屋敷でお嬢さまから説明されたことを思い起こす。なんだか遠い昔のことのように感じるけれど、あれからまだ一つの季節も過ぎていないのだ。


「不幸な最期を遂げた故人の魂が真珠に宿っていて、相手の心を覗くのだと教わりました。にわかには信じがたい話でしたので、お嬢さまも私に信じさせようとお考えになったのか、自分の心を相手に見せることもできると、実演してみせてくださいました」


「なるほどな。教えられたのはそれだけか?」


「はい。それだけですが」


 伯爵は腕を組み、小さく息をついた。


「あの真珠はな、人の心を覗くたびに所有者の感覚を奪っていくんだ。一度目は聴覚、二度目は色彩感覚、三度目は皮膚感覚だ。シュリアは今、皮膚感覚まで失くして部屋に閉じこもりきりだ」


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