おもかげ
価 値 観
作 杉 山 実
1-1
その日の坂田獣医病院は朝から大急がしだった。
開院前に数人の人が愛犬を連れて待って居た。
受付の三原真理子が自動ドアを開けると我先に受付に来た。
「すみません、順番に並んで下さい」
先頭には年老いた老人が「太郎が散歩から帰ったら元気が無くて」そう言って柴犬を抱き抱えて訴えた。
「次も」
「次も」犬は異なるがみんな同じ症状だった。
「先生、十人程の犬ばかりなのですが?」
「まあ、兎に角順番に」
診察室に柴犬を抱いて老人が入って来た。
「診察台に乗せて」
助手の妻坂田良子と助手の柳田塔子そして受付の三原真理子がこの坂田獣医病院のスタッフだった。
最初の柴犬を診て「今朝散歩しましたか?」
「はい、いつもと同じ所を同じ様にですが」
「いつも行かれる場所とかは?」
「郵便局の向こうの公園には毎日行きます」
「ああ、ツツジ公園ですよね」
「そうです」
「お薬出して置きますが、この子が吐くかも知れませんね、注射もしておきましょう」老人が礼を述べて診察室を出て行った。
次もその次も同じ症状だったので「誰かが農薬をツツジ公園に散布したのだ」と結論ずけた。
坂田雄一は妻の良子に「立て札を立ててあげた方が良いな」
「そうですね、雨も降らないみたいだから」
柳田と良子が五枚の立て札を作って公園に立てたのだった。
時々悪戯のつもりで、農薬散布をする人がいる。
自分の庭とか、畑に糞をされて嫌がらせでする人、時には看板だけ書いて立てる人と様々なのだ。
犬は色んな物を拾い匂いの種類で嗅いで色々判断して、雄は自分の場所をマーキングしたりするので、犬はこの様な農薬の被害に遭う事が多かった。
「秋の北海道は最高ね、天気も良いしね」
「久しぶりだよ、のんびり出来るのは」
女満別の空港に野平一平と野平美優は新婚旅行に来ていた。
九月の下旬は一番食べ物が美味しくて、景色も良いからここにしたのだ。
「一平さんは責任を取って私と結婚したの、じゃないわよね」
「何回言うの?もう百回以上尋ねているよ」
「何度も聞きたいの」
「はい、誰でもSEXしていました!これでいい?」
「違うでしょう、答えが」
「じゃあ、綺麗な身体だったから」
「それも、違うでしょう」
「何て答えれば良かったのだった?」
「初めから、美優が好きだったから、直ぐ判ったでしょう」
「そうだった、そう答えるのだったね」
「今夜は阿寒湖の温泉、明日は摩周湖、釧路の朝市、釧路湿原」
レンタカーで女満別の空港を後にした。
「普通は札幌とか、旭山動物園とか、函館、小樽運河とかに行くでしょう、阿寒湖も摩周湖も有名だけれど、何故?釧路なの?」
「実はね、思い出が有るのよ」
「どんな?」
「恋人とね、釧路湿原で旅行中に迷子になったのよ」
「へー、恋人と来たのだ」
「そしてね、漸く見付けたのだけれど死んでいたの」
「水死?」
「違うのよ、殺されていたのよ」
「殺人事件じゃない、いつ頃の話?」
「最近よ」
「最近って二ヶ月前」
「そんな事件有ったか?」
「うん、私が読んだ小説に」と言って微笑む美優だ。
「な何だ?小説の話か、脅かすなよ」
「だから、一度見たかったのよ」
女満別空港から阿寒湖のホテルまでは約二時間、丁度良い時間にホテルに到着出来る。
本当は北海道一周がしたい二人だったが、中々仕事柄三泊四日が限界だった。
二人には初めての旅行で、静岡と久美浜では余りに離れていて、二人はあの出来事以来SEXはしていなかった。
それは衝撃が大きすぎたのと、一平に何か後ろめたい気持ちが有ったからだ。
何度か久美浜にも行ったし、静岡にも来たけれど食べて、飲んで遊んで終わりだった。
もう半年以上が経過していたから、今夜は新婚初夜、美優も今夜は一平さんも、
その気に成るかな?とかロマンチックでエッチな想像をしていたのだった。
阿寒湖の旅館にもう一組静岡のアベックが宿泊していた。間島順平60歳、その愛人小泉欄22歳、欄のお強請りで北海道に来ていた。
今夜で三日目の夜で、間島は関西の建設会社の社長白髪の紳士で一見建設業には見えないのだった。
小泉欄は湯河原のコンパニオンだ。、
もう一年近く前、間島は会社の慰安旅行で熱海に宿泊した時に欄と知り合ったのだ。
欄は元々が関西の滋賀の生まれで、水商売で流れ流れて、今はコンパニオンとして湯河原のクラブに所属していた。
元々芸者は一人でもお座敷に出るが、
コンパニオンは二人一組が原則に成っている為、中々一人のお客がコンパニオンを呼ぶ事は少ないのだった。
その欄が二度目に間島に呼ばれた時、小百合と二人で間島の部屋に行ったのだった。
通常源氏名で本名は言わないのだけれど欄はそのまま使っていた。
クラブは湯河原だが仕事は熱海、湯河原、箱根が主な仕事場だった。
間島は二人を呼んだが、小百合にお金を渡して三時間自由に遊んでおいで、但しクラブには内緒だよと言ったのだ。
所謂玉代とは別に三万も貰った小百合は、喜んで遊びに出掛けた。
二人でラブホでも行くのかな?
でも今まで一度しか会ってないと云っていたのに、いきなりは欄も行かないだろう、私なら5~6万別に貰ったら考えるかも、そう考えて小百合は遊びに出掛けた。
欄は間島の変な申し出に警戒心が一杯有ったのだった。
しかし、間島は何もしない、唯世間話をして、お酒を飲んで過ごすだけだった。
通常旅館ではSEXは出来ないから、一部させる所も有るが、客と芸者、コンパニオンとの館内でのSEXは禁止に成っていた。
三時間の間にもし誘うなら早く誘わないと無理よ!と欄は思っていた。
その時は10万円とふっかっけてやろう、それでも出したら行かないと仕方ないなあ、そんな事を考えながらビールを注いでいた。
「どうして?関西から来て、コンパニオンをしているの?」不意に間島が尋ねた。
「何となく、気が付いたら、此処に居たって感じかな?」
「家出?」
「違いますよ、最初は大阪で働いて居て、名古屋の栄町から此処よ」
「両親は知っているの?」
「親父は何処に居るか知らない、お母さんは滋賀に居るよ」
「兄弟は?」
「叔父さん探偵さんみたいね、身元調査?」
「いやー、ごめん、ごめん、そんな気持ちはないのだよ」そう言って笑って欄のグラスにビールを注いだ。
「妹が一人、瑠璃って云ってね、可愛いのよ、勉強も私と違って良く出来るのよ」
「ほうー」
「今ね高校生よ、私はね高校でね、それもビリから数えた方が早かったのよ」
二人は欄の身の上話を中心に三時間飲んでお喋りして終わった。
「只今」小百合が恐る恐る襖を開けて、二人が何かしているのかもと思ったからだった。
「もう、時間なのだ」と驚いた様に言う間島。
「何か探偵さんみたいだったよ、確か、建設会社の社長さんよね」
「そうだよ、間島って云います、小泉欄さんって云ったよね、電話番号とか教えてくれないかな?」
ほらほら、きたよ、次回からホテルで会いたいって云うのだよなと思う欄だ。、
助平紳士めと思いながら、「いいわよ、社長の携帯貸して、アドレスもいれてあげるから」
「そうなの、じゃあ、頼むよ、携帯は中々使いこなせなくてね」
「でもスマホじゃん」
「会社で持たされるのだよ」
「この前の時50人程社員さん居たよね、結構大きい会社なのだね」
「いや、小さい会社だよ」
「お父さんってどんな人?」と尋ねる間島。
「顔も知らない、妹が生まれて離婚したらしいから」
「そうなのだ、嫌な事聞いたね」
「社長さんありがとうね、時間だから帰るね」
「ああ、ありがとう」
二人は嬉しそうに部屋を出て行った。
間島の瞳には涙がにじみ出ていた。
コンパニオンを呼んで話をして、酒を飲んで何故か涙が出る。
一月前初めて此処熱海で慰安旅行をしたのが、一月後またこの熱海に来て居たのだった。