西の町で
僕はうろうろと目的のない旅を続けることをやめ、最初に決めたようにただ西へと向かった。彼女は僕に行先については何も尋ねることなくついてきてくれた。だけど会話もない。食事の時ですらもだ。なぜ会話しなかったのかは分からないが、彼女が話しかけてこなかったというのもあるかもしれない。ただひたすら西へ、西へと。そこに何かがあるわけでもなく、ただ最終目的地としてそこを設定したが為だけに、僕たちは西へと進んだ。歩けば何日もかかる道のりも列車に乗ればほんの数時間でつく。僕たちはあっという間に西へと横切っていく。山を越えて、小さな村をもこえて、そしてたどり着いた。本当はもっと先のような気がしていた。終わりが来るのはずっと先でこれから彼女と長い旅をするものだとも思った。けれどそれは甘えだ。僕の自身の目的は彼女と旅をすることではなく『リセット』なのだから。
夕暮れのなかオレンジ色に染まった車体の列車は音を立てて停車した。ホームに降りてその先を見る。その先に線路はなかった。あたり前のことだ。終点に先はない。終点の駅は小さな町があった。都会にあるようなコンビニや大型スーパーなんてものが見当たらず、小さな商店街からにぎやかな声が聞こえてくる。都会では失われてしまった温かさがこの町には残っていた。
「いい町だな。」
子どもが僕たちの横を走り抜けていく。
「いい町だね。」
僕たちは商店街の中を抜けていく。買い物かごを持った人や、部活がえりなのか野球のユニフォームを着ている人たちもいた。そのすべてが温かく羨ましいと感じた。そんな中、見知らぬ二人組を奇妙なものを見る目がある気がした。よそ者であるのは間違いないのだから仕方がない。ここはまるで異国のようで僕には程遠いもののように感じた。
小さな町の商店街だからそこまで長くはない。すぐに端までたどり着いてしまった。最後の西の端にぽつんと佇んでいるのは小さなカメラ屋だった。デジカメ全盛期の時代にこの手の店がやっていけるのかと思い少し興味がわく。看板の文字もペンキがはがれてよく読めない。先ほどまでの活気とは異なり重く暗いといった言葉の方が似合ってしまう。だが店先の小さなショウウィンドウの中にある写真が目に飛び込んできた途端、それまでの感想なんてどこかに消え失せてしまった。
深い深い青だった。青が写真いっぱいに広がっていた。かろうじてところどころに見える白い模様でそれが海だとわかる。海と言っても南国の透き通るようなものではなく、本当に暗く深い海だ。その奥底まで見せない海に僕は心をひかれた。まるで子供のようにショウウィンドウの中を覗き込む僕の横から、彼女もその写真を見た。
彼が一軒の店の前で立ち止まる。今までそんなことはなかったので実はちゃんと周りを見てないんじゃないかなんて思っていたがそうではないらしい。彼が見ていたものは一枚の写真だった。古い写真だ。長い間置かれていたのか日に当たり焼けていた。その深い深い青色が何とも印象的だ。
「この近くで撮ったのかな?」
「そうかもしれない。なんだろう、この写真。なぜだかわからないけど魅かれるんだ。」
少年は子供の様に夢中で写真を眺めていた。
からんというベルが鳴る音がして店の扉が開いた。出てきたのは一人の老人だった。腰が曲がり、その髪は真っ白で、ゲームに出てくる長老や仙人のような老人だ。老人は静かに見下ろすように私たちのことを見た。
「この写真の海に興味があるのか。」
深い声で老人はつぶやいた。忘れようとしても忘れられない声で。
「ええ。すごく興味があります。どこにあるんですか?」
彼が老人を見ることなく尋ね返すと老人はふっと笑って君もか、とつぶやいた。
「その写真はな、今までも多くに人を引き付けてきた。」
老人はそういいながら海の写真をさびしそうに見つめる。気のせいだろうか、老人から潮の香りが漂っているような気がした。
「この写真に引き付けられるということは君たちもやっぱり普通じゃないんだろう。この写真に引き付けられた人はみんなそうだった。君たちも気を付けるといい。」
そういって老人は白髪頭を描きながら店の奥へと引き換えしていった。その間も彼は決して老人と目を合わせることはなく、ただ海の写真を見続けていた。
深い深い海の写真。ところどころに波があり海だとわかるこの写真。この写真を撮った人物はいったい何を考えこの写真を撮ったのだろうか。私にはその人の気持ちを理解することが出来なかった。言うまでもないがいつものことなのだが。
たっぷり10分ほどたつと彼はおもむろに立ち上がり再び西の方へと歩きだした。商店街はここで終わりその先に待っているのは温かな空気で包まれている住宅街だ。家々にはオレンジ色の明かりがぽつぽつとともり始め、それとは反対に陽が沈みあたりは暗くそして冷たくなり始めていた。まるで家の中だけに幸せを押しとどめているかのように閑散とした住宅街を抜けていく。児童公園を横切り、小学校の横を通り過ぎ、ただ西へ西へと歩く。彼は先程の写真のことを考えているのか、黙ったままで私の前を歩き続けていた。
彼が立ち止ったのはしばらく歩いたところにあった小さな川だった。いや、小川だ。ちょろちょろと申し訳程度に流れているだけだ。ただ少し丘のようになっていて高いところにあるせいかベンチなどがおかれていた。その近くには大きな桜の木があり、その蕾は今にも開きそうなほど大きく膨らんでいた。
「今日はここで休むか。」
彼のいつもの一言で今日の旅は終わる。ただ私には終わりが近づいてきているような気がしてその一言が寂しくもあった。