#0001:春なんです
20XX年 春 東京・風見 住宅街
春はあけぼの。
大昔、そんな事を言ったのは、はて、誰だっけか。
ここは日本。始まりと言えば春、という文化が何とも深く根付いた国である。
長い冬が明け、まってましたと言わんばかりに花々が咲き誇り、春一番が花弁を散らす。時代は変われど、その美しさを繋いで来た国である。
一度『大いなる破壊』を受けたものの、そこは自然の強さと言えようか、再生と新たな始まりを告げるようにすぐに花をつけ、今年はそれから幾度目になるだろうか。
そんな始まりの季節、春。
大昔なら花見やら宴やらで盛大に祝う事だろう―――
―――昔なら。
ウン千年という時の長さは、何かを大きく変えていく。大自然や美を重んじて来た日本ですら、例外ではない。特に若者は。
春はあけぼの、などと呑気な事を抜かしてる場合ではなく、いつだってティーンエイジャーは忙しい。割り増し春の朝は特に。何でかって?
この時期の気候と言うのは暖かく、陽射しは優しく―――高校地理でいう温暖湿潤気候(Cfa)―――春休みも終わったはずの中高生は誘われてしまう――――――睡魔に。
嗚呼、何て寝るには最適な季節、お疲れ高校生には幸か不幸か。
さて、そんなついうっかりが多発するこの春、睡魔の魔法にひっかかった人間が此処にも一人。
トットトット…ドタタッ!
「痛ったぁ……」
閑静な住宅街。そのある家の一つから、慌ただしい音が聞こえた。
靴下履きながら階段をケンケンで降りるというそんなのフラミンゴでも無理だろうというような芸当をやっていたため少女は階段からずっこけた。
急いでシャワーを浴びて乾かし整えたまだあたたかい髪が、少し乱れたが、そんな場合では無い。なぜなら、お察しの通り、うっかり寝過ごしたからだ。
「大丈夫~?どうしたのよ~?」
リビングから母親が覗くと少女は観念したのか階段の一番下に座りつつ靴下の形を整えカーディガンのボタンを閉めている。
「新学期だからってはしゃが無くても……」
「いやそうじゃなくて……」
何処かズレた発言に返事をしながら、身嗜みを整え終わった少女はリビングに小走りで駆け込み、早速テーブルの上の朝食をかきこむ。
至って昔っからベタな遅刻寸前の生徒の光景……ただ一つ、少女が食事をする椅子とテーブルがその座面と天板だけが浮遊している事を除いては。
「こらこら、あんまり早く食べると亜弥菜は胃が強くはないんだからさ」
リビングの端のソファに座りコーヒーをカップを持たずに飲んでいた父親が話掛ける。持たずに?
「それにまだ別に遅刻じゃないだろうに?」
「そうなんだけど……蒼ちゃんに今日行くって言ってあったのわすれてて」
「あらぁ今からあそこの宿舎までは間に合うかしらねぇ……」
この少女、どうやらありきたりな「先に行っちゃうよー」と呼ばれる側ではなく、自分から呼びに行くべき所をすっぽかしかけているらしい。
口にレタスとハムを雑に挟んだ食パンを頬張る。
「ところで、お兄ちゃんは?」
「もう先に行ったわよー、実験の準備があるからって」
「凄いなぁ、魔導機構工学…だっけ?魔導学とかはなからからわかんないもん」
「まぁ亜弥菜が生まれるちょっと前に出来たばかりだからなぁ……でも新学期のテストには魔導学も出るんだろう?」
「うっ」
軽く朝食を詰まらせつつ明後日のテストを少し心配した。
高校では魔導学基礎だが非化学科目の難しさは子供達からしたら泣きたいものがあり、彼女も例外ではないらしい。
「なんならお父さんかお兄ちゃんにまた教えてもらったら?二人とも専門家なんだし」
「そうなんだけど…」
(正直、二人とも生まれつきの優秀だろうからなぁ、教え方が……)
親も優秀、息子も優秀……その家庭の末っ子のプレッシャーが半端では無いことは言うまでもない。
それも一方は大学教授、もう一方はかのT大の魔導学研究生ともなれば……自分のそのまさに基礎の基礎な内容のちょっと前テストの点数など思い出したくもない。
少女は話題をごまかすかの様に慌ただしく朝食を終え、鞄を肩に掛ける。
「うん……よし、行ってきまーす」
「ちょっとー?お弁当はー?」
「わぁあぁ……っとと……」
「蒼哉くんの分もあるからねーよろしくねー」
「ありがと……んーよし、行ってきます!」
「気をつけろよー」
「はぁーい」
少女―――希崎亜弥菜は、腕時計を確認しつつ、ひとりでに開く玄関の門を飛び出す。
文明はそろそろ発展の限界なのか、それとも完成に近いのか、こうして50年程前からほとんど変わっていない。
中高生の日常だって、平成あたりからは流行以外はほとんど変化がない――――――ただ一つ、
魔法という新たな概念が生まれただけで。
亜弥菜は、住宅街を掛け、表の広い通りのバス停まで急ぐ。
いつもなら、その通りをそのまま進んで駅から通学だが、今日はそうじゃない。
(いつもは起こしに行く立場が寝過ごしはマズいよねぇ……)
バス停あと10mのところで、バスが迫った。脚の運びを早め、半ば駆け足乗車でバスに飛び乗る。
どうやら運よく最新式のバスの便で中は小綺麗、動力が天然魔鉱式だから騒音も揺れも少なく、運転も自動式だ。バスジャックの心配もあまりない。
ぽつぽつと人が座る車内、亜弥菜も他人から少し離れ目に座る。
『次は―――風見町市営団地―――風見町市営団地―――……』
(まだまだ先か……うぅ……眩し……)
窓の外をぼんやり見上げたら、きっちり洗顔してシャワーもざっと浴びたにも関わらず睡魔の誘惑が抜けきらない目には春のやわらかな朝日でも少々負担なようだ。
ただ、ここで睡魔のせいで乗り過ごしたら洒落にならない、と内心思い、頬を軽くぺちぺちと叩いた。
『風見稲荷公園―――風見稲荷公園―――……』
リンゴーン
誰かが降車ボタンを押したようだ。見ると近くに居たおばあさんがゲートボールのバックを背負って立つ降りる準備をしている。
楽しいのかなぁ、などと考えながら変わらず窓枠に手をついている。
その後も、色々な人が乗ったり降りたりするのを見届ける。都会のバスだからどんなに乗っても料金は一律、聞いた話によると田舎は違うんだっけ………?
などと考えていると、
『次は――魔検官本部第七支部前――――魔検官本部第七支部前―――……』
リンゴーン
今ボタンを押したのは亜弥菜である。
押す所を見ていた後ろの席に居た主婦らしき女性が少々驚いた事を彼女は気づいただろうか。
なんの変哲も無い女子高生が何故魔検に?という疑惑の表情をその女性はしたが、やはりこの現代社会、人の事情をまじまじ気にする人など居ない。
バスが静かに到着すると、ポケットから携帯端末を出し、画面とは逆の面を支払い処理の機械のタッチ面にかざす。
好きで小銭を出す人もいるが―――自分もうっかり料金チャージし忘れると財布を出す―――今はそんな時間はない、着いた限りは急ぎたい。
『ご乗車、ありがとうございました―――』
停留所のアナウンス同様自動で流れる無機質な音声を後ろに聞きつつ、問題の施設へと入っていく。
正式名称、対魔導犯罪・魔導検察保安官本部東京第七支部。
朝鮮民主主義人民共和国や地球連邦軍機動兵器教育訓練軍団付属士官学校などといった単語に負けず劣らず漢字が長いこの施設。
通称、第七魔検。
何故そんな施設に?と言われた所で、結論は既に述べてある。
ここの宿舎で寝泊まりしているのが、今朝の約束の相手―――実は亜弥菜の幼なじみ―――である。
ついでにここには呼び起こすべき相手がもう一人居たりするが、それはまた後の話。
宿舎の前に行くと、呼び起こすどころか、その相手は既に玄関の外で制服に学生鞄を持ってドアに寄りかかっている。
すこーし顔をにやけさせつつ、すこーし内心ヒヤッとしつつ、彼に話しかける。
「ごめん―――待った?」
「いや、そんなに」
ふぅーーー。
と少し安心する。だが、それもつかの間、
「まぁそんな事だろうとは思ってたしさ、ゆっくり準備してたよ」
「うぅ……」
「ところで、今日は髪留めしなくて良いの?」
「えっ?……あ」
階段から落ちたあと手櫛とブラシで軽くとかしたものの……最近はいつもお洒落として髪をちょんとまとめているのだが、それを忘れていた。
「んー……今日はノーマルって事でいい……かな?」
「俺に聞かれてもなぁ、なんなら疾風が使ってるのもあるけど」
「いいよ、自然派スタイルでいきます、今日は」
「でも体育あるんじゃないっけ今日?」
「それは別に持ってるから大丈夫」
カーディガンの袖をまくって手首につけた数本の髪止めゴムを見せる。
「……それ使えばいいじゃん」
「汗かく時用は別なの」
「あぁ、なるほど」
亜弥菜が呼び起こす予定だったこの幼なじみの男子―――立風蒼哉は心の中で女子のこだわりはわからんなぁ、とボヤく。もちろん、長い付き合いだからその辺のこだわりは承知しているから口にはしない。
「さてと……忘れものは、と」
「大丈夫?」
「亜弥菜が大丈夫なら大丈夫だよ、きっと……あっ」
「どうしたの?」
「いや、でっかい『忘れ者』」
蒼哉の隣の部屋の玄関がバン!と開き、中から髪一つを一つ縛りにした同じ制服の男子が出てくる。そして出て来た途端にこけて顔から落ちた。
うつ伏せのまま顔だけを蒼哉と亜弥菜の方に向け、
「セぇえー……ふ?」
「おはよー、今行こうとしたとこ」
「ギリギリな、寝坊助カイト」
このやたら朝からギャグマンガ的展開をかます鮫嶋海翔が、でっかい一つの忘れ物。
「2年の始業式でいきなり遅刻はナイもんなぁ」
「マジで焦ったぞ今日は……」
「目覚ましは?」
「かけた。でも気付いたら足で止めてた」
「上下逆転する寝相の悪さを何とかしろよ」
「いや、今日はベッドに対して垂直までだった」
「どっちでもいいが寝坊助をそろそろ返上しような」
何と無く人の事を言えずにいた少女が傍にいたのだが。
寝相は悪く無いけど寝坊助具合は負けてない……
「ともかく、そろったし、バスもそろそろだし、」
「さーて、行くか」
「……あ゛ー、初日から英語だるっ」
ふと蒼哉が振り帰り、自分の部屋のドアへ声を掛ける。
「疾風、留守番よろしくなー」
『アイヨ』
小さく中から返事がした。
亜弥菜が行こう、と蒼哉を促し、海翔がズボンの砂を掃うのも程々に二人を後ろから追いかける。
何も変わらない、何十年と変わっていない、ハイティーン達の光景。
微笑ましき、春の光景。
――――――しかし、昔だったら、こんな施設から登校するなどという事は無かった。
こんな施設すら無かった。
およそ20年前、世界は一度終わりを迎えた。だが、人類は生き残った。新たなる力とともに。世界をまるごと変える力とともに。
黒奇獣の消滅からおよそ20年。世界は第三次産業革命――――――またの名を魔導エネルギー革命――――――の時代である。
そして、これはそんな時代を生きる少年少女の物語。
To be continued......