NPCでも恋はしたい!
「今日も平和ねぇ」
私は村の広場で、いつもの台詞を口にした。
目の前を通り過ぎる冒険者たちに笑顔を振りまき、必要に応じてクエストを案内する。
ここはVRMMORPG『エターナル・クロニクル』。
剣と魔法、ドラゴンと冒険者たちが織りなす、壮大なファンタジー世界である。
そして私は、始まりの村リーフ村に配置されたNPC――ミリア。
年齢十八歳。職業、村娘。
好きな食べ物はアップルパイ。
趣味は村の住人とのおしゃべり。
……という設定になっている。
「ミリアちゃん! 今日もかわいいね!」
「ありがとうございます、冒険者様」
「ねえねえ、俺とデートしない?」
「申し訳ありません。私は村から離れることができない設定になっております」
「設定って何!?」
ちなみに、私の本名はミリアではない。
私はこのゲームの開発スタッフの一人である。
正確には、キャラクターAIとNPCの会話システムを担当しているプログラマーだ。
そして現在、私は自分の開発したゲームの中にいる。
なぜそんなことになっているのか。
話は一週間前に遡る。
新型フルダイブシステムの最終テスト。
開発スタッフが実際にNPCとしてゲーム内に入り、プレイヤーと同じ環境でAIの挙動を確認するという試験が実施された。
その実験に志願したのが私だった。
理由は単純。
自分が作ったNPCが、実際にどう見えるのか気になったからだ。
もちろん、ゲーム内ではNPCとして行動するための制限がかかっている。
外見も、名前も、行動パターンも設定済み。
ただし、中身は私本人。
ゲームの外では普通に二十六歳の独身女性である。
……独身である。
大事なことなので二回言っておく。
何が言いたいかというと。
「はぁ……」
私はため息をついた。
恋人が欲しい。
いや、別に恋人がいないことを気にしているわけではない。
ただ、こういうファンタジー世界に来たからには、素敵な出会いの一つや二つあってもいいじゃないか。
しかし、現実は厳しい。
目の前を通り過ぎるプレイヤーたちは、私をクエスト発行装置か何かだと思っている。
「薬草採取の依頼!」
「はい、こちらが依頼書です」
「報酬は?」
「薬草十本につき銀貨三枚です」
「安っ!」
知らんがな。
その報酬額を設定したのは私ではない。
いや、私だったかもしれない。
数年前のことだから覚えていない。
「はぁ……」
もう一度ため息をつく。
そのときだった。
「こんにちは」
不意に、穏やかな声が聞こえた。
顔を上げる。
そこには、一人の男性プレイヤーが立っていた。
黒髪に黒い瞳。
初心者向けの革鎧に、使い込まれた片手剣。
頭上にはプレイヤー名が表示されている。
――カイ。
「こんにちは。冒険者様。本日はどのようなご用件でしょうか?」
いつもの営業スマイルを浮かべる。
「実は、宿屋の場所が分からなくて」
「それでしたら、広場を右に曲がった先にございます」
「ありがとうございます。助かりました」
彼はそう言って、軽く頭を下げた。
……。礼儀正しい。
何というか、ものすごく礼儀正しい。
いや、当たり前のことなのだけれど。
私に話しかけてくるプレイヤーの大半は、挨拶もせずに用件だけを告げる。
それなのに彼は、きちんとお礼を言ってくれた。
しかも、笑顔が爽やか。
声も落ち着いている。
何より、こちらの目を見て話してくれる。
……あれ?
ちょっと待って。
この人、かなりカッコよくない?
「あの」
「はい?」
「何か困ったことがあれば、また聞いてもいいですか?」
「もちろんです!」
思わず声が弾んだ。
彼は小さく笑い、宿屋へ向かって歩き出した。
私はその背中を見送る。
そして、ぽつりと呟いた。
「……なんかこのプレイヤー、カッコ良すぎない!?」
その瞬間、私は重大なことに気づいた。
そういえば。
私、今、ゲームの中にいるんだった。
つまり。
これは人生初の、VRMMO内恋愛イベントなのでは!?
……いや、待て。
落ち着け。
私は開発者だ。
ゲームの仕様を知り尽くしている。
恋愛イベントがどのように作られているかも知っている。
そもそも、私が担当したNPCには恋愛機能など実装されていない。
だから、これは恋ではない。
単なる好奇心だ。
そう。
単なる好奇心。
「……また会えるかな」
私は小さく呟いた。
この時点で、既に手遅れだった。
*
翌日。
私は朝から落ち着かなかった。
「ミリア、どうしたの? 今日はずいぶん機嫌がいいわね」
隣に立つ女性NPC――エマが話しかけてきた。
彼女も、私と同じく開発スタッフが操作しているテスト用NPCである。
中身は同僚の佐藤さん。
ちなみに、佐藤さんは三十二歳の既婚者だ。
「別に何でもないわよ」
「そう? 昨日からずっと広場の入口を見ているけれど」
「気のせいよ」
「カイさんを待っているんでしょう?」
「ぶっ!?」
危うく吹き出すところだった。
「な、何で知ってるの!?」
「昨日、あなたが彼を見送ったあと、十分くらいその場で固まっていたからよ」
「見てたの!?」
「見てたわよ。すごい顔してたもの」
「どんな顔よ!」
「恋する乙女の顔」
「やめて!」
私は顔を覆った。
NPCの姿で恥ずかしがっている三十二歳の女性に、恋する乙女などと言われたくない。
いや、私も二十六歳だけど。
「それで、どうするの?」
「どうするって?」
「アプローチしないの?」
「無理よ。私はNPCだもの」
「中身は開発者でしょう?」
「そうだけど!」
「なら、ゲームの仕様くらい何とかできるんじゃない?」
その手があったか。
私は思わず目を見開いた。
そうだ。
私は開発者だ。
このゲームのシステムを知り尽くしている。
NPCの行動範囲を広げることもできるし、会話パターンを変更することもできる。
何なら、プレイヤーの好感度を確認することだって可能だ。
ふふふ……。
これは勝った。
恋愛において、情報は武器だ。
私は心の中で高笑いした。
「ただし」
エマが釘を刺す。
「不正アクセスはダメよ?」
「分かってるわよ!」
……少しくらいなら。
いや、ダメだ。
私は真面目な開発者である。
規約は守る。
絶対に守る。
たぶん。
そんなことを考えていたときだった。
「あ、ミリアさん」
聞き覚えのある声。
振り返る。
そこには、昨日の彼がいた。
「カイさん!」
「こんにちは。昨日はありがとうございました」
「い、いえ! こちらこそ!」
彼は爽やかに笑った。
ああ、今日も素敵。
私は心の中で悶絶した。
「ところで、少し聞きたいことがあるんですが」
「何でしょう?」
「この村に、料理を教えてくれる人っていませんか?」
「料理、ですか?」
「ええ。ゲームを始める前から料理が好きで、せっかくなら生産スキルも上げてみたいと思って」
料理。
私は思わず反応した。
実は、このゲームの料理システムはかなり作り込んでいる。
食材の組み合わせによって料理の品質が変化し、NPCの評価によって特殊な称号が獲得できる仕組みだ。
そして、村には料理スキルを教えてくれるNPCがいる。
……私ではない。
料理長である。
「それでしたら、村の料理長に話を聞いてみるといいですよ」
「ありがとうございます」
「よろしければ、ご案内しましょうか?」
「いいんですか?」
「もちろんです!」
やった!
自然な流れで一緒に歩ける!
私は心の中でガッツポーズをした。
……しかし。
そのとき、ふと思い出した。
私のNPCとしての設定。
移動可能範囲、村の広場から東側の商店街まで。
料理屋は西側。
つまり、私は本来そこまで移動できない。
どうする?
どうする私!?
ええい!
こうなったら……!
「……あら?」
私はわざとらしく首を傾げた。
「どうかしました?」
「実は、私も料理長に用事があったんです」
「そうなんですね」
「ええ! ちょうどいいので、一緒に行きましょう!」
よし。
自然だ。
完璧だ。
これなら誰も疑わない。
私はカイと並んで歩き始めた。
その直後。
『警告:NPC行動範囲外への移動を検知しました』
うるさいわね!
分かってるわよ!
私は開発者なの!
このくらいの警告は無視できる!
……後でログを確認しよう。
*
それから数日。
私はカイと何度か会話をした。
彼は毎日のように村を訪れ、薬草を採取したり、装備を整えたりしている。
どうやら、かなり慎重にゲームを進めるタイプらしい。
そして、彼には一つ不思議な習慣があった。
それは、モンスターを倒したあとに必ず黙祷すること。
このゲームでは、モンスターを倒すと素材や経験値が手に入る。
そのため、ほとんどのプレイヤーは効率よく狩りを進めることに集中している。
しかし、カイは違った。
「……悪いな」
倒したモンスターに向かって、小さく呟く。
そして、必要な素材だけを採取する。
最初は不思議に思った。
けれど、彼と話すうちに理由が分かった。
「ゲームとはいえ、命を奪うわけですから」
彼はそう言った。
「もちろん、そういう世界だって分かっています。でも、だからといって何も感じなくなるのは違うと思うんです」
私は少しだけ、彼を見つめた。
このゲームを作ったのは私たちだ。
モンスターの行動パターンも、鳴き声も、倒れたときの演出も、すべてプログラムによって作られている。
けれど、彼はそこに物語を見ている。
ゲームの中の出来事を、ただの数字やデータとして扱っていない。
それが、なんだか嬉しかった。
「ミリアさん?」
「はい?」
「どうかしました?」
「いえ。カイさんって、優しい方なんですね」
「そうですか?」
「はい」
彼は少し照れたように笑った。
ああ。
好き。
これ、好きだ。
私は確信した。
しかし、同時に問題もあった。
私は彼のことを知りすぎている。
彼がどのクエストを受けているのか。
どんな装備を使っているのか。
どのモンスターを倒したのか。
ゲームの管理画面から確認できるのだ。
……いや、確認してはいけない。
これは職権乱用だ。
私は自分に言い聞かせた。
しかし。
その夜。
私は自宅のパソコンの前で、ゲームの管理画面を開いていた。
『プレイヤー情報』
『名前:カイ』
『レベル:12』
『職業:剣士』
『所属ギルド:なし』
『称号:初心者冒険者』
「ふむふむ……」
なるほど。
まだギルドに所属していないのか。
しかも、レベル十二でボスモンスターに挑戦している。
無茶をするタイプではなさそうだけど、冒険好きなのは間違いない。
「私、何してるんだろう」
ふと我に返った。
これはダメだ。
完全にダメだ。
好きな人の個人情報を業務用端末で調べるなんて。
私は開発者として最低だ。
そう思いながら、画面を閉じようとした。
そのとき。
『プレイヤーの行動履歴を表示しますか?』
「…………」
表示する。
……いや、しない!
しないったらしない!
私は画面を閉じた。
そして、椅子の背もたれに体を預ける。
「……明日、会えるかな」
その日、私は初めて自分の仕事が少しだけ嫌になった。
ゲームの仕様を知っているからこそ、分かってしまう。
この恋は、決して対等ではない。
彼は私をNPCだと思っている。
そして私は、彼がプレイヤーであることを知っている。
それでも。
明日も会いたいと思ってしまうのだった。
*
ある日。
私は決心した。
カイに手作りのアップルパイを渡そう。
この世界では、NPCがプレイヤーに料理を渡すことは珍しくない。
しかし、私の場合は少し違う。
なぜなら、私は料理が苦手だからだ。
「料理長!」
「おう、ミリア。どうした?」
「アップルパイの作り方を教えてください!」
「急にどうした?」
「好きな人に食べてもらいたいんです!」
「おお!」
料理長は豪快に笑った。
「青春だな!」
「えへへ……」
「よし! 任せろ!」
こうして、アップルパイ作りが始まった。
小麦粉をこねる。
リンゴを切る。
砂糖を加える。
バターを混ぜる。
そして焼く。
「焦げた」
「うむ」
二回目。
「生焼け」
「うむ」
三回目。
「形が崩れた」
「うむ」
四回目。
「これは……何だ?」
「アップルパイです!」
「……そうか」
料理長が遠い目をした。
ひどい。
しかし、諦めるわけにはいかない。
私は五回目に挑戦した。
そして。
「できた!」
ついに完成した。
黄金色に焼き上がったパイ。
表面には綺麗な焼き目がつき、甘い香りが漂っている。
「おお! 上出来じゃないか!」
「本当ですか!?」
「うむ。これなら十分食えるぞ!」
「ありがとうございます!」
私はアップルパイを大切に包んだ。
そして、カイを探しに村の入口へ向かった。
……いた。
今日も黒髪が美しい。
私は深呼吸をする。
「カ、カイさん!」
「ミリアさん。こんにちは」
「こ、こんにちは!」
私は包みを差し出した。
「あの、これ!」
「これは?」
「アップルパイです! 私が作りました!」
「えっ。手作りですか?」
「はい!」
カイは少し驚いた顔をした。
そして、嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。いただいてもいいですか?」
「もちろんです!」
彼は包みを開けた。
アップルパイを一口。
もぐもぐ。
……どう?
どうなの!?
おいしい!?
まずい!?
お願いだから吐き出さないで!
「……おいしい」
しゃあ!!!!
私は心の中でガッツポーズをした。
「本当においしいです。ありがとうございます」
「い、いえ! そんな!」
「また作ってもらってもいいですか?」
「もちろんです!」
その瞬間。
私の脳内に、開発者用の通知が表示された。
『NPC行動ログ』
『対象:ミリア』
『プレイヤー:カイ』
『好感度変動:なし』
は?
いやいやいや。
ちょっと待って。
好感度変動なし?
何で!?
私はアップルパイを作ったのよ!?
五回も失敗して、六回目でようやく完成したのよ!?
それなのに、好感度変動なし!?
私は思わず管理画面を確認した。
そして、ようやく気づいた。
そもそも、私のNPCデータには恋愛パラメータが存在しない。
当然だ。
私は村娘NPCとして設計されている。
プレイヤーとの恋愛など、想定されていない。
つまり。
私は恋愛ゲームのヒロインではなく、ただのモブNPCなのである。
「……ミリアさん?」
「はい!?」
「顔色が悪いですよ?」
「だ、大丈夫です!」
私は慌てて笑顔を作った。
大丈夫。
問題ない。
恋愛パラメータがなくたって、恋はできる。
私は開発者だ。
ゲームの仕様なんて、どうにでもなる。
……いや。
どうにかしてはいけない。
私は一度、深呼吸をした。
これは仕事だ。
恋愛と仕事は別。
そう。
別なのだ。
……でも。
「カイさん」
「はい?」
「今度、私にも料理を作ってくれませんか?」
「いいですよ」
彼は笑った。
「ぜひ食べてもらいたいです」
好き!!!!
私は心の中で叫んだ。
*
翌日。
私は開発室にいた。
正確には、現実世界に戻ってきた。
テストセッションの休憩時間である。
「お疲れ、ミリア」
同僚の佐藤さんが声をかけてきた。
「お疲れさまです」
「どう? NPCの挙動は?」
「問題ありません」
「本当に?」
「……はい」
「何か隠してない?」
「隠してません」
私は目を逸らした。
佐藤さんは怪訝そうな顔をした。
「そういえば、昨日のログに変な記録があったんだけど」
「変な記録?」
「ミリアの行動範囲が何度も逸脱しているのよ」
「…………」
「あと、プレイヤーのカイって人と接触する頻度が異常に高い」
「…………」
「それから、NPCの会話ログに『カイさん、素敵……』って記録が残ってた」
「…………」
「ミリア?」
「……はい」
「何してるの?」
私は観念した。
「恋をしています」
「は?」
「恋です」
「誰に?」
「プレイヤーのカイさんに」
「…………」
「佐藤さん?」
「あなた、何歳だっけ?」
「二十六歳です」
「そう」
「はい」
「……青春ね」
「やめてください!」
佐藤さんは大笑いした。
しかし、すぐに真面目な顔になる。
「でも、気をつけなさいよ」
「何をですか?」
「あなた、開発スタッフでしょう。テスト環境とはいえ、プレイヤーに対して特別な操作をするのは問題になるわ」
「分かっています」
「ゲーム内の行動を操作したり、好感度を勝手に変更したりするのもダメ」
「分かっています!」
「本当に?」
「……分かっています」
私はしゅんとした。
分かっている。
分かっているのだ。
彼に好かれたいからといって、ゲームの仕様を勝手に変更するのは違う。
そんなことをしたら、彼が好きになってくれたとしても、それは本当の気持ちではない。
「まあ、頑張りなさい」
佐藤さんは笑った。
「ただし、仕事はちゃんとすること」
「はい!」
私は元気よく返事をした。
そして、再びゲームにログインした。
村の広場。
いつもの景色。
いつもの住人たち。
いつもの仕事。
そして。
「ミリアさん!」
カイさんだ!
彼は私を見つけると、笑顔で手を振ってくれた。
「こんにちは!」
「こんにちは。今日はどうされたんですか?」
「実は、ミリアさんに渡したいものがあって」
「私に?」
「はい」
彼はアイテム欄から、一つの包みを取り出した。
「これ、昨日のお礼です」
包みを開く。
中には、焼きたてのアップルパイが入っていた。
「えっ……」
「まだ料理スキルが低いので、見た目はあまり良くないんですが」
確かに、少し形が崩れている。
焼き色も不均一だ。
しかし。
「ミリアさんが作ってくれたものがおいしかったので、俺も挑戦してみました」
私は言葉を失った。
私のために。
彼が。
アップルパイを作ってくれた。
「食べてもらえますか?」
「……はい」
私は一口食べた。
甘い。
少し焦げている。
でも、とてもおいしい。
「おいしいです」
「本当ですか?」
「はい!」
私は笑った。
そして、気づいた。
今まで何度もゲームの中で、プレイヤーからアイテムを受け取ったことがある。
でも、こんなに嬉しいと思ったことはなかった。
これは、ただのアイテムではない。
彼が私のために作ってくれたものだ。
「ありがとうございます、カイさん」
「どういたしまして」
彼は笑った。
その笑顔を見て、私は思った。
やっぱり。
私はこの人が好きだ。
NPCとしてではなく。
開発者としてでもなく。
ただの一人の人間として。
*
それから数日後。
私はカイと一緒に村の外へ出ていた。
もちろん、テスト環境での特別な許可を得ている。
NPCが村の外へ出ることは通常できないが、今回は開発チームが許可した特別な検証イベントという扱いだ。
……本当は、私が申請した。
仕事である。
仕事なのだ。
決してデートがしたかったわけではない。
決して。
「ミリアさん、あそこに綺麗な花畑がありますよ」
「まあ、本当ですね!」
目の前には、一面に広がる花畑。
色とりどりの花が風に揺れ、遠くには小さな湖が見える。
この景色を作ったのは、私たち開発スタッフだ。
地形を設計し、植物の配置を決め、風の演算を調整した。
何度も何度も修正した。
でも、こうして誰かと一緒に眺めるのは初めてだった。
「綺麗ですね」
「はい」
「ゲームの中だって分かっていても、こういう景色を見ると感動します」
「……そうですね」
私は小さく笑った。
彼は、この世界を楽しんでくれている。
私たちが作った世界を。
それが、何より嬉しかった。
「ミリアさん」
「はい?」
「一つ聞いてもいいですか?」
「何でしょう?」
「ミリアさんは、この世界が好きですか?」
「…………」
私は少し考えた。
そして、答えた。
「大好きです」
「どうしてですか?」
「私が作った世界だから、というのもあります。でも、それだけじゃありません」
私は彼を見上げた。
「この世界には、たくさんの人がいます。冒険者も、村人も、商人も。みんなそれぞれの生活をしていて、笑ったり、怒ったり、悲しんだりしています」
「はい」
「私たちが作ったのは、ただのゲームかもしれません。でも、そこに来てくれる人たちが楽しんでくれるなら、それはとても素敵なことだと思うんです」
カイは黙って聞いていた。
「だから、私はこの世界が好きです」
「……そうですか」
彼は微笑んだ。
「俺も、この世界が好きです」
その言葉が、胸に染みた。
しばらく二人で花畑を歩く。
そして、私は思い切って尋ねた。
「カイさん」
「はい?」
「私のこと、どう思いますか?」
「どうって……?」
「その……NPCとしてではなく」
私は足を止めた。
「一人の人として、です」
彼は少し驚いた顔をした。
そして、しばらく考えたあと、口を開いた。
「正直に言うと」
「はい」
「ミリアさんと話していると、不思議な気持ちになります」
「不思議な気持ち?」
「ええ。NPCだって分かっているんです。でも、あなたと話していると、画面の向こうに誰かがいるような気がするんです」
……それは、そうだ。
実際にいるのだから。
私は思わず笑いそうになった。
「それで?」
「だから、もっとあなたと話したいと思っています」
「……本当ですか?」
「はい」
彼は少し照れくさそうに笑った。
「これからも、よろしくお願いします」
好き!!!!!!!!
私は心の中で叫んだ。
ああ、もう。
何なの、この人。
何でこんなにカッコいいの。
私は開発者だ。
彼の行動パターンも、ゲームの仕様も、すべて理解している。
でも、彼の気持ちだけは分からない。
だからこそ、嬉しい。
だからこそ、もっと知りたい。
「はい! こちらこそ!」
私は満面の笑みで答えた。
そのとき。
『システム通知』
『テスト対象NPC:ミリア』
『予期しない行動パターンを検出しました』
『感情パラメータの変動を確認』
『開発チームへ自動報告を送信します』
え?
ちょっと待って。
何これ?
感情パラメータ?
そんなもの、私のNPCデータには存在しないはずだ。
私は慌てて管理画面を開いた。
そして。
『ミリア:カイに恋愛感情を抱いている』
『感情強度:測定不能』
『行動予測:不可能』
『分類:未知』
ちょっと待てえええええええ!!
何なの!?
誰がこんな機能を実装したの!?
私の担当範囲じゃない!
そもそも、感情強度が測定不能って何!?
私は自分のキャラクターなのよ!?
そして、次の瞬間。
『開発チームからメッセージが届きました』
『件名:ミリアの挙動について』
『本文:お前、何やってる?』
佐藤さんだ。
絶対に佐藤さんだ。
私はそっと管理画面を閉じた。
「ミリアさん?」
「は、はい!」
「どうしました?」
「い、いえ! 何でもありません!」
私は笑顔を作った。
そのとき、カイがこちらに手を差し出した。
「そろそろ帰りましょうか」
「……はい!」
私はその手を取った。
そして、思った。
いつか、この人に本当のことを話そう。
私はNPCではないこと。
この世界を作った開発者の一人であること。
そして、あなたに恋をしていること。
そのとき、彼はどんな顔をするだろう。
驚くだろうか。
怒るだろうか。
それとも、笑ってくれるだろうか。
……できれば。
少しだけ、私のことを好きになってくれていたら嬉しい。
そんなことを考えながら、私は彼の隣を歩いた。
数日後。
開発室。
私はデスクに座っていた。
目の前のモニターには、ミリアの行動ログが表示されている。
『ミリア:カイと会話した』
『ミリア:カイに笑いかけた』
『ミリア:カイと花畑を散歩した』
『ミリア:カイと手を繋いだ』
『ミリア:カイのことを考えている』
「…………」
佐藤さんが隣から画面を覗き込む。
「ねえ、ミリア」
「はい」
「これ、どうするの?」
「どうするって?」
「このままじゃ、NPCの行動がどんどん自由になっていくわよ」
「……そうですね」
「しかも、プレイヤーのカイ君に対してだけ異常に反応してる」
「……そうですね」
「これ、バグじゃないの?」
私は少し考えた。
そして、キーボードに手を置く。
「いいえ」
「え?」
「バグではありません」
私は笑った。
「仕様です」
「どこがよ!」
佐藤さんのツッコミが開発室に響いた。
私は笑いながら、モニターを見つめる。
そこには、ゲーム内のミリアが映っていた。
花畑で、カイと楽しそうに話している。
私は小さく呟いた。
「NPCだって、恋はしたいんです」
その瞬間。
モニターに新しい通知が表示された。
『プレイヤー:カイ』
『ミリアへの贈り物を獲得しました』
『アイテム名:銀の指輪』
「佐藤さん」
「何?」
「私、明日もテストに参加します」
「仕事は?」
「もちろんします!」
「本当でしょうね?」
「はい!」
私は満面の笑みを浮かべた。
そして、心の中で叫んだ。
きゃあああああああああああ!!
指輪!
指輪ですよ!?
これって、もしかして!
いや、落ち着け。
ただの贈り物かもしれない。
でも!
でもでも!
これは期待してもいいのでは!?
……ちなみに、その日の夜。
開発チームのチャットには、こんなメッセージが投稿されていた。
『佐藤:ミリアがまた暴走してる』
『田中:今度は何?』
『佐藤:プレイヤーから指輪をもらったらしい』
『田中:草』
『鈴木:恋愛AIなんて実装した覚えないんだけど』
『佐藤:私もない』
『田中:ていうか、ミリアの中身って開発者本人だよね?』
『佐藤:そうよ』
『田中:……』
『田中:俺たち、何を開発してるんだっけ?』
『鈴木:VRMMORPG』
『田中:だよな』
『田中:なんで恋愛ドラマが始まってるんだ?』
そして翌朝。
ミリアはカイに向かって、満面の笑みでこう言った。
「カイさん! 今日も一緒に冒険しましょう!」
「いいですね。行きましょう」
「えへへ……」
今日も私はNPC。
そして、開発者。
でも、恋をしている一人の女の子でもある。
ゲームの仕様なんて関係ない。
だって。
NPCだって、恋はしたいのだから!




