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NPCでも恋はしたい!

作者: 藤ゴリラ
掲載日:2026/11/08

「今日も平和ねぇ」


 私は村の広場で、いつもの台詞を口にした。

 目の前を通り過ぎる冒険者たちに笑顔を振りまき、必要に応じてクエストを案内する。

 ここはVRMMORPG『エターナル・クロニクル』。

 剣と魔法、ドラゴンと冒険者たちが織りなす、壮大なファンタジー世界である。

 そして私は、始まりの村リーフ村に配置されたNPC――ミリア。

 年齢十八歳。職業、村娘。

 好きな食べ物はアップルパイ。

 趣味は村の住人とのおしゃべり。

 ……という設定になっている。


「ミリアちゃん! 今日もかわいいね!」

「ありがとうございます、冒険者様」

「ねえねえ、俺とデートしない?」

「申し訳ありません。私は村から離れることができない設定になっております」

「設定って何!?」


 ちなみに、私の本名はミリアではない。

 私はこのゲームの開発スタッフの一人である。

 正確には、キャラクターAIとNPCの会話システムを担当しているプログラマーだ。

 そして現在、私は自分の開発したゲームの中にいる。

 なぜそんなことになっているのか。

 話は一週間前に遡る。

 新型フルダイブシステムの最終テスト。

 開発スタッフが実際にNPCとしてゲーム内に入り、プレイヤーと同じ環境でAIの挙動を確認するという試験が実施された。

 その実験に志願したのが私だった。

 理由は単純。

 自分が作ったNPCが、実際にどう見えるのか気になったからだ。

 もちろん、ゲーム内ではNPCとして行動するための制限がかかっている。

 外見も、名前も、行動パターンも設定済み。

 ただし、中身は私本人。

 ゲームの外では普通に二十六歳の独身女性である。

 ……独身である。

 大事なことなので二回言っておく。

 何が言いたいかというと。


「はぁ……」


 私はため息をついた。

 恋人が欲しい。

 いや、別に恋人がいないことを気にしているわけではない。

 ただ、こういうファンタジー世界に来たからには、素敵な出会いの一つや二つあってもいいじゃないか。

 しかし、現実は厳しい。

 目の前を通り過ぎるプレイヤーたちは、私をクエスト発行装置か何かだと思っている。


「薬草採取の依頼!」

「はい、こちらが依頼書です」

「報酬は?」

「薬草十本につき銀貨三枚です」

「安っ!」


 知らんがな。

 その報酬額を設定したのは私ではない。

 いや、私だったかもしれない。

 数年前のことだから覚えていない。


「はぁ……」


 もう一度ため息をつく。

 そのときだった。


「こんにちは」


 不意に、穏やかな声が聞こえた。

 顔を上げる。

 そこには、一人の男性プレイヤーが立っていた。

 黒髪に黒い瞳。

 初心者向けの革鎧に、使い込まれた片手剣。

 頭上にはプレイヤー名が表示されている。

 ――カイ。


「こんにちは。冒険者様。本日はどのようなご用件でしょうか?」


 いつもの営業スマイルを浮かべる。


「実は、宿屋の場所が分からなくて」

「それでしたら、広場を右に曲がった先にございます」

「ありがとうございます。助かりました」


 彼はそう言って、軽く頭を下げた。

 ……。礼儀正しい。

 何というか、ものすごく礼儀正しい。

 いや、当たり前のことなのだけれど。

 私に話しかけてくるプレイヤーの大半は、挨拶もせずに用件だけを告げる。

 それなのに彼は、きちんとお礼を言ってくれた。

 しかも、笑顔が爽やか。

 声も落ち着いている。

 何より、こちらの目を見て話してくれる。

 ……あれ?

 ちょっと待って。

 この人、かなりカッコよくない?


「あの」

「はい?」

「何か困ったことがあれば、また聞いてもいいですか?」

「もちろんです!」


 思わず声が弾んだ。

 彼は小さく笑い、宿屋へ向かって歩き出した。

 私はその背中を見送る。

 そして、ぽつりと呟いた。


「……なんかこのプレイヤー、カッコ良すぎない!?」


 その瞬間、私は重大なことに気づいた。

 そういえば。

 私、今、ゲームの中にいるんだった。

 つまり。

 これは人生初の、VRMMO内恋愛イベントなのでは!?

 ……いや、待て。

 落ち着け。

 私は開発者だ。

 ゲームの仕様を知り尽くしている。

 恋愛イベントがどのように作られているかも知っている。

 そもそも、私が担当したNPCには恋愛機能など実装されていない。

 だから、これは恋ではない。

 単なる好奇心だ。

 そう。

 単なる好奇心。


「……また会えるかな」


 私は小さく呟いた。

 この時点で、既に手遅れだった。


 *


 翌日。

 私は朝から落ち着かなかった。


「ミリア、どうしたの? 今日はずいぶん機嫌がいいわね」


 隣に立つ女性NPC――エマが話しかけてきた。

 彼女も、私と同じく開発スタッフが操作しているテスト用NPCである。

 中身は同僚の佐藤さん。

 ちなみに、佐藤さんは三十二歳の既婚者だ。


「別に何でもないわよ」

「そう? 昨日からずっと広場の入口を見ているけれど」

「気のせいよ」

「カイさんを待っているんでしょう?」

「ぶっ!?」


 危うく吹き出すところだった。


「な、何で知ってるの!?」

「昨日、あなたが彼を見送ったあと、十分くらいその場で固まっていたからよ」

「見てたの!?」

「見てたわよ。すごい顔してたもの」

「どんな顔よ!」

「恋する乙女の顔」

「やめて!」


 私は顔を覆った。

 NPCの姿で恥ずかしがっている三十二歳の女性に、恋する乙女などと言われたくない。

 いや、私も二十六歳だけど。


「それで、どうするの?」

「どうするって?」

「アプローチしないの?」

「無理よ。私はNPCだもの」

「中身は開発者でしょう?」

「そうだけど!」

「なら、ゲームの仕様くらい何とかできるんじゃない?」


 その手があったか。

 私は思わず目を見開いた。

 そうだ。

 私は開発者だ。

 このゲームのシステムを知り尽くしている。

 NPCの行動範囲を広げることもできるし、会話パターンを変更することもできる。

 何なら、プレイヤーの好感度を確認することだって可能だ。

 ふふふ……。

 これは勝った。

 恋愛において、情報は武器だ。

 私は心の中で高笑いした。


「ただし」


 エマが釘を刺す。


「不正アクセスはダメよ?」

「分かってるわよ!」


 ……少しくらいなら。

 いや、ダメだ。

 私は真面目な開発者である。

 規約は守る。

 絶対に守る。

 たぶん。

 そんなことを考えていたときだった。


「あ、ミリアさん」


 聞き覚えのある声。

 振り返る。

 そこには、昨日の彼がいた。


「カイさん!」

「こんにちは。昨日はありがとうございました」

「い、いえ! こちらこそ!」


 彼は爽やかに笑った。

 ああ、今日も素敵。

 私は心の中で悶絶した。


「ところで、少し聞きたいことがあるんですが」

「何でしょう?」

「この村に、料理を教えてくれる人っていませんか?」

「料理、ですか?」

「ええ。ゲームを始める前から料理が好きで、せっかくなら生産スキルも上げてみたいと思って」


 料理。

 私は思わず反応した。

 実は、このゲームの料理システムはかなり作り込んでいる。

 食材の組み合わせによって料理の品質が変化し、NPCの評価によって特殊な称号が獲得できる仕組みだ。

 そして、村には料理スキルを教えてくれるNPCがいる。

 ……私ではない。

 料理長である。


「それでしたら、村の料理長に話を聞いてみるといいですよ」

「ありがとうございます」

「よろしければ、ご案内しましょうか?」

「いいんですか?」

「もちろんです!」


 やった!

 自然な流れで一緒に歩ける!

 私は心の中でガッツポーズをした。

 ……しかし。

 そのとき、ふと思い出した。

 私のNPCとしての設定。

 移動可能範囲、村の広場から東側の商店街まで。

 料理屋は西側。

 つまり、私は本来そこまで移動できない。

 どうする?

 どうする私!?

 ええい!

 こうなったら……!


「……あら?」


 私はわざとらしく首を傾げた。


「どうかしました?」

「実は、私も料理長に用事があったんです」

「そうなんですね」

「ええ! ちょうどいいので、一緒に行きましょう!」


 よし。

 自然だ。

 完璧だ。

 これなら誰も疑わない。

 私はカイと並んで歩き始めた。

 その直後。


『警告:NPC行動範囲外への移動を検知しました』


 うるさいわね!

 分かってるわよ!

 私は開発者なの!

 このくらいの警告は無視できる!

 ……後でログを確認しよう。


 *


 それから数日。

 私はカイと何度か会話をした。

 彼は毎日のように村を訪れ、薬草を採取したり、装備を整えたりしている。

 どうやら、かなり慎重にゲームを進めるタイプらしい。

 そして、彼には一つ不思議な習慣があった。

 それは、モンスターを倒したあとに必ず黙祷すること。

 このゲームでは、モンスターを倒すと素材や経験値が手に入る。

 そのため、ほとんどのプレイヤーは効率よく狩りを進めることに集中している。

 しかし、カイは違った。


「……悪いな」


 倒したモンスターに向かって、小さく呟く。

 そして、必要な素材だけを採取する。

 最初は不思議に思った。

 けれど、彼と話すうちに理由が分かった。


「ゲームとはいえ、命を奪うわけですから」


 彼はそう言った。


「もちろん、そういう世界だって分かっています。でも、だからといって何も感じなくなるのは違うと思うんです」


 私は少しだけ、彼を見つめた。

 このゲームを作ったのは私たちだ。

 モンスターの行動パターンも、鳴き声も、倒れたときの演出も、すべてプログラムによって作られている。

 けれど、彼はそこに物語を見ている。

 ゲームの中の出来事を、ただの数字やデータとして扱っていない。

 それが、なんだか嬉しかった。


「ミリアさん?」

「はい?」

「どうかしました?」

「いえ。カイさんって、優しい方なんですね」

「そうですか?」

「はい」


 彼は少し照れたように笑った。

 ああ。

 好き。

 これ、好きだ。

 私は確信した。

 しかし、同時に問題もあった。

 私は彼のことを知りすぎている。

 彼がどのクエストを受けているのか。

 どんな装備を使っているのか。

 どのモンスターを倒したのか。

 ゲームの管理画面から確認できるのだ。

 ……いや、確認してはいけない。

 これは職権乱用だ。

 私は自分に言い聞かせた。

 しかし。

 その夜。

 私は自宅のパソコンの前で、ゲームの管理画面を開いていた。


『プレイヤー情報』

『名前:カイ』

『レベル:12』

『職業:剣士』

『所属ギルド:なし』

『称号:初心者冒険者』


「ふむふむ……」


 なるほど。

 まだギルドに所属していないのか。

 しかも、レベル十二でボスモンスターに挑戦している。

 無茶をするタイプではなさそうだけど、冒険好きなのは間違いない。


「私、何してるんだろう」


 ふと我に返った。

 これはダメだ。

 完全にダメだ。

 好きな人の個人情報を業務用端末で調べるなんて。

 私は開発者として最低だ。

 そう思いながら、画面を閉じようとした。

 そのとき。


『プレイヤーの行動履歴を表示しますか?』


「…………」


 表示する。

 ……いや、しない!

 しないったらしない!

 私は画面を閉じた。

 そして、椅子の背もたれに体を預ける。


「……明日、会えるかな」


 その日、私は初めて自分の仕事が少しだけ嫌になった。

 ゲームの仕様を知っているからこそ、分かってしまう。

 この恋は、決して対等ではない。

 彼は私をNPCだと思っている。

 そして私は、彼がプレイヤーであることを知っている。

 それでも。

 明日も会いたいと思ってしまうのだった。



 *



 ある日。

 私は決心した。

 カイに手作りのアップルパイを渡そう。

 この世界では、NPCがプレイヤーに料理を渡すことは珍しくない。

 しかし、私の場合は少し違う。

 なぜなら、私は料理が苦手だからだ。


「料理長!」

「おう、ミリア。どうした?」

「アップルパイの作り方を教えてください!」

「急にどうした?」

「好きな人に食べてもらいたいんです!」

「おお!」


 料理長は豪快に笑った。


「青春だな!」

「えへへ……」

「よし! 任せろ!」


 こうして、アップルパイ作りが始まった。

 小麦粉をこねる。

 リンゴを切る。

 砂糖を加える。

 バターを混ぜる。

 そして焼く。


「焦げた」

「うむ」


 二回目。


「生焼け」

「うむ」


 三回目。


「形が崩れた」

「うむ」


 四回目。


「これは……何だ?」

「アップルパイです!」

「……そうか」


 料理長が遠い目をした。

 ひどい。

 しかし、諦めるわけにはいかない。

 私は五回目に挑戦した。

 そして。


「できた!」


 ついに完成した。

 黄金色に焼き上がったパイ。

 表面には綺麗な焼き目がつき、甘い香りが漂っている。


「おお! 上出来じゃないか!」

「本当ですか!?」

「うむ。これなら十分食えるぞ!」

「ありがとうございます!」


 私はアップルパイを大切に包んだ。

 そして、カイを探しに村の入口へ向かった。

 ……いた。

 今日も黒髪が美しい。

 私は深呼吸をする。


「カ、カイさん!」

「ミリアさん。こんにちは」

「こ、こんにちは!」


 私は包みを差し出した。


「あの、これ!」

「これは?」

「アップルパイです! 私が作りました!」

「えっ。手作りですか?」

「はい!」


 カイは少し驚いた顔をした。

 そして、嬉しそうに笑った。


「ありがとうございます。いただいてもいいですか?」

「もちろんです!」


 彼は包みを開けた。

 アップルパイを一口。

 もぐもぐ。

 ……どう?

 どうなの!?

 おいしい!?

 まずい!?

 お願いだから吐き出さないで!


「……おいしい」


 しゃあ!!!!

 私は心の中でガッツポーズをした。


「本当においしいです。ありがとうございます」

「い、いえ! そんな!」

「また作ってもらってもいいですか?」

「もちろんです!」


 その瞬間。

 私の脳内に、開発者用の通知が表示された。


『NPC行動ログ』

『対象:ミリア』

『プレイヤー:カイ』

『好感度変動:なし』


 は?

 いやいやいや。

 ちょっと待って。

 好感度変動なし?

 何で!?

 私はアップルパイを作ったのよ!?

 五回も失敗して、六回目でようやく完成したのよ!?

 それなのに、好感度変動なし!?

 私は思わず管理画面を確認した。

 そして、ようやく気づいた。

 そもそも、私のNPCデータには恋愛パラメータが存在しない。

 当然だ。

 私は村娘NPCとして設計されている。

 プレイヤーとの恋愛など、想定されていない。

 つまり。

 私は恋愛ゲームのヒロインではなく、ただのモブNPCなのである。


「……ミリアさん?」

「はい!?」

「顔色が悪いですよ?」

「だ、大丈夫です!」


 私は慌てて笑顔を作った。

 大丈夫。

 問題ない。

 恋愛パラメータがなくたって、恋はできる。

 私は開発者だ。

 ゲームの仕様なんて、どうにでもなる。

 ……いや。

 どうにかしてはいけない。

 私は一度、深呼吸をした。

 これは仕事だ。

 恋愛と仕事は別。

 そう。

 別なのだ。

 ……でも。


「カイさん」

「はい?」

「今度、私にも料理を作ってくれませんか?」

「いいですよ」


 彼は笑った。


「ぜひ食べてもらいたいです」


 好き!!!!

 私は心の中で叫んだ。



 *



 翌日。

 私は開発室にいた。

 正確には、現実世界に戻ってきた。

 テストセッションの休憩時間である。


「お疲れ、ミリア」


 同僚の佐藤さんが声をかけてきた。


「お疲れさまです」

「どう? NPCの挙動は?」

「問題ありません」

「本当に?」

「……はい」

「何か隠してない?」

「隠してません」


 私は目を逸らした。

 佐藤さんは怪訝そうな顔をした。


「そういえば、昨日のログに変な記録があったんだけど」

「変な記録?」

「ミリアの行動範囲が何度も逸脱しているのよ」

「…………」

「あと、プレイヤーのカイって人と接触する頻度が異常に高い」

「…………」

「それから、NPCの会話ログに『カイさん、素敵……』って記録が残ってた」

「…………」

「ミリア?」

「……はい」

「何してるの?」


 私は観念した。


「恋をしています」

「は?」

「恋です」

「誰に?」

「プレイヤーのカイさんに」

「…………」

「佐藤さん?」

「あなた、何歳だっけ?」

「二十六歳です」

「そう」

「はい」

「……青春ね」

「やめてください!」


 佐藤さんは大笑いした。

 しかし、すぐに真面目な顔になる。


「でも、気をつけなさいよ」

「何をですか?」

「あなた、開発スタッフでしょう。テスト環境とはいえ、プレイヤーに対して特別な操作をするのは問題になるわ」

「分かっています」

「ゲーム内の行動を操作したり、好感度を勝手に変更したりするのもダメ」

「分かっています!」

「本当に?」

「……分かっています」


 私はしゅんとした。

 分かっている。

 分かっているのだ。

 彼に好かれたいからといって、ゲームの仕様を勝手に変更するのは違う。

 そんなことをしたら、彼が好きになってくれたとしても、それは本当の気持ちではない。


「まあ、頑張りなさい」


 佐藤さんは笑った。


「ただし、仕事はちゃんとすること」

「はい!」


 私は元気よく返事をした。

 そして、再びゲームにログインした。

 村の広場。

 いつもの景色。

 いつもの住人たち。

 いつもの仕事。

 そして。


「ミリアさん!」


 カイさんだ!

 彼は私を見つけると、笑顔で手を振ってくれた。


「こんにちは!」

「こんにちは。今日はどうされたんですか?」

「実は、ミリアさんに渡したいものがあって」

「私に?」

「はい」


 彼はアイテム欄から、一つの包みを取り出した。


「これ、昨日のお礼です」


 包みを開く。

 中には、焼きたてのアップルパイが入っていた。


「えっ……」

「まだ料理スキルが低いので、見た目はあまり良くないんですが」


 確かに、少し形が崩れている。

 焼き色も不均一だ。

 しかし。


「ミリアさんが作ってくれたものがおいしかったので、俺も挑戦してみました」


 私は言葉を失った。

 私のために。

 彼が。

 アップルパイを作ってくれた。


「食べてもらえますか?」

「……はい」


 私は一口食べた。

 甘い。

 少し焦げている。

 でも、とてもおいしい。


「おいしいです」

「本当ですか?」

「はい!」


 私は笑った。

 そして、気づいた。

 今まで何度もゲームの中で、プレイヤーからアイテムを受け取ったことがある。

 でも、こんなに嬉しいと思ったことはなかった。

 これは、ただのアイテムではない。

 彼が私のために作ってくれたものだ。


「ありがとうございます、カイさん」

「どういたしまして」


 彼は笑った。

 その笑顔を見て、私は思った。

 やっぱり。

 私はこの人が好きだ。

 NPCとしてではなく。

 開発者としてでもなく。

 ただの一人の人間として。



 *



 それから数日後。

 私はカイと一緒に村の外へ出ていた。

 もちろん、テスト環境での特別な許可を得ている。

 NPCが村の外へ出ることは通常できないが、今回は開発チームが許可した特別な検証イベントという扱いだ。

 ……本当は、私が申請した。

 仕事である。

 仕事なのだ。

 決してデートがしたかったわけではない。

 決して。


「ミリアさん、あそこに綺麗な花畑がありますよ」

「まあ、本当ですね!」


 目の前には、一面に広がる花畑。

 色とりどりの花が風に揺れ、遠くには小さな湖が見える。

 この景色を作ったのは、私たち開発スタッフだ。

 地形を設計し、植物の配置を決め、風の演算を調整した。

 何度も何度も修正した。

 でも、こうして誰かと一緒に眺めるのは初めてだった。


「綺麗ですね」

「はい」

「ゲームの中だって分かっていても、こういう景色を見ると感動します」

「……そうですね」


 私は小さく笑った。

 彼は、この世界を楽しんでくれている。

 私たちが作った世界を。

 それが、何より嬉しかった。


「ミリアさん」

「はい?」

「一つ聞いてもいいですか?」

「何でしょう?」

「ミリアさんは、この世界が好きですか?」

「…………」


 私は少し考えた。

 そして、答えた。


「大好きです」

「どうしてですか?」

「私が作った世界だから、というのもあります。でも、それだけじゃありません」


 私は彼を見上げた。


「この世界には、たくさんの人がいます。冒険者も、村人も、商人も。みんなそれぞれの生活をしていて、笑ったり、怒ったり、悲しんだりしています」

「はい」

「私たちが作ったのは、ただのゲームかもしれません。でも、そこに来てくれる人たちが楽しんでくれるなら、それはとても素敵なことだと思うんです」


 カイは黙って聞いていた。


「だから、私はこの世界が好きです」

「……そうですか」


 彼は微笑んだ。


「俺も、この世界が好きです」


 その言葉が、胸に染みた。

 しばらく二人で花畑を歩く。

 そして、私は思い切って尋ねた。


「カイさん」

「はい?」

「私のこと、どう思いますか?」

「どうって……?」

「その……NPCとしてではなく」


 私は足を止めた。


「一人の人として、です」


 彼は少し驚いた顔をした。

 そして、しばらく考えたあと、口を開いた。


「正直に言うと」

「はい」

「ミリアさんと話していると、不思議な気持ちになります」

「不思議な気持ち?」

「ええ。NPCだって分かっているんです。でも、あなたと話していると、画面の向こうに誰かがいるような気がするんです」


 ……それは、そうだ。

 実際にいるのだから。

 私は思わず笑いそうになった。


「それで?」

「だから、もっとあなたと話したいと思っています」

「……本当ですか?」

「はい」


 彼は少し照れくさそうに笑った。


「これからも、よろしくお願いします」


 好き!!!!!!!!

 私は心の中で叫んだ。

 ああ、もう。

 何なの、この人。

 何でこんなにカッコいいの。

 私は開発者だ。

 彼の行動パターンも、ゲームの仕様も、すべて理解している。

 でも、彼の気持ちだけは分からない。

 だからこそ、嬉しい。

 だからこそ、もっと知りたい。


「はい! こちらこそ!」


 私は満面の笑みで答えた。

 そのとき。


『システム通知』

『テスト対象NPC:ミリア』

『予期しない行動パターンを検出しました』

『感情パラメータの変動を確認』

『開発チームへ自動報告を送信します』


 え?

 ちょっと待って。

 何これ?

 感情パラメータ?

 そんなもの、私のNPCデータには存在しないはずだ。

 私は慌てて管理画面を開いた。

 そして。


『ミリア:カイに恋愛感情を抱いている』

『感情強度:測定不能』

『行動予測:不可能』

『分類:未知』


 ちょっと待てえええええええ!!

 何なの!?

 誰がこんな機能を実装したの!?

 私の担当範囲じゃない!

 そもそも、感情強度が測定不能って何!?

 私は自分のキャラクターなのよ!?

 そして、次の瞬間。


『開発チームからメッセージが届きました』

『件名:ミリアの挙動について』

『本文:お前、何やってる?』


 佐藤さんだ。

 絶対に佐藤さんだ。

 私はそっと管理画面を閉じた。


「ミリアさん?」

「は、はい!」

「どうしました?」

「い、いえ! 何でもありません!」


 私は笑顔を作った。

 そのとき、カイがこちらに手を差し出した。


「そろそろ帰りましょうか」

「……はい!」


 私はその手を取った。

 そして、思った。

 いつか、この人に本当のことを話そう。

 私はNPCではないこと。

 この世界を作った開発者の一人であること。

 そして、あなたに恋をしていること。

 そのとき、彼はどんな顔をするだろう。

 驚くだろうか。

 怒るだろうか。

 それとも、笑ってくれるだろうか。

 ……できれば。

 少しだけ、私のことを好きになってくれていたら嬉しい。

 そんなことを考えながら、私は彼の隣を歩いた。


 数日後。

 開発室。

 私はデスクに座っていた。

 目の前のモニターには、ミリアの行動ログが表示されている。


『ミリア:カイと会話した』

『ミリア:カイに笑いかけた』

『ミリア:カイと花畑を散歩した』

『ミリア:カイと手を繋いだ』

『ミリア:カイのことを考えている』


「…………」


 佐藤さんが隣から画面を覗き込む。


「ねえ、ミリア」

「はい」

「これ、どうするの?」

「どうするって?」

「このままじゃ、NPCの行動がどんどん自由になっていくわよ」

「……そうですね」

「しかも、プレイヤーのカイ君に対してだけ異常に反応してる」

「……そうですね」

「これ、バグじゃないの?」


 私は少し考えた。

 そして、キーボードに手を置く。


「いいえ」

「え?」

「バグではありません」


 私は笑った。


「仕様です」

「どこがよ!」


 佐藤さんのツッコミが開発室に響いた。

 私は笑いながら、モニターを見つめる。

 そこには、ゲーム内のミリアが映っていた。

 花畑で、カイと楽しそうに話している。

 私は小さく呟いた。


「NPCだって、恋はしたいんです」


 その瞬間。

 モニターに新しい通知が表示された。


『プレイヤー:カイ』

『ミリアへの贈り物を獲得しました』

『アイテム名:銀の指輪』


「佐藤さん」

「何?」

「私、明日もテストに参加します」

「仕事は?」

「もちろんします!」

「本当でしょうね?」

「はい!」


 私は満面の笑みを浮かべた。

 そして、心の中で叫んだ。

 きゃあああああああああああ!!

 指輪!

 指輪ですよ!?

 これって、もしかして!

 いや、落ち着け。

 ただの贈り物かもしれない。

 でも!

 でもでも!

 これは期待してもいいのでは!?

 ……ちなみに、その日の夜。

 開発チームのチャットには、こんなメッセージが投稿されていた。


『佐藤:ミリアがまた暴走してる』

『田中:今度は何?』

『佐藤:プレイヤーから指輪をもらったらしい』

『田中:草』

『鈴木:恋愛AIなんて実装した覚えないんだけど』

『佐藤:私もない』

『田中:ていうか、ミリアの中身って開発者本人だよね?』

『佐藤:そうよ』

『田中:……』

『田中:俺たち、何を開発してるんだっけ?』

『鈴木:VRMMORPG』

『田中:だよな』

『田中:なんで恋愛ドラマが始まってるんだ?』


 そして翌朝。

 ミリアはカイに向かって、満面の笑みでこう言った。


「カイさん! 今日も一緒に冒険しましょう!」

「いいですね。行きましょう」

「えへへ……」


 今日も私はNPC。

 そして、開発者。

 でも、恋をしている一人の女の子でもある。

 ゲームの仕様なんて関係ない。

 だって。

 NPCだって、恋はしたいのだから!


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