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ドロップ・アウト  作者: 沢瀉 妃


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2/5

愛を喰む

―――由那なら僕を、食べてもいいよ。




 僕たちの世界であるこの病室は無菌室と同じだ。防音室でもいい。

 窓はある。決して開かない嵌め殺しのものが。水道もある。あちこちパテと何重もの網を重ねて。隙間という隙間を埋めてエアコンにも水道と同じように網をかぶせて、その網の設置面にもパテ、網の中には粘着テープ。

 僕たちの世界は「外」から厳重に守られている。文字通りそれは命を脅かすものだ。けど、その存在は誘拐犯でも、凄腕の殺し屋でも、隕石のような超常現象でもない。

 虫や、鳥。ネズミ。そういう小さな生き物たちだ。



「ぁいたっ」


「由那!? どうしたの!」


「静電気! ぱちってなった」


「びっくりした……よかった、なんともなくて」



 由那の体は果物と同じものでできている。中国に桃娘トウニャンという乳離れしたら桃しか食べない少女の話があるけれどまさにそれだ。

 けど由那の両親が狂気的な人ってわけじゃない。逆に愛情深くて優しい素敵な人たちだ。

 由那の奇病は「食性遺伝」と言って、妊娠中の母体が多く摂取したものに体組織を乗っ取られる病気だった。


 由那の母親は妊娠中、つわりが酷く固形物をほとんど受け付けなかったという。水だけでは限界があるし、点滴を打っていても絶食では胃によろしくない。岩塩を舐めるとか生卵を飲むとか試行錯誤してある日いくつかの果物なら問題なく食べれることが分かったという。

 変わったものじゃない。イチゴ、リンゴ、ナシ、ブドウ、ミカン、メロンのようなどこにでも手に入るもので、どういう体調ならどれが食べられるとかある程度ルールがあったようだ。とはいえあくまでも調子がいい日に食べられるってだけで、風邪をひいたときにプリンならいける……とかと変わらないようだけど。


 少しでいい、食べられるものを食べられるときに。妊婦は糖尿病になりやすいのもあるというけど医師と相談しながら適切に、そしてしっかりと果物だけは食べれたそうで。

 結果、生まれてきた子の肉体は人間のそれじゃなかった。

 食性遺伝は奇病群の中では珍しくないものだ。だから研究もたくさんされていて、体の状態くらいはわかっている。由那の場合、脳はミカンの果肉と変わらず、血液はメロンの果汁と変わらず、肉はイチゴと違わず、爪も髪も垢もすべてが果物でできているのに、血小板のようなものも胃液のようなものも髄液のようなものも作用していて、彼女たちはきちんと「人間」なのだ。


 なんでそれで生きていられるのかはよくわからないそうだけど、この病棟にいる人間はみんなそんなものだから一生かかったってわからないかもしれない。僕たちはみんなファンタジーの住人だから。

 由那はまだいいかもしれない。過去の食性遺伝の患者は塩とか乳製品とか小麦なんていうのもあったらしいと聞いている。眼球は岩塩、肉はチーズ、脳は小麦の生地、と言われるといよいよ人間か怪しい気になってくる。

 それは特に当人たちがそうらしく、皮膚を切ってしまえば当たり前に、同じように、叫びたくなるほど痛いのに、そこからあふれ出る液体は赤くない。

 塩水であり、牛乳であり、バッター液であり、果汁なのだ。


 そうして童話症候群になった人間はすべからく死を選ぶ。この密室で、首を吊り、腹を裂く。あくまで「人間の姿」で死ぬために。

 僕たちは肉をえぐれば見た目は生肉だけど、焼かなくても食べられるようにできている。食感がどうであれ食べられるには違いない。

 だからこの部屋の外に出ると、僕たちは瞬く間に小動物に襲われる。当たり前だ。エサが歩いているのだから。



「いたい、なんて言うからかじられたのかと思った」


「由那、この部屋で巴と、みんなと、先生たち以外の生き物みたことないよ」


「僕もない。いや、うーん、見なくていいものだけど」


「ねえ、巴は外でいろいろ見たことがあるんでしょ? いつもみたいに、由那に教えてよ。由那、猫が好きだな! まあるくてふわふわで。本物はあったかいんでしょ?」


「うん、そう。由那も、髪がふわふわであったかいからね、それと同じだよ」



 僕と違って由那は生まれてすぐこの病院に連れてこられた。だから16歳なのに、彼女はこの部屋以外の世界を知らない。

 彼女は左手の小指がない。ここに移送されるときに、鳩に襲われたからだと由那の母親が言っていた。彼女はそれをとても重い罪だと思っているようだった。当の由那は、生きてるだけでうれしー! お母さんだーいすき! なんて無邪気に笑っているけれど。


 病院内を自走する外出用ロボットのカメラを通して院内と施設の敷地内の視覚情報は持っているけどそれだけだ。

 野鳥も野良猫も虫も、画面越しに見ることはあってもそれを肉眼で見ることはない。これから先も彼女はここから出られない。なのに、そう、知らないから生きていられるといつも言っている。自分にはここしかないから、ここでなら生きていけると。

 だから僕に対してひどく心を痛めている。僕の奇病は後天的なもので由那と病状が似ているが状況が違う。「知っていること」が辛いんじゃないか、と彼女は僕のために泣いてくれた。透明なそれは熟れた匂いを放っていた。涙も、甘いんだろう。



「今日は図鑑を見ようか、ほら新しいのが出たんだって」


「あ、由那この生き物知ってる! いるか、でしょ?」


「そう、よく覚えてたね」


「えへへ」



 この感情は、何なのだろうと自分に問うている。


 同じ化け物同士、共感か。


 年下の女の子への淡い恋なのか。


 それとも、はき違えた、食欲、なのかを。


 だから僕が由那を殺してしまうようなことがないように、心にいつもとどめている。口に出すことはないけれど、だって由那がいつも同じことを言うから。

 僕が君を食べてしまわないように、そう思うのに、由那はにこにこ笑っている。ぼくの気持ちを知りもしないで。

 ねえ由那。

 おいしそうだね、って言われて不愉快じゃなかったのは由那だけなんだよ。だって僕たちはお互いに「おいしそう」だからね。

 だからね、由那なら僕を、食べてもいいよ。

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