田中は今日も掃き溜めで 1
「あなたとはもうやっていけないの」
俺は三年付き合った彼女に、別れ話をされていた。自宅の前の路上、夜遅く、彼女を家まで送って行こうとした矢先のことである。
大学を卒業してから三年間。会社で出会ってから、ずっと付き合ってきた彼女である。しかし、俺は会社の社風が合わず、仕事を辞めた。いわゆる、上司のパワハラを苦に、ってやつだ。
そうして失業保険をもらいながら転職活動をしていたところ、突然彼女から別れを告げられたのだ。
「な、なんで」
「だって、今のタイミングで失職して求職活動してって、結婚とか何も考えてくれてなかったのかなって思ったんだもの」
「それは……」
ぐうの音も出なかった。確かに同世代の連中の中にはちらほら結婚する奴も出てきている。だが、俺はまだそういう話は先のことだと思っていた。
あんまり彼女のことは考えずに、仕事を辞めてしまったのである。
「まあ、そういうわけだから、さよなら」
彼女は大して未練もなさそうに、俺に別れを告げると去っていった。
「はぁー……」
仕事も失い、彼女にも振られ、踏んだり蹴ったりだ。俺は自宅アパート前にある自動販売機でお茶を買うと、ぐいと一気に飲み干した。こんな時はやけ酒でもしたいところだが、あいにく俺は完全な下戸だ。酒なんて一口飲んだだけで頭が痛くなる。
甘いミルクティーを買ったはずなのに、味がしない。あーあ、これ、立ち直るのにどんぐらいかかるかなぁ。
お茶のペットボトルを手近なゴミ箱に捨てようとすると、ふとそのゴミ箱が光っているのが目に入った。
「な、なんだ? これ」
近頃はゲーミングゴミ箱的な物でも流行っているのだろうか。俺は疑問に思いつつも、家に持って帰るのも面倒で、ゴミ箱にペットボトルを放り込もうとする。
すると、ゴミ箱の輝きが一段と増したかと思うと、目の前がぐんにゃりと曲がり、俺は立っていられなくなった。
ぐるぐると視界が回る。そして、体が何か大きな力で、ゴミ箱の方へと引き摺られていった。
「う、うわ……」
どすん。と音を立てて尻餅をつく。目を開けると、そこは自宅アパート前の路上ではなく、全く見知らぬ奇妙な街だった。
そこは、ゴミ、としか言いようのないものでできた街であった。寂れたトタン板で出来た建物。コンビニ弁当の廃プラスチックで建てられた奇妙な塔。そして——、俺の背後には、『喫茶トラッシュ』と貼り紙の貼ってある、ゴミ製の建物があったのだった。
「な、なんだよ。ここ……」
思わず呟く。
「おや、兄ちゃん、捨てられたのかい」
「え?」
後ろから声をかけられて振り向くと、『喫茶トラッシュ』のドアの隙間から、無精髭のおっさんが顔を出していた。
「あー、まだ状況わっかんねぇって顔してんな。そりゃそうか。まあうちに入ってこいよ。大したもんは出せねぇけどよ」
「へ? は、はい」
わけがわからないが、少なくともわけがわかっていそうな人物がいたので、話を聞くために店に入る。そのごみの建物は案外中は清潔だった。並べられたソファは端が擦り切れたり、テーブルも塗装が剥げているが、掃除は行き届いている。ロココ調のテーブルに、和モダンな椅子が合わされたりして、チグハグな雰囲気だが。
「ほらよ、賞味期限1日切れのペットボトル茶と消費期限今日の廃棄弁当」
「え、あの……これは……」
「ああ、まずはここの説明からだな」
喫茶店のマスターらしき男は、どっかりと対面のソファに座ると、話し始めた。
「ここはな、人に捨てられたものが集まる異世界なんだよ。兄ちゃん、ここに流れ着く前に、誰かに捨てられなかったかい?」
「あ、ああ。ちょうど彼女に振られたところだったっすけど……」
「じゃあ、それが原因だね。人に捨てられた物、人に捨てられた人、人に捨てられた概念。そんなものがここには集まってくるのさ」
「いや、そんな……夢っすよねこれ?」
「俺はここに流れ着いてからもう何年も経ってっかんなぁ。俺の認識じゃあ現実だが、その認識をあんたにまで強要することは出来ねぇな」
「そんな精神論的な話じゃなくて……」
俺は呆然としたまま、しばらく黙り込む。こんなゴミ溜めの世界に流れ着いたのが現実だったとして、俺はいっ
たいどうしたらいいんだ?
喫茶店の窓から見える空はうっすらと灰色で、太陽も月もない。本当にここは、異世界なのか? それも、捨てられたものだけが流れ着く、という。
「まあショックだろうが、ここはそんなに悪いところじゃないぜ。ここには人間が捨てたものだけが流れ着く——愛とか、平和とか、時間とかもな」
喫茶店のマスターはそう言って笑い、賞味期限が1日切れた缶ビールを美味しそうに飲み干した。




