表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

84/86

第84話『記録王、帰還す──異世界との永遠の別れ』

 それは、何の前触れもなく届いた。


「空間座標に揺らぎを検知。記録王の源初世界への次元通路、期間限定で開通します──ただし、片道限定」


 いつもの無機質な声で、クラヴィスがそう告げた。


 源初世界──俺が生まれた場所、すなわち“元の日本”。


 俺はクラヴィスの言葉を反芻した。「戻れる……けど、帰っては来られないってことか」


「帰還後、記録王および茜の魂核はこの世界と断絶状態に入ります。再召喚・再転移、不可」


 つまり、一度戻れば、異世界で築いた全て──仲間たち、王国、記録──とは永遠に別れなければならない。


 沈黙が流れるなか、茜が俺の手をそっと取った。


「……行きましょう、一朗さん。あなたの始まりの場所。私、一緒に行きたい」


 彼女の声に迷いはなかった。


 ああ、そうだ。俺たちはもう、どこに行くにも一緒なんだ。


「──ああ。記録しに行こう。俺たちの過去を、最後にもう一度だけ」


 こうして俺と茜は、記録王としての最後の旅に出ることを決めた。


「……最後に、向こうの世界を“記録”したい。俺の始まりを、ちゃんと終わらせておきたい」


 そう、俺は茜に告げた。


     ※ ※ ※


 魔導転移の光が収まった先は、俺たちがかつて勤めていた会社の近くの路地裏だった。


 夜の東京。ビルの光が眩しく、車の音が遠くに聞こえる。


 茜が周囲を見渡しながら、ぽつりと呟く。「これが……私たちの世界……」


 俺は黙って頷いた。


 コンビニ。駅前のロータリー。夜の寮の部屋。使い捨てのように積まれた段ボール。


 そのとき、不意に目の前の街角に、かつての“俺”の幻影がよみがえった。


 深夜のコンビニ前、ビニール袋を提げた男が立ち尽くしている。

 ベンチに座り、冷えたおにぎりを噛みしめる姿は、まぎれもなく俺だ。


 場面が切り替わる。

 会議室の片隅、机を叩く声。上司の怒声に下を向く俺。言い返す言葉もなく、ただ謝るだけ。


 さらにもうひとつ──モニターの光だけが灯るオフィスで、無言でキーボードを叩き続ける俺。

 感情を押し殺し、ただ時間が過ぎるのを待っていた。


 茜が静かに手を握った。


 俺は、言葉が出なかった。

 懐かしさと、痛みが、胸の奥で絡み合っていた。

 ただそこに立ち尽くし、かつての“俺”を見つめていた。


「……あのときのあなたを、ようやく見られた気がします」


 茜の頬を、一筋の涙が伝う。


 彼女は、かつての俺の姿を静かに見つめながら、言った。


「私はこの人に出会えて、幸せです」


 どこを見ても、あの頃の“俺”と“彼女”がいて──それぞれ孤独を抱えて生きていた。


「ねえ、一朗さん。……ここで、何を思ってたんですか?」


 彼女の問いに、俺はしばらく沈黙した。


 そして、ゆっくり答える。


「……何も残らない人生を、ただ延命してるだけだって。そう思ってた」


「でも、それを記録してたのも……あなたですよね?」


 そうだ。誰にも知られず、消えていくだけだと思っていたけど、俺は必死で心に焼き付けていた。怒りも、屈辱も、悔しさも、寂しさも──全部。


 それが、“記録魔法”になった。


「ありがとう、記録してくれて」


 茜の手が、俺の手を強く握る。


 あの頃の俺に伝えたい。君はちゃんと報われたって。未来に愛する人がいて、君の記録が誰かの希望になったって。


     ※ ※ ※


 最後に、俺たちは“親睦会”で使われていた居酒屋に向かった。


 深夜、すでに閉店している店のシャッターに手を添える。


「ここから、全部が始まったんだよな……」


 あの日、全員で転移して、俺だけ“スキルなし”で追放されて──でも、あれがなかったら、茜には出会えなかった。


「私、この近くの受付にいましたよ。あなたが疲れた顔でタイムカードを押す姿、何度も見てました」


「え……マジで? 全然気づかなかった……」


「ふふ、こっそり見てただけですもん。私、あの頃あなたのこと……いつも気にしてたんですよ」


「それ、もっと早く言ってくれよ……」


 笑いながら、でも少しだけ切なさをこめて、俺はそう言った。


 あの頃、すれ違っていた二人が、今こうして同じ道を歩いている。不思議だけど、確かに現実だった。


「この世界が、私にあなたをくれたんですね」


 彼女の言葉が、胸に染みた。


     ※ ※ ※


 俺たちが最後に訪れたのは、かつて俺が派遣社員として働いていたビルの屋上だった。


 この場所に、何度逃げるようにして上がっただろう。

 誰にも見られずに深呼吸して、空だけを見上げて──それでも、次の仕事に戻らなきゃいけなかった。


 夜の街を見下ろしながら、俺は小さく息を吐いた。


「……ここでも、ずっと、何かを諦めようとしてた気がする」


 隣に立つ茜が、静かに頷いた。

「でも、あなたは諦めなかった。記録して、生き延びて、たどり着いた」


 俺は、そんな彼女に微笑み返すしかなかった。


 この空の下で、自分を見失っていたあの頃の俺に──今、ようやく伝えられる気がした。


「ありがとう、あのときの俺。ここまで来たよ」


     ※ ※ ※


 帰還から二時間四十五分。クラヴィスが最後の警告を告げる。


「時間残り5分──この記録で、本機構との接続は終了となります」


「記録時間、残り十五分。ログ保存範囲を選択してください」


「クラヴィス、記録はいらない。この旅は……俺たち二人の中にだけ、あればいい」


 無言のまま、クラヴィスが深く、ゆっくりと頷いたような気がした。


「了解。“非記録選択”──尊重します」


     ※ ※ ※


 星の見えない東京の空の下。


 俺たちは、手をつないで歩いた。


 王でも英雄でもない、ただの“高野一朗”として。 茜も、ただの一人の女性として。


 過去に別れを告げるための旅は、静かに、確かに、終わりに向かっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ