【第一章 魔法少女の覚醒】7
校舎の壊れる鈍い音。重たい衝撃が離れていても、ずっと変わらず伝わり続ける。ゴーレムは未だ、校庭で暴れていた。
なんとか逃げ出した彼女たちは、ゴーレムの死角に入りつつ、校舎の外へ避難した。校庭の少し背の高い植木に身を隠し、体を休めていた。
ところどころに擦りむいた跡や痣、黒く染みたボロボロの制服が、この異常な事態の、凄惨さを物語っていた。
「……ここまで来れば、安心かな」
「……、……七海」
ふと、二上が話しかけてきた。気付けば、彼女は膝を抱えてうずくまっていた。
「あたしら、本当に助かるのかな。あんな、あんなバケモンから逃げられると思えねぇよ」
「……二上さん」
震え声で、弱さを隠せない様子の二上。彼女は怯えていた。一度命の危険を味わってなお、脅威はまだ去っていない。すぐ立ち直るほうが無理だ、それは当然、七海だって同じだった。
「あたしらだけじゃない。美紀も、由貴も……、同じような目に合ってるはずなのに、どこにもいなかった。……あたしが、あたしがあんなとこ、連れて来たから……」
二上の体が震える。悔やんでも悔やみきれない思いが、彼女を縛っていた。
「だ、大丈夫だよ。二人とも、たぶんどこかへ避難したんだと思う。……確証は、ないけど」
自責の念に駆られた二上が、痛ましい。しかし同時に、こんなことしか言えない自分が情けないと歯を噛みしめる七海。
無力感に苛まれそうな心を食い止めるため、必死に言葉を紡ぐ。
「そ、それと、二上さんのせいだなんて、そんなこと、……」
「……ないって、言えるのか? 言えないだろ。そうだ、全部、あたしのせいなんだよ……」
しまった、と七海は後悔する。墓穴を掘ってしまった。ない、だなんて言ったら、それは嘘だ。だって、発端は彼女にある。私にも、ある。
諦めの入り混じった声で弱音を吐く二上。
新鮮な反応をする二上を見て、思わず七海は彼女の手を取って、励ますように言った。
「大丈夫。きっと助かるよ。それに、……私もいる」
二上は驚いた表情を見せたが、構わず続けた。
「誰が悪いとか、そんなの、考える必要なんてないよ。ほら、ちょっと楽しいこと考えよう、例えば、ほら! 今日の晩御飯何かなーとか!」
七海は二上の元気を少しでも取り戻そうと言葉を紡ぐ。ふっ、と二上は息をこぼして、
「……これが本当の、最期の晩餐ってか?」
と皮肉交じりに言う。
「ちょ、そういう不吉なこと言わないでよ! えーと、じゃあほら、今日帰ったら何しよーとか、明日学校休みになんないかなーとか! ……って、学校は正直それどころじゃないか……。えっと、他には他には……」
七海は躍起になって二上を励ますための提案を考え込んでしまう。おかしい、私も二上さんのせいで変になっちゃったかな。
そうやってうんうん頭を悩ませていると、二上は一つ、ため息をついていた。
「手、震えてんぞ」
「え……」
小刻みに、二上の手を握る七海の手が震えていた。気付いて、「あれ……?」と驚きの声を上げる七海。さっきまで、なんともなかったはずなのに。
「あ、あれ、なんでだろ、あー、あれかな。む、武者震いってやつ! だから、大丈夫大丈夫……!」
強がりを言ってみせても、震えは止まらない。むしろどんどんと強くなっている。
その時。
ズシン! とゴーレムが地面を踏み鳴らす音が、重く響く。心臓が跳ね、余計に彼女の心を刺激するのだった。
「だ、だだ大丈、夫。たす、助かるよ、だって、私、魔法少女になったんだもん……、だから……大丈夫……! 大、丈……!」
次第に声が震え、小さくなって、やがて声も出せなくなった。なし崩し的に魔法少女になったとはいえ、まだ戦い方もろくに知らない。そんな状態で、一体どうすればいいのか。
「七海……」
心配そうに見つめる二上も、振動に恐怖を隠しきれず体が跳ねる。
七海は、軽く考えていた己の心を恥じていた。
──そうだよ、私だって、怖いものは怖いんだ。何が大丈夫なもんか。
こうしている今だって、いつあの巨人に気付かれて襲われてもおかしくない訳で……。 あ、ダメ。……これ、無理だ。嫌だ、怖い、怖い。
息が荒くなる、上手く呼吸出来なくなる。乱れる。前が見れない。
遂には、身を隠すように俯いてしまう。ダメ、気付かないで、近付かないで、怖い怖い怖い、動けない、助けて、助けて……!
「……」
すると。
二上が、七海の手を強く握り返した。
びっくりして一瞬強く引き結んだ目蓋を、ゆっくりと開け、二上を見上げる。
「……、二上、さん?」
二上は照れくさそうに、視線だけはよそを向いて、頭をがしがしと掻いていた。
「一人でかっこつけんな、バカ。バーカ」
と、不機嫌そうに七海を貶す。真っ赤になった耳が丸見えだった。
「不安になってるやつ見ると、逆に落ち着くってホントだな。むしろお前見てるとイライラしてくるわ」
そう告げるが、繋がれた手は七海と同じように、震えていた。
「そりゃあたしだって、あんなのに踏み潰されるとかごめんだわ。ふざけんな、絶対死んでやらねーって思うよ。……けどな」
びっ、と指を差し向け、七海に向き直る二上。
「いくら魔法少女になったからって、お前が責任感じる必要なんかねーよ、あたしはあたしで勝手に生きてやる。それだけ覚えとけ。ったく」
つばが飛んできそうなほど、強い口調で二上は言った。再びがしがしと頭を掻くさまを、呆然と見つめることしか、七海は出来ないでいた。
それでも。
ほのかに感じる彼女の熱が、七海の心に深く響いた。
と、そこへ。
「ふぅ、やっと追いついたベポ。アレの目を欺くのも、案外楽じゃないベポねぇ」
「……! アンタ……」
まだ怯えた表情を浮かべ、七海は声がした方へ振り向く。しかし目尻に浮かべた涙を隠すように、すぐにそっぽを向いた。
「……よかった、無事、だったんだ……へ、へへ。そ、それじゃ、い、い、いこ、あ……!」
立ち上がろうと、足に力を入れるも、上手く立てず転ぶ。まだ二上の手を握っていたことを忘れるくらい、動揺していた。
「あ……はは、あーもう、何やってんだろね、わた……むぎゅ?」
ふと、七海の顔が柔らかいもので包まれる。もふもふしたベポリスの手だった。
「……キミは心を隠し過ぎるベポ。もっと自然体でいいベポ。誰だって、あんなのに立ち向かうには勇気がいる、当たり前ベポ」
ベポリスは七海の顔を掴んで、もにゅもにゅと揺さぶる。
「大丈夫。怖がることはないベポ。もっとリラックスするベポよ?」
「りあっくふ……」
「倒し切る必要もない。キミはまだ、魔法少女の新人さんベポ。ボクがつきっきりでサポートするから、大船に乗ったつもりで任せてほしいベポ!」
ベポリスは、初めて会った時から変わらない、その明るい口調で七海を励ました。
「それに、魔法少女はいつだって、笑顔で皆を照らすものベポ!」
頬が押し上げられ、口角が上がる。彼のつぶらな瞳が、どこまでも眩しい。
「……、あたしの言いたいことも、大体そんな感じだ。気負い過ぎだっつーの」
「……にあみ、ひゃん……」
「あ? なんだって?」
その、温かく、柔らかい手が。
二上の手が。
固くなった心を、少しだけ溶かしていく。
「……わたひ、まらアンタのこと信用しきってないんらけろ?」
「フォローしてるのに酷い言いぐさベポ⁉」
強引に振りほどくと、ベポリスはおよよ、と崩れたように地に落ちた。あざといな、コイツ。
「……ぷっ。あっはは……!」
なんだかおかしくなって、七海は笑った。二上とベポリスはお互いに顔を見合わせ、怪訝な表情を浮かべていた。
すると、七海はゆっくりと立ち上がり、二上の手をするりと抜けた。
「……七海」
「……ありがと。二上さんも。……うん、もう大丈夫。行けるよ、私。戦える」
目元を拭って、涙を落とす。手はもう、震えていない。
思いは、固まった。
「……魔法はイメージ、なんだよね?」
「そうベポ。キミの思い描く武器を思って──」
「『キミ』じゃない。私には──七海雫九、って名前があるんだよ」
七海は、魔法少女の力を確かめるように、目を閉じ、手をかざした。イメージした。戦うための力を願って。
籠められた力から、魔法の力が広がり、その手に武器が握られた。それは、弓だった。
軽量で、黒を湛えたその弓はシンプルなデザインで、装飾も控えめだったが、微かに纏うオーラに心が躍る。行ける、と。
にっと笑みを浮かべ、鈍く光る銀色のグリップを、今一度強く握った。
それから七海は、二上の方へ向き直り、
「……」
微笑みを返すと、背を向け、
「二上さん。……私、負けないから。そこで見ていて」
返事を待たず、飛び出した。眼前の、そびえる影に向かって。
一人残された二上は不安を抱えながらも、七海の背を目で追うことしか出来なかった。
「……ま、せいぜい頑張れや」
辛うじて出た一言はお世辞にも、応援と呼ぶには足りないが、彼女なりの励ましだろう。
ベポリスは、その二上の様子をちらと見て、
「……よーく見ておくといいベポ」
と語りかける。二上は見上げるが、ベポリスの顔は七海の方を向いたままだった。
そして、不敵な笑みを浮かべ、高らかにこう言った。
「あれが──キミたちの絶対的救世主、魔法少女ベポよ!」