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【第一章 魔法少女の覚醒】3

「リリィ……」

 小さく呟いた。誰にも届けるつもりのない声だったはずだ。

「え! どこどこ?」

 と、前の席から声が届く。見上げると、髪で顔の大部分が隠れた少女が、七海越しに窓を覗き込んでいた。

「え、わっ」

「あー本当だ! よっしゃ! 今日いいことあるかもーえへへ」

 名前は何と言っただろうか。クラスメイトの名前など、呼ぶタイミングもないと覚えることをしなかったことを、七海は今更になって後悔した。

「え……と、リリィ、好きなんだね」

 名前を呼ぶ代わりに、声をかける。緊張しなかったのは、彼女の独特な雰囲気のおかげだろうか。

「んー? リリィっていうか、魔法少女全般? だってかわいいもん」

 表情はほとんど髪で隠れて見えないが、声のトーンや明るさから、笑っていることがよくわかる。

 不思議な子だ、と七海は思った。

「そっか……」

「あ、そういえば七海さん」

「え、あ、私の名前、知ってるんだ……」

「そりゃそうだよ、だって同じクラスなんだよ?」

 当然でしょ? と肩をすくめていた。七海は心の中でごめんなさい、と深く謝罪した。私、あなたの名前、知りません……。

「ってそうじゃなくてね、七海さんに言っておきたいことがあって」

 ちょいちょいと耳を貸すようジェスチャーする。大人しく耳を傾けると、

(さっきのこと、先生に言っておこうか? 七海さんが、いじめられてるって)

 と、願ってもいなかった提案をされ、七海は衝撃を受ける。それは救済の一言のように思えた。

 がしかし。

 七海は少し考えた。視線をよそへ動かし、

(……ううん、大丈夫。気にしないで)

 と微笑み、その優しさをやんわりと断った。

(そう? なら、いいけど……困ったらいつでも言ってね、私、協力するからねっ!)

(ごめんね、ありがと)

 彼女が心配そうにする様子を、七海はそう言って、無理矢理会話を切り上げた。

 七海は気付いていた。二上が(のぞ)き見るように、こちらを(にら)んでいたことを。そして感付いていた。それはいじめの連鎖に波及すると。


 ──こっそり言ったとして、それはいつか広まるよ。風の(うわさ)ってすごいからね。

 そして今度は、あなたが傷付く、傷付けられる。そんなの、私は耐えられない。私のせいで傷付くあなたを、私は見たくないから。


 七海は、自分を心配してくれた優しいその子を、声をかけてくれた彼女を守るため、断ってしまった。

 不思議と、その決断を後悔していなかった。目に光が戻り、前を見ることが出来ていた。

 窓から吹く風が通り抜ける。少しだけ、()んだ空気のように感じていた七海だった。


     ◇


 授業が終わり、退屈な時間は去った。荷物をまとめ帰り支度をする。

 さっさと帰ろう、そう思っていたが。

 七海は、後ろに気配を感じていた。気にしないようにしていても背中に当たる鋭い視線が、七海の体を強張(こわば)らせる。少し下を向いて歩く足を速めた。普段よりも足が重たい。

七海(ななみ)

  呼び止められ、肩が跳ねる。耳障りな声が割り込んできた。

 足を止め恐る恐る振り返ると、二上が不機嫌そうに七海の方を見ていた。睨みを利かせる三白眼が突き刺さるように痛い。隣に立つ彼女の取り巻き二人もにやにやと笑いを堪えている。

「……何か用?」

 七海は強い拒絶を目で訴える。二上はお構いなしに目をつり上げて、

「別に用って訳でもないけど、ちょーっと付いてきてほしいとこがあんだよねー」

 ふっ、と不敵な笑みを浮かべ、嗤う。嫌な予感は声をかけられた段階で既にしていた。

「それって、今じゃなきゃダメ……かな」

「いいから付いて来いって」

 拒否権など与えないとばかりに、有無を言わせぬ強い口調。思わず目を(つぶ)る。

「ななみん、付いてきたほうが身のためだよー?」

「そーそー、早いとこ済ませちゃおう?」

 取り巻きの二人もここぞとばかりに茶々を入れ、賛同する。いつの間にか七海の両隣を取り囲み、後退する術を奪っていた。

 面倒ごとに巻き込まれたことを承知の上で、七海は一つだけため息を吐く。

 不安を隠すように、通学鞄の肩紐に両手をかけた。

「……わかった」

 二上は満足そうな顔を浮かべ、「じゃ付いてきて」と背を向け歩き出す。その間もずっと、取り巻きの二人は笑うばかりだ。

 一体何なのだろう、と不審感を募らせる。

 しばらくして、案内されたのは校舎の三階にある女子トイレ。二上は、

「じゃあそこの一番奥ね」

 と雑な指示だけを飛ばすのみだった。また一つ、ため息を吐いた後、従う義理などないと七海は(きびす)を返そうとしたが、

「はーいだめー」

 すかさず取り巻きの二人が彼女を抑え込む。

「ちょ、離して!」

「あんたさぁ、なーんかむかつくんだよね」

 二上は確かな敵意を、鋭い眼差しを七海へと向ける。

「……え?」

「自分には何も関係ありませーんって感じで、一人でいることに慣れ切ったみたいにさぁ。で、心じゃあたしらのことバカにしてんだろ」

 本当に、彼女は何が言いたいのか、さっぱり意味が分からない、と心の中で思う七海。

「……なにそれ、ただの、被害妄想じゃないの……?」

 そう言って、七海は彼女を睨み返す。せめてもの抵抗だった。

「……そういや、八坂(やさか)に話しかけられてたよね、何、何話してたん? 教えてよ」

「……っ!」

 やはり、七海の見立ては正しかった。二上は七海に味方する者を敵とみなす。きっと次に、あの八坂という子を標的にするつもりだろう。

 目線を逸らし、(かば)うように言う。

「……あんたには関係な──」

 しかし。 

 突如、大きな縦揺れが彼女たちを襲った。

「ッ!」

 ──また、魔震……⁉

 魔震。地震とは少し違う、直下型の揺れ。一部では魔物発生時の前触れとされているが、真実は定かではない。

 揺れに耐えきれず、手を離された七海の体が倒れ込む。その拍子に、二上の体と触れ合った。

「……! さわんなっ!」

 直後、二上は抑えきれない苛立ちを、七海を突き飛ばすことへ昇華させた。

「痛っ!! 何す……!」

 しかしそれでも昇華しきれないのか、逆恨みのような激情をぶつける。

「……あぁ、ホントむかつく。そうやって、『私は弱いんです』ってお情けアピールですかぁ? 笑わせる」

「……」

美紀(みき)由貴(ゆき)

「「りょうかーい」」

 呆気にとられている七海を見て取り巻きに何か合図を出し、彼女をトイレの部屋へと押し込めようとする。

「ちょ、な、やめ……っ!」

 二人がかりでやられては体力のない七海には敵う術がない。結果、押し込められ、ドアを閉められる。

「ねえ、やめて! なんで、こんなこと……!」

 ドアをこじ開けようとするが、体重でもかけられているのかびくともしない。

「あっはははは! あほでどんくさいおまぬけさんには小さな個室がお似合いかなぁ⁉」

 七海を閉じ込めたことが相当気分がいいのか、高らかに嗤って、さらにはドアに()りまで入れる始末だった。……普段よりも、今日は機嫌が悪そうだ。

「じゃ、しばらくそこで反省会でもしてな。ま、そのうち誰かが気付いてくれるでしょ」

「え、ねぇ、二上さん!」

 高らかな嗤い声は、やがて遠くに行き聞こえなくなった。けれど、目の前のドアは変わらず重いままだった。

「くっ、このっ……!」

 ドアの前に何か重しでも置かれているのか、なかなかびくともしない。

 しばらく格闘した後で、疲れたように七海は項垂(うなだ)れ、トイレの(ふた)に座り込んでしまった。同時に考え込む。私が彼女たちにとって、何か不快なことをしでかしてしまったか、と。しかし何も思い付かず、そのことが七海を悩ませた。

 無自覚の悪意が彼女達を傷付けた。とすればなんとか納得はいくけれど、それこそ逆恨みだし、私には無関係じゃないか。どうして私がこんな目に合わなければならないのか全くわからない。

 それよりも。

 七海は、今自分が置かれた状況について冷静になって考え、一気に冷や汗が止まらなくなった。放課後、生徒はほぼ帰宅か部活動で教室に残っている人は少ない。唯一可能性があるとして、先生などは確認に来るかもしれないが、彼女たちが呼んだこのトイレは校舎の中でも距離が遠いせいでよほどのことがない限り来ることはあり得ない。その事実に焦りが募っていく。

「……あ、あの……! 誰か! いませんか……! ドアが開かないんで──」

 そんな折だった。


 ──ウウウウウウウウウウウウウウウウ‼ と、けたたましくサイレンが鳴った。


「……‼ 魔物警報⁉」

 何事かと気にする余裕もない。間違いない、このサイレンは、魔物警報だった。

 次の瞬間、校舎が激しく揺れた。バランスが崩れ、思わずトイレの壁に手をつくが、揺れもサイレンも止まらない。

「うっ、ああっ‼ は……はやく、こ、こ、ここから逃げないと……きゃあっ⁉」

 七海は軽くパニックになった。心臓の鼓動がうるさく跳ね、止まらない。ドアをガチャガチャと動かすが、さっきまでと状況は変わらない。

 ──魔法少女がいるこの町には、頻繁(ひんぱん)に魔物が出現する。人を襲い、街を食らう未知の脅威。その中でもとりわけ大きな災害をもたらす場合には、魔物警報というサイレンが町中に響き、厳戒態勢が敷かれるのだ。

 校舎全体を揺らすような振動が何度も、彼女のところまで伝わってきた。また、遠巻きに叫び声が聞こえる。外に何かがいるのだ。得体のしれない何かが。

「は、はやく、にに、にげなきゃ……! 開いて、開いてってば……!」

 焦りはピークに達していた。冷や汗が止まらない。

 そして、災厄が襲う。

 ドオオオオン! という轟音(ごうおん)、衝撃とともに、壁がひしゃげる。校舎の、壊れる音だった。

 あまりの衝撃に立っていられず、七海は便器の蓋に倒れ込んだ。

「……なんでっ、私ばっか、こんな目に……!」

 その時、足元がふっと抜ける。

「え、あ⁉」

 宙に投げ出され、次に強烈な衝撃が全身に走った。

「あぐっ⁉」

 痛みで、始めは呼吸が出来なかった。頭がくらくらして、目の前が真っ暗になる。

 しばらくして、()き込みながら、七海は体を起こそうとする。だが体がまともに動かせない。鉛のように、全身が重くのしかかる。体中を激しい痛みが襲い、何も出来ずにいた。

 周囲は粉塵(ふんじん)が舞い上がり視界を(ふさ)ぐ。一体何が起こったのか、痛みで持っていかれそうな意識を必死に取り戻す。粉塵のせいで、空気が悪く咳き込みが続く。

「うぐっ、……げほっごほっ、……。……⁉」

 やがて開けてきた景色を見て、彼女は言葉を失った。上を見上げると、先ほどまでいた場所は跡形もなくなり、(えぐ)れていた。辺りを見回すと、瓦礫(がれき)が山のように積みあがっていて、無残(むざん)な光景が広がっていた。

 散乱している鞄の中身など、もうどうでもよかった。

 しかしその光景より七海の目を大きく奪ったのは、眼前にそびえるその影だった。


 三階建ての校舎を超える大きな体躯(たいく)は、その全てが岩の塊をつぎはぎしたようなぞんざいさで、無感動な、無表情な大口は鋭利なキバのような岩肌を形成していた。

 泰然自若(たいぜんじじゃく)を体現するその立ち姿は、この場から逃走することを無意味にするほど、大きすぎる。人の存在を虫けらでも見るような相貌(そうぼう)は、余計に異形としての存在感を(かも)していた。

 仮に名前を付けるならば、その姿は『ゴーレム』と呼んで差し支えない、そんな存在だった。


「なに……これ……」

 逃げなきゃ。

 そう思いつつ、痛みと恐怖で足が(すく)んだ。校庭ではまだ残っていた生徒達がパニックで走り回っている様子が、吹き抜けた校舎から見てとれた。じりじりと、足を動かそうとするけれど、立ち方を忘れたみたいに上手く立てない。

 痛い、痛い、怖い、痛い、誰か助けて。

 そう願っても救いが来ることはなかった。

 そして、そんな絶体絶命のピンチに限って、降りかかるのは不幸ばかりだった。


 目が。合ったような気がした。大きな瞳のような岩の、視線が。


「ぁ……!」

「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ‼」

 ゴーレムの雄叫びが響き渡り、七海は思わず耳を塞いだ。直後、人の体より大きなゴーレムの手が迫ってくる。それでやっと、動けない足に活が入った。

「っ! うあぁ‼」

 ゴーレムの手はのろのろと遅いが、(つか)まれたらひとたまりもない。それを証明するように、空を切り勢い余った岩の手が彼女の背後にあった壁を貫いた。その衝撃で、こけてしまう。

「あっ! 痛っ!」

 息が荒れる。(あふ)れる涙を堪えながら、痛みに耐えながら、立ち上がり、もつれそうになる足でとにかく走り続けた。

「はぁ、はぁ……! ……助けて……! 誰か……!」

 ふと、あの言葉がフラッシュバックした。

『キミは、魔法少女になる気はないベポか?』

 七海は思考を巡らせる。

 あの言葉を、甘い誘いを、咄嗟(とっさ)に断ってしまった自分を少しだけ責めた。けれど、私が魔法少女だなんて想像も出来ないし、仕方がない。私が誰かを助けるだなんて。今までも、まして自分自身すら救えなかったのに?

「誰か……、……早く、来て、……魔法、少女……!」

 救いを求めるしか出来ない。分かっていながら、それでも希望に(すが)るしかない。彼女達の到着まで時間はかかるかもしれない。……それでも、魔法少女達に(ゆだ)ねるしか、今の彼女には出来なかった。

 出来ないはずだった。迷う余地なんて、本当はない。

 だから、その声に応える資格は、本来、彼女にはなかったはずなのに。

 聞いてしまった、聴こえてしまった。


「誰か……! ………………たすけてよ」


 だいっきらいな二上縁の、助けを求める声を。


「……! ……二上、さん……?」

 乱れる息を整えながら、立ち止まる。小さいけれど、確かに彼女の声だった。

「……はっ」

 七海は、思わず小さく笑った。そしてふっと漏れた笑いを、慌てて押さえた。

「あ……」

 ざまあみろ、と、一瞬でも思ってしまった自分がいたことを、心底恥じた。

 これじゃ、アイツと同類じゃないか、と。

 震える手で、自分の体を抱くようにその場に座り込んでしまった。自分はそうはならないと、高を括っていた、でも違った。そのことに嫌気が差す。こんな生命の危機において、そんなことを考えてしまうなんて。

 ──でも。

 だから何? 私に出来ることなんてない。だってきっと、魔法少女はいずれ来る。きっと助かる。

 ましてアイツは。それより早く、逃げなきゃ……。

「……………………………………………………………………」


 逡巡(しゅんじゅん)は、彼女の中にも確かにあった。

 迷うことは、決して間違いではない。

 歯を食いしばり、胸を抑えて、もがくように。

 始めから決まっていたであろうその答えを、悩み続ける。

 正しかったのかどうかなんて、わからない。

 わかるはずもない。

 けれど。

「……ああ、もう!」

 気付けば、七海は彼女の声がする方へ、駆け出していた。

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