【断章 ~陽炎少女~】
これは、少し前の出来事。
「マジック、メタモルフォーゼ‼」
瞬間、その周囲が光に覆われる。現れたのは、黒に包まれた衣装を身に纏う魔法少女。
その少女は、手にした弓を掲げ、空高く跳び上がる。そして、走るように遠くへと向かっていった。
──その様子を、フレーム越しに見ていた美紀は、路地裏で密かにほくそ笑んでいた。
「やっば……! マジ衝撃映像じゃん……!」
スマホでの撮影にギリギリで成功し、その映像を確認する美紀。間違いなくそこには、七海雫九が魔法少女へ変身する姿が写っていた。
美紀は興奮冷めやらぬ様子で、メッセージアプリを起動する。その相手は由貴だった。
〈ヤバいの撮れた笑笑〉
〈え、なんこれ、七海じゃん〉
〈トレッタ―投稿するわ、絶対バズっしょ笑笑〉
美紀はニヤニヤと笑い、動画のバズ予想に思いを馳せた。最低でも一万いいね! くらいはほしいところだ。
美紀は、二上がどうして、急に態度を変えて七海をいじめなくなったのか、疑問だった。苛立ちのままに、彼女の姿を追ってみたり、バスケットボールを投げつけたりしても、その答えは出ないまま。むしろ、二上は積極的に彼女との接触を図っているようで、それがまた、ざわつく心にひびを入れていた。
けれど。こんな秘密があったなんて。美紀はしめしめと笑っていた。
と、そこへ。
「どうしたの五野井さん、こんなところで」
声をかけたのは、八坂だった。顔すら見えない長い前髪が特徴の、クラスメイト。
「んお? 八坂こそ奇遇じゃん? ってか見てよこれ、あんたこういうの好きっしょ?」
「ん? ……へぇ」
八坂は言われるがまま覗き込み、スマホの画面をしばし見つめていた。表情の読み取れないその顔は、笑っているようにも見えた。
「……ねぇ、これ、いつ撮ったの?」
「さっきだよ! たまたま七海追っかけてたらもう偶然! いや奇跡的な瞬間だよなー」
魔法少女の正体見たり、とかよくね? とタイトルを考えている美紀。SNSアプリを起動して、投稿を始めようとする。
「……ふーん、そっかぁ。じゃ、それ、今すぐ消して?」
穏やかな口ぶりでそう告げる八坂。しかしその声色は低く、いつもの調子とは違う。
「……は? いや、する訳ないし。何であんたにそんなこと言われなきゃなんない訳?」
「……」
明らかに不機嫌な態度を示し、八坂を睨む。言い返さないのをいいことに、続ける。
「大体さ、あんな根暗女に付きまとったっていいことないって。あんたも友達考えた方がいいよ?」
そう笑い、スマホに目を向け、操作しようとする。
しかし。その手が押さえつけられ、美紀の手首に鈍い痛みが走った。
「ッ⁉ テメ、何すんだよ!」
八坂は、まっすぐ顔を向け、美紀を見つめる。
「……ごめんね? でも、私、魔法少女好きだから」
「理由になってないでしょ! お前何なの? さっさと離せよ!」
八坂の手を振り払い、嫌悪感を露わにする美紀。すると、八坂はおもむろに手を後ろ手に組み、語り出した。
「私ね。魔法少女大好きなんだぁ。彼女たち見てると、元気わいてくるって言うか。何より、衣装がかわいいし、でも、カッコいいしって言うか」
「……何が言いたい訳?」
「だからぁ。彼女たちの日常が脅かされるようなこと、私許せないんだよね」
「……ふっ、はは! なんだそれ。ヒーローを守るヒーローってか? 面白い冗談じゃんウケる!」
「……、ちなみに私は、本気だよ?」
その時、一陣の風が吹く。八坂の髪が風に揺れ、なびく。一瞬だけ、その顔が美紀にも見えていた。
赤い赤い、血のような瞳が。
「⁉」
体が、浸食されるような気味の悪さが襲う。怖気と寒さが全身をなぞった。
美紀はたじろぎ、一歩後ずさる。その隙を、八坂は見逃さなかった。
ダンッ! と、美紀の体ごと、壁に押し当てた。
「っづあッ⁉」
息が詰まる。反動でスマホが滑り落ちた。素早く手に取った八坂は、そのスマホを軽やかに操作する。
「っテメ、何勝手に、っあぐ⁉」
取り返そうと八坂に掴みかかるも、八坂の肘が美紀の首に直撃し、再び壁に背を付けた。肘で押し当てられたまま、身動き出来ない美紀をよそに、八坂の手は止まらない。
「……っと。はい、これでおしまい。後はお友達にも、よろしく伝えてね」
美紀の目の前でスマホが落下すると同時に、解放される。呼吸が戻り、膝をついて咳き込む美紀。見上げると、八坂の顔が美紀を見下すように覗いていた。
「あ、どうせなら、今日のことも秘密にしといてくれないかな? まぁ私の場合、別にバレたからって何かある訳じゃないけど」
くすくすと笑いながら指を顎に添える八坂は、そんな提案を持ちかけた。打って変わって少女らしい微笑みに、ますます気味の悪さが増長していく。
「なん、なんだよ、お前、マジ意味わかん、げぶっ⁉」
立ち上がろうとする美紀に、さらに追い打ちをかけるように、八坂の膝蹴りが刺さる。鳩尾が強烈に痛み、涙を浮かべていた。鉄の味がして、気持ちが悪い。
八坂は、それでも不気味なほど穏やかな口ぶりで、
「……わかるよね?」
とだけ告げた。
完全に怯えてしまった美紀は、こくこくと頷く。落下の衝撃で割れたスマホを急いで取ると、痛みを庇いながら八坂と距離を取った。
──ヤバい、ヤバいヤバい。アイツ、普通じゃない……!
逃げながら、八坂の尋常でない異様な雰囲気に囚われ続けていた。あの目が、赤い瞳が、支配されたようなあの感覚が。どうしようもなく恐怖を掻き立てる。
振り返ろうと、顔を後ろに向けようとすると、背筋を伝うおぞましい気配。吐き気がする。痛いからではなく、気味の悪さからだ。普通じゃない。魔物でも、魔法少女でもない、別の、何か。
もう関わりたくない。本気でそう思った美紀は、荒れる息でその場を立ち去った。
「……つまんないの。大した根性もないんじゃん。結局口だけか」
八坂は退屈そうに息をつく。汚れでも払うように、膝についた砂をはたいていた。
「それに引き替え、あなたはすごいなぁ。力もないうちから、誰かのために全力で戦い抜ける。うん、誰にでも出来ることじゃないのに」
八坂は空を見上げ、手をかざした。魔法少女となった七海が、魔物と戦っている方向。空を裂くように走る、黒の飛行機雲を思い浮かべながら。
「……期待してるんだからね、ゴシックちゃん。あなたのお手並みは、いかほどかな?」
彼女にそう、語りかけた。風になびいて見えた、その赤い瞳を光らせて。
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