【第三章 緩やかな日常】6
「では、魔法少女連合のー、初勝利を祝して!」
「「「「かんぱーい!」」」ベポー!」
プラスチックのグラスを突き合わせ、一斉に乾杯する。
後日、七海たちはカラオケに来ていた。七海の初勝利を労うため、また歓迎会も兼ねた祝勝会が開かれていた。密かに六城たちが計画していたようだ。
「カラオケとかひっさしぶりだなー、何歌おー? あ、八夜、あたしポテトなっ! コンソメ!」
「ナチュラルに人をパシらないで。七海さんは? 何か欲しいものある?」
苦言を呈しつつ、しっかり注文パネルを手に取っている六城。その面倒見の良さがあるから調子に乗っているのでは、と思う七海だった。
「あっ、えっと、私は今んとこ大丈夫……」
「ボクはポップコーン!」
「あんたには聞いてない」
ぷいっと顔を背ける。「酷いベポ⁉」と愉快な反応に思わず笑いそうになっていた。
「っていうか、アンタも来るんだね……」
机の上で胡坐をかくように、偉そうに座り込んだ白い毛玉。ベポリスも同じくカラオケに招待されていた。……いや、恐らくは勝手に来ているだけの可能性が高いが。
ベポリスは七海の方へ振り返り、えへんと胸を張った。
「当然ベポ! 魔法少女をケアするのもボクの役目ベポ!」
「ケアね……、の割には一番楽しそうだけど……」
一応、私が本日の主役なんだよね? と、皆一様に高まっているテンションに、苦笑気味の七海だった。
それにしても。なんだか落ち着かず、きょろきょろと部屋を見回す。カラオケに来るのは、初めてではない。しかし、こうして誰かといる空間は七海にとって、とても新鮮だった。嬉しい反面、「本当にここにいてもいいの?」という不安が、心をざわつかせた。
「ん? どした?」
二子澤が目をぱちくりさせ、七海に聞いた。
「え! いや、私、誰かとこういうとこ来たの、初めてで、ちょっと緊張してる……」
気恥ずかしそうに俯く。七海には、友達らしい友達は今まで一人もいなかった。故に、こういう場での振舞い方がわからないでいた。
すると二子澤は、その様子に、口の端が吊り上がる。
「初めてかい嬢ちゃん? 肩の力抜きなよ……」
わざとらしく言いながら、ゆっくり肩に手をかける二子澤。完全に悪乗りしている。
「えぇ……? お、お手柔らかに……」
おずおずと答えるしかない七海。するとその二子澤の手が、七海の頬に触れていく。顎に手を当て、持ち上げる。
「ふ、二子澤さん?」
七海は動揺した。黙ってればクール系漂う容姿なのに、そんなイケメンムーブされると普通に緊張するんだけど、と。
「ふん、かわいい顔しやがって……」
「かわっ……⁉」
不意打ちのその言葉に心なしか、頬が赤らんでいく。そして顔を近付けてくる。ちょ、流石に暴走しすぎじゃ……!
「どこの撮影会よ。やめなさい」
パシッと頭を叩く音。すかさず六城のツッコミが入った。途端に吹き出した二子澤は普段のように屈託なく笑い、チャーミングな八重歯を覗かせた。七海は咄嗟に顔を背ける。緊張も相まった心臓がドッドッドッと音を立てていた。六城さん、そのツッコミもどうなの……?
「ま、冗談だけどよ、でもあんま気張んなって。ここにゃ七海のこと悪く思うようなの、いないんだから」
「気楽にね。楽しもうよ」
七海は、優しい笑みを浮かべる二人を見つめ、はっとする。ふと目線をずらすと、ベポリスもつぶらな瞳で笑いかけていた。
心に、陽だまりが降るようだった。魔法少女という特異な出会いでも、こんな私を優しく、暖かく迎えてくれている。そのことに気付いて、七海は自然と緩む顔が抑えられない。
──一人でいるのは、とても楽だ。だって、誰も傷付けずに済むから。
誰とも関わらなければ、誰にも迷惑をかけなければ。自分だけが得をする、もしくは損をする。自業自得が、因果応報が、全て私だけのものになる。それが、すごく楽。だって全部、私のことだから。
でも今この瞬間。私は一人じゃない。ちょっとくすぐったくて、窮屈だけど、それがどうしようもなく心地いい。
「うん……そうだね。ありがと」
この時間を、大切にしたい。小さく返事をしながら、そんな気持ちが心の中で静かに芽生えていた。そのために、まずは──。
「……、何歌おうかな」
七海はタッチパネルを手に取り、曲を選び始めた。画面に並ぶタイトルを見て、少しだけ心が高鳴った。
「おっ! いいじゃん! でも、トップバッターはあたしがもらうぜ!」
二子澤はもう一つあるタッチパネルから操作して、さっそく曲を入れていた。
「あっ、主役が先とかそういうシステムじゃないんだね……」
「七海さん。カラオケのトップバッターって結構ハードル高いよ。やれる?」
「……最後でいいです」
やがて流れ出したのは、七海も聞いたことのある、流行りのJポップナンバーだった。選曲も、なんだか二子澤さんらしいって感じ、するな。
──元気よく歌い切った二子澤の歌声はパワフルで、聴いていた七海もウキウキするほどに力の出る声量だった。思わず胸の前で拍手していた。
「すごい……二子澤さん……」
しかし慣れているのか、六城は嘆息していた。
「声がでかいだけだよ」
「んだとっ⁉」
「見てて。次、私の番」
六城は、これまた打って変わって、ヒップホップだった。淡々とラップを歌いこなし、手ぶりも合わせ音を楽しむ様子に七海は感嘆する。な、なんか、すごい意外性……。
「ま、こんなもんかな」
「すごい、二人とも。歌上手だ」
「へへっ、そうかー?」
「当然」
鼻をこすって照れくさそうな二子澤、どや顔で自信たっぷりな六城。対照的な二人の反応に苦笑する。
「次はボクベポー!」
「え、アンタ歌えるの? ってかマイク持てるの?」
「バカにしないでほしいベポ。ボクだってしっかりマスターしてるベポよ?」
目を細め、きらりとウィンクをするベポリス。ちょこん机に座り込み、流れ出したのはアニメソング。それも、安定の魔法少女ものである。
「……かわいい」
歌というより、ベポリスの歌うさまが七海の心を動かしていた。両手で抱えるようにしてマイクを持ち、持ち前の高音で高らかに歌っていた。体が音楽に合わせて揺れる度、ふわふわの毛並みがなびいている。
「コイツ、やっぱ普通にしてりゃただのマスコットなんだよなー」
「同感。モフモフしたい」
「わかる……わかるなぁ……」
「そこ! うるさいベポ!」
振り返り、かっと目を見開いて怒るベポリス。しかしその姿すら愛らしく、七海は二人と顔を見合わせ笑っていた。邪魔をされながらもしっかりと歌い切ったベポリスに、まばらながら拍手が起こっていた。
「っと、次、七海の番だぜ」
「あっ、うん。ありがと」
二子澤に手渡されたマイクを受け取る。
少し緊張した面持ちで、周囲の視線を受け止める。鼓動が速くなるのを感じながら、モニターに目を向け、口元にマイクを近付けた。
──大丈夫。誰も、変に期待なんてしていない。私のままでいいんだ。
イントロを聞きながら、浅くなりそうな呼吸を、一つ、長めに吐いてから、大きく吸い込んだ。
そして、七海は静かに歌い始める。曲は、少し旬の過ぎた、人気バンドの一曲。何度か声が震えそうになったが、歌い続け、徐々に取り戻していった。
「……おぉ」
「……へぇ」
「やるベポ」
……なんだか歌いにくいと思いつつ、それでも、マイクを置くことはしなかった。七海は今、この瞬間が最高に楽しいと、感じていた。
歌い終わったあと、ふぅと息をつく。ミスばっかりだったな。
「七海さん、いい声だね」
「えっ⁉ そうかな……、初めて言われた……」
「あたしは好きだぞ! 七海の歌!」
「ちょ、やめて、恥ずかしいから!」
「でも。本当に落ち着いていて、安心する声だよ。自信持って」
二人して七海を褒め称える様子に、恥ずかしそうに前髪を掻きわけた。
「ほ、ホント? うーん……」
照れくささが限界になり、ふと顔を逸らす。一言も発さないベポリスをちらと横目で見ると、
「……ボクの見立てに狂いはなかったベポ」
何やら、後方腕組み彼氏面のような、うざったい反応だったので、七海は無視をした。
──それから。七海たちはそれぞれカラオケを楽しんだ。デュエットしようという二子澤に無理矢理ながら乗せられたり、運ばれてきたお菓子を一緒につまんだりして、あっという間に、時間が過ぎていった。気付けばもう二時間も経っていた。
「ふいー歌った歌ったー! もーガラガラだよー」
「声張りすぎ。その調子じゃすぐばてちゃうの目に見えてた」
「でもカラオケってそういうもんじゃん?」
会計を済ませ、カラオケ店を退出すると、
「ボクはそろそろ、用事があるから帰るベポ~」
ベポリスはさっさと帰って行ってしまった。本当にただ遊びに来ただけじゃん、アイツ。
「よっし、それじゃ、次どこ行くよ?」
「え、これで終わりじゃないの?」
七海の困惑した声に、二人はきょとんとする。
「何言ってんだよ、まだ明るいぜ?」
上を指差し、まだ遊び足りないと言う二子澤。同調するように六城も、
「今日は七海さんをめいっぱい甘やかす会だから」
と聞き分けはなさそうだった。甘やかすなら開放してくれても……と一瞬思ったが、観念したように苦笑した七海は、柔らかく笑う。
「もうっ、しょうがないなぁ」
三人はどこへ向かうでもなく、しばらく町中を歩くことにした。二人が楽しげに次の予定を話し合う中、七海は一歩引いて、彼女たちの背中を見つめていた。
「そしたらさ、モール行こうよ。あっこならなんでもあるし!」
「いいね。私も七海さんをコーデしたい」
二人の声に、七海の口元も自然と綻ぶ。言葉を返そうとして口を開きかけた時。
冷たい視線を感じ、ゾッ……と強い嫌悪感が背筋を伝った。
「ッ⁉」
バッと後ろを振り返る。そこは先ほどまで通ってきた道で、誰かが凝視している様子など微塵も感じなかった。しかし、未だねっとりと感じる気配が、七海の心臓を波打っていた。
──何、今の……。魔物の気配とは違う、明らかに異質な……。
「七海? どうかしたか?」
声をかけられ肩が跳ねる。敏感になっている精神に鞭打たれたように、より鼓動が速くなった。
「え! あ、う、ううん! なんでもないっ!」
思わず隠すように、気丈に振舞った。笑顔はどこかぎこちない。怪訝そうに瞬きを繰り返す二子澤だったが、
「まぁ、ならいいけどよ。それより、早く行こーぜ!」
「あ、えっと、どこに行くんだっけ」
「もう。これから、モール行こうって話してたの。七海さんも一緒にね」
六城の柔和な表情。直前まで聞いていたはずの話すら飛んでしまうほど、七海は動揺していた。
──気付いたのは、私だけ……?
彼女たちは至って平然としている。不気味な違和感など初めからなかったようだ。しかし、まとわりつく蜘蛛の糸のような感覚は、まだ七海の背に残っていた。
怖気を誘う気配に呼吸が浅くなる前に、
「あっ、そ、そっか、そうだね、うん、行こうっ!」
と一歩近付いて二人の背中に手を当てた。きっと私の気のせいだと、目を背けるように。
「うわっと? なんだよ急にっ」
「大胆だね」
あはは、と七海は不安な気持ちを笑って押し殺しながら、二人の背中を押して前へと向かせた。
そうしている間、七海はもう一度、後ろをそろっと振り返る。やはりそこには、何もない。あるのは通りを歩く人々と、その喧騒だった。




