【第三章 緩やかな日常】5
「っ!」
「飛べんのか、そりゃそうか! だが、残念、空中はあたしの主戦場だ!」
勢いを付け火球を飛ばすブレイズ。が、振り上げた鎌がそれをぶった切った。
「まだまだぁ!」
続けて火球を投げ続け、煙が立ち込める。鎌クワガタを覆っていく煙が姿をくらませていく。
「マズい、これじゃ……!」
七海はいち早く気付いたが、遅かった。直後、鎌クワガタの鋏がブレイズに襲いかかった。
「ぐあぁっ⁉」
「ブレイズ!」
挟み込まれた体が持ち上げられ、ブレイズは身じろぎする。しかし鋏は鉄のように固くブレイズを締め上げた。
「あぐぁ! この……っ!」
「ふた……ブレイズを……離せっ!」
七海は矢に力を籠め、鎌クワガタに照準を合わせる。それに気付いたか、鎌クワガタは頭を大きく振ってブレイズを投げ飛ばす。
「えっ、きゃあっ⁉」
受け止めきれず、ブレイズとともに飛ばされる七海。
「ぐっ、大丈夫か……!」
「ブレイズこそ、怪我はない……?」
空中が主戦場なのはどうやら相手も同じようだ、と七海は鎌クワガタを見据える。
地上の時よりも遥かに動きにムラがない。ハエのように宙に俊敏に飛び回っている。
突進を仕掛け地に叩きつけられる度、衝撃で地面が抉られていく。
また飛び上がり、空中で大きく一回転。そのスピードに任せ、また突っ込む。さきほどまでの戦闘は、まるで遊ばれていたかのようだった。
「くそ、早い……!」
端的に言えば、翻弄されていた。力量では敵いそうなものの、うざったいほどのその動きに。
「くっ……!」
アイギスはその一部始終を見ながら、歯を噛み締める。隙を見せないその様子に、子供たちにも不安がよぎっていた。
「ねぇ……私たち助かるのかな……」
ふと漏れ聞こえる声に、アイギスは振り返り、
「大丈夫。私たちがついてる」
と励ました。しかし、
「アイギス!」
ブレイズの声に振り向くと、鎌クワガタがアイギスの結界に向かって突進していた。
「ぐっ!」
「「うわああああああ!」」
いくら結界が強固と言えど、よそ見は厳禁。重みのある衝撃はわずかだがアイギスの結界を押していた。
──このままじゃみんなが危ない。
七海は一人、この状況を冷静に分析する。
アイギスは子供たちを守るために結界を維持する必要がある。ブレイズは炎で鎌クワガタに有利を取れるが、当たらなければ意味がない。
相手は虫一匹。だが厄介な鎌と鋏、そして素早い空中戦。どれ一つとして油断は出来ない。
──……、虫?
と、七海の頭にある考えがよぎった。そして同時にこれなら、と閃きがあった。不敵に微笑み、七海は、鎌クワガタの攻撃を避けながら考えをまとめていく。
宙で鎌クワガタに攻撃を仕掛けていたブレイズが隣に立つ。七海は口を開いた。
「ブレイズ。私、一つ提案があるんだけど」
「?」
七海は、その作戦をブレイズに話す。作戦の遂行には、二人の協力が必要だった。
「──……行ける?」
反応を待っていると、
「……またアイギスに無茶するなって言われるぞ?」
苦い顔でブレイズは言った。
「大丈夫だよ。きっと上手くいく。もし何かあってもすぐ逃げればいい」
自信たっぷりに言う七海に、ブレイズの目が一瞬大きく見開いた。……正直、上手くいく保証がある訳じゃないけど、でも、きっと二人なら。
堂々たる態度は、ブレイズのやる気を一気に引き上げた。
「……そっか。なら、いっちょやってみるか!」
ブレイズは前を見据えながら、すぅと大きく息を吸い、
「アイギス! ……チェンジだ!」
と叫ぶ。
「……! 何すればいい?」
みなまで言わずとも、その一言で何かを悟ったアイギスは、それだけ質問する。ブレイズはにっと笑い、目線を、七海に向ける。
「──弓兵を、閉じろ」
と、また一言だけ告げた。
「……。まったく、……了解!」
まさしく阿吽の呼吸で、二人は通じ合う。その様子を七海はどことなく羨ましく見つめる。……アイギスは睨みつけていたが、七海は気付いていなかった。
「スリーカウントで行くからなっ! 行っくぞー! おらおらおらおらぁ!」
再び、闇雲とも思える火球を、続けざまにぶちまける。鎌クワガタは火球が来る度切り捨てていく。次第に煙が立ち込め、姿をくらましていく鎌クワガタ。
「3、2、1! チェンジ!」
途端に攻撃が止み、ブレイズは瞬時に動き出す。アイギスはシールドを解いてブレイズの向こう、七海の方へと向かっていく。
その瞬間を鎌クワガタは見逃さない。巧みに空中で動き回り、ブレイズの影を捉える。
そこへ、一本の矢が通り抜けた。
「⁉」
煙の混乱に乗じ放たれた矢によって、鎌クワガタは影を見失う。
「こっちだ!」
七海は、威嚇するように声をあげ、再び矢を射る。挑発に乗った鎌クワガタは、射線から七海を捕捉し、一気に突進する。風を切り、煙を巻き上げた。
「捉えろ……!」
キシャアアアと咆哮をあげながら向かう鎌クワガタへ、矢を放つ。が、軌道はよそに逸れ、あらぬ方向へ飛び去った。ほくそ笑むように、接近してくる。風切り音が耳元で鳴り、思わず引き下がってしまいたくなる。冷や汗がたらりと流れた。
しかし。七海はその場で、前を見据えたまま、手首を手前に引き寄せる仕草をする。睨むように目を細め、その姿を逸らさない。……これで決めるよ。
「間に合って……!」
アイギスの声が届く。
やがて。
ガキンッッッ‼ と。
鎌クワガタの鋏が、固い衝撃にボロボロと崩れ去る。
「⁉」
「……コードβ。起動完了」
アイギスのシールドが、七海の全身を覆うように守っていた。そのシールドに拒絶された鋏が、鎌クワガタの武器を打ち崩したのだ。
そして。
「──スネーク・ショット」
ドズンッ! と。通り過ぎた矢が生き物のように宙で反転し、その背を大きく貫通した。
「キ、キシャアアア……」
鎌クワガタの断末魔が響く。ぴくぴくと痙攣する体が生々しく動くが、やがて弛緩し完全に停止する。
「……全身が固い甲殻で覆われているけど、その実、中はすごく柔らかい。背中の羽の内側は、虫にとって大きな弱点なんだよね」
鎌クワガタが光となって消えていく間、ゴシックは何かに語りかけるように呟いた。
「……だからって。わざわざ囮になるような戦い方しなくても」
「アイギスのシールドが一番信用出来るから。……ごめんね? 無理言って」
笑いかけるゴシック。苦笑しながらも、アイギスは、
「……ま。今回は許してあげる。あなたの初陣だもの」
と微笑み、シールドを解いた。
ふと、ドーム型の遊具の方を見る。ブレイズが立ちはだかるように子供たちを守っていた。七海は、その遊具から顔をひょっこり出している子供たちに笑顔を向けて。
「終わったよ。もう大丈夫だから」
その声を合図に、わっと一斉に飛び出した子供たちは、
「かっこよかったー!」
「怖かったよー!」
と感情豊かに三人の周りに駆け寄ったのだった。
七海の考えた作戦の内容は、
一、ブレイズの攻撃による目くらまし、そしてアイギスへの交代。
二、七海が注意を引き、鎌クワガタを引き寄せる。魔法の矢を、背中に向けて放つ。
三、アイギスのシールドにより七海を守り、その隙を突く矢を反転させ、弱点を貫く。
というものだった。
六城と二子澤、二人のチームワークの良さは、魔法修行の時にも感じていたほど息が合っていた。だからこそ、それを最大限活かせる作戦だと七海は信じていた。
──でも、ちょっと独りよがりだったかな?
子供たちの目線まで屈み、頭を撫で慰めながら、そんなことを考えていた。
七海の矢が正確に、また一撃で仕留めきれるとは限らない。それは七海自身も理解していたが、少しばかり見栄を張りたくなっていたのも事実だった。
「よーしよし、もう大丈夫だかんなー」
「泣かないで」
二人も子供たちをあやす中、七海に駆け寄った一人の少女が、
「ねーねーお名前なんて言うの?」
と問いかけた。興味津々で目を輝かせている。
七海は上を見上げ、空で考える。そろそろ本当に決めないとな。
ふと、手に持った黒い弓を見つめ、そして着ているコスチュームを眺める。黒の装束、ドレススカート……。
怪訝そうに少女が首を傾ける様子を見て、くすっと笑う。なんでもいいか、と七海は、
「『ゴシック』だよ。魔法少女『ゴシック』。よろしくね」
と微笑みを浮かべ、胸に灯る確かな決意を、その名に刻んでいた。
その後──彼女たちは、別れを告げ空へと飛び立っていく。
一人の少年が、ゴシックの、空を走るように飛ぶ姿に、
「すっげー!」
と声をあげ喜ぶ。それを聞いて振り返り、手をひらひらと振った。
「にしても。もっといい感じの名前はなかったの?」
「……、うん、あんまり複雑な名前にしても、覚えづらいから」
「そっか! ま、なんかイメージ的にもピッタリかもな!」
「……だといいな」
ゴシックは、その名に込めた思いを心で紡ぐ。
──普通の人だった私が、自分を救うことも出来なかった私が。今、誰かを救うための力を手にしてる。頼りない力かもしれないけど、誰かの光になれたなら。
黒の中にだって、微かな光がある。そんな小さな希望に、なれたなら。
「それにしても。あんな芸当が出来るなんてね。感心しちゃった」
「え?」
「魔法。弓矢だよ。もう完全に使いこなしてるね」
「あたしも作戦聞いたとき、やれんのか? って思ったぜ。いざとなりゃ、あたしが裏に回って弱点突いてやろうとしたんだけどな」
「あー、ごめん。それ、私も結構ぶっつけ本番。でも、」
と、続けて言葉を繋ごうとすると、困惑した様子の二人が割り込んだ。
「うそぉ」
「……。割と度胸あるね」
まずかったかな、と苦い顔をするゴシック。弁明するように続けた。
「で、でも、魔法はイメージってアイツも言ってたし、やれないことはないかなって……。それに、二人がいなきゃ、成功はなかったから……」
「謙虚なんだね」
アイギスはため息をついていた。呆れるような、認めるような、そんな表情をしていた。
「でもま、それがいいとこなんじゃない?」
ブレイズがにかっと笑う。つられて、ゴシックとアイギスも笑っていた。
「七海さん──いえ、ゴシック。改めて、これからもよろしくね」
「あたしからも!」
二人は顔を見合わせてから、ゴシックに手を差し出し、笑みを浮かべていた。ゴシックは少し驚いた表情をしながらも。
──ああ、と。
こんな二人に、私は憧れているんだ。そんな魔法少女に、焦がれているんだ。そう思いを抱きながら、
「うん。よろしくっ!」
優しさで溢れている、その手を取るのだった。




