【第三章 緩やかな日常】1
「──んじゃまた、放課後な〜」
六城たちと別れたあと、教室へ向かう。七海は久々の登校に、緊張を覚えていた。
あの日、七海が通う学び舎は魔物により破壊された。修復不可能なほどの亀裂や破損でしばらく休校だったそうである。もっとも、魔法少女たちによる懸命な復旧活動によって、本来かかるはずの工期よりも大幅に短縮され、見事に復活を遂げていた訳だが。
ガラガラと扉を開ける。瞬間、クラス中の視線が自分に集まったような気がして一瞬、息を呑んだ。
すぐに錯覚だと気付き、気にしすぎか、と安堵する。
過ぎてしまえば何のことはない。七海は席に着いて、授業の準備を始めた。すると、前から声をかけられた。
「七海さん、おはよ」
見上げると、ボブカットの少女がいた。顔は前髪で隠れていて、よく見えない。
「……おはよう」
七海の驚いた様子をよそに、彼女は続ける。
「聞いたよー、巻き込まれちゃったんでしょ? 大丈夫だった? すっごい大怪我だって噂だったよ?」
彼女の声は、どこか本気で心配しているように感じられた。
「う、うん、もう平気。……えっと」
「八坂だよ。もう、クラスメイトの名前くらい覚えなよ」
「そっか、ごめんね、八坂さん」
本当は覚えていた。しかし、親しげに名前を呼ぶことに少し抵抗があり、謝りながら誤魔化した。
「そういえば、私見ちゃったんだ、あの日。魔法少女!」
心臓が跳ねる音が耳に響いた。動揺を悟られまいと顔をあげるが、八坂は気付かないまま話を続けた。
「あの魔物に立ち向かうなんて、すごいよね。跳び回ってる姿とか、本当にカッコよかったもん!」
「そ、そうなんだ……」
「七海さんも見た? 近くにいたんじゃないの?」
「あーいや、私は……見てないかな……」
そう答えるしかなかった。目を伏せながら七海は必死で平静を装ったが、心臓は鼓動を速め続けている。ば、バレてない、よね?
「んーそっかぁ。私もその後すぐ避難しちゃってわからないんだよね。ネットにも情報転がってないし、その後どうしてるのかなーって気になっちゃって」
今あなたの前にいます──とは言えなかった。「……案外、近くにいたりしてね」ぎこちない笑顔でそう返すのが精一杯だった。
「だったらいいなー」
楽しげな表情を浮かべる八坂。ふと、七海の俯きがちな様子に気付いたのか、
「ごめんね、私ばっか話しちゃって。七海さん、意外と話しやすくってつい」
「……ううん、大丈夫。人の話聞くの、好きだから」
「ホント? じゃあもうちょっと魔法少女の話、しちゃおうかな。へへ、前から七海さんとこうしてお話してみたかったんだー。せっかく近くの席なのに、話せないなんてもったいないもん」
「そう、なのかな?」
「そうだよー? あ、それでね──」
八坂はぱあっと明るくなり、この町の魔法少女のことを語り出す。彼女たちがいかに個性的で強く、かわいいかを。楽しそうに熱っぽく語る八坂の姿は、憧れの光に満ちていた。
そんな八坂の話に耳を傾けることで、七海の強張っていた表情が少しずつ緩んでいった。八坂ちゃんって、結構明るい子なんだな。
「──でね、私の推しは、」
しかし。そんな明るい会話に水を差す声が聞こえてきた。
(ユッキー、ななみん来てんじゃん)
前の方の席で、こそこそと話す声。二上縁の取り巻き二人だった。いじめに加担していた二人が、七海の方を見て笑っていた。
素の声が大きいのか、八坂にもその声が聞こえており、びくっと体が跳ねていた。
(全治何か月とかじゃなかったっけ? 早すぎない?)
(学校大好きちゃんかよ、ウケるー)
根も葉もない話で盛り上がって、勝手に笑いものにしている姿は、滑稽だが腹立たしい。八坂も「気にすることないよ」と相手にしないよう注意するが、うるささは止まらない。
──ホント、くだらない。
突発的に始まった彼女たちの会話のせいで、八坂との交流が自然と終わった。「また話そうね」と八坂は笑っていたが、その様子はぎこちなかった。
頬杖を付いて窓を見る。灰色の空は、まるで彼女の心を映したかのように重苦しい。
「……お前ら声でかすぎ。外まで聞こえんぞ」
そんな声が、二人の会話を遮った。二上縁が、呆れたように息をついていた。
「お、縁、はよーっす」
「朝から元気だなお前ら」
「いやーだってあのレアキャラ来てんだよ、アガるじゃん?」
「レアキャラって。だったらあたしも同じだろ。怪我人同士で」
端的に言う二上。二人は怪訝そうに、
「……やっぱ縁、頭でも打った?」
「んなことねぇ、いつも通りだっつーの」
すると、がたっと椅子から立ち上がる音が響く。
「いやいや、やっぱ変じゃん! ななみんの話してもなんかはぐらかしてばっかだし!」
「そうだっけか? なんでもいいから、もうアイツに構うなよ、時間の無駄だ」
二上のとぼけた態度。七海はその会話を物珍しそうに聞いていた。意外なこともあるもんだ。それとも私のこと庇ってる?
「……絶対なんかあったっしょー。あ、ってか直で聞けばよくない?」
「ユッキー天才、いこいこ」
「お前ら……」
二人は七海の方へ歩みを寄せた。……ヤバい、こっち来る。
焦燥感から、七海は席を離れようとするが、その前に呼び止められたことで目論見は失敗した。
「なーなみーん」
「……何」
中腰の姿勢を戻し、再び席に着く。顔だけは取り繕い、二人を見据えた。
「あの日さー、縁となんかあった?」
「縁に聞いても全然答えてくんないからさー」
「別に、何も……。魔物に二人とも襲われて、それだけ」
えーホントにー? としつこく聞いてくる二人。鼻腔をくすぐる香水の匂いに咳き込みそうになる。
何か話題を変えようと二上の顔を見るとうんざりしたような顔をしていた。早く終わらせてくれと言外に伝えるその様は、七海の心に一つの疑問を浮かばせた。
七海は喉の奥が渇くのを感じながらも、無理に言葉を出した。
「……そういう二人は、どうなの」
「何が?」
「二上さんのこと。あの日、私よりも、一番近くにいたはずだよね。そんなあんたたちが、どうして二上さんのこと知らないのかなって」
視線を上げられない。胸元で握りしめた手が汗ばんでくる。切れ切れになる震えた声で、それでも七海は俯きながら言葉を続けた。二人の後ろにいる二上の眉が、ぴくりと動いたことに、気付くことなく。
「不思議だったの。二人が一緒にいたなら、二上さんだけ、瓦礫の下敷きになってたこと、知らない訳ないって、なのに、」
「うるさいなあ」
威圧感を含んだ美紀の声が、七海の言葉を強引に押し潰した。びくっと肩が跳ね上がる。
恐る恐る視線を向けると、美紀の鋭い目が七海を睨みつけていた。横にいる由貴は、唇の端を持ち上げた意地悪そうな笑みを浮かべている。
「今はさ? あんたの話してんの。つか、そんなのあんたに関係なくね?」
美紀は腰に手を当て、七海を見下ろすように体を折り曲げた。束ねられたポニーテールが七海の目の前に揺れる。
「ななみーん、別に怒ってる訳じゃないんよ?」
由貴がわざとらしく優しい声を出しながら続ける。
「聞いてるだけなんだから、そんな縮こまんないでよ、いじめてるみたいじゃん?」
──みたいじゃなくて、そうじゃないか。
そう思いながらも、七海はただ目を伏せて顔を背けることしか出来なかった。
「ほらほら、ちゃんと目ぇ見て話そうよー。あたしらだってななみんと仲良くなりたいし?」
そう煽るように言う美紀の声。美紀が七海の顔に無理矢理掴みかかり顔を向けさせる。「ちょ、やめっ……!」と声をあげるも止める気配はない。どころか、抵抗を示す様子にどこか満足げな顔をしていた。
あわあわと八坂が助けに入ろうか迷っていると由貴は「八坂っちはうちと話そっかー」とにこにこして邪魔に入らせないようにする。頼る相手も失われ、七海は絶望に陥った。
──あぁもう、本当に。こんなこと一つですら、まともに勇気が出ないなんて。魔法少女になったって、結局何も変わってないや……。
そんな中、「……、ホントくだらねぇな」と小さく呟く声が聞こえてきた。
「そこまでだ。ったくいつまでやってんだお前ら」
呆れ顔の二上が美紀の手を掴んでいた。目を丸くした七海は、目の前で繰り広げられた光景に呆然とする。そして、美紀の方もそれは同様のようだった。
「ちょ、縁、何すんの、こっからが面白いんじゃん?」
「なげぇって言ってんの。はいはい、この話おしまい。七海は怪我して入院、あたしは軽症で軽い捻挫。そんだけのことだ」
二上は二人の話など聞く気もないとばかりに、無理矢理終わらせにかかった。二人を押し出し席に戻そうとする。
「あっ、ちょっと!」
「せっかく面白そうな話聞けると思ったのにー」
「襲われた話が面白い訳ねぇだろ……」
二上はため息をついていた。七海の方を見て何かぼそっと口を開いていたが、すぐに視線を戻し、二人とともに席に戻っていった。
──これっきりだバーカ、と言っているように聞こえた。
七海に対しての態度が少し軟化した様子の二上を見ていた八坂は、
「……やっぱりちょっと変わった? 二上さん」
と怪訝そうに七海に問う。
七海はその質問に、病院での一件を思い出していた。感謝を告げられ、照れくさそうにしていた二上の姿を、その背に重ね、薄く微笑んだ。
「……かもね」
◇
「はい、じゃあ小テスト返していくから、次の授業までに見直しておくこと。わかった?」
久々の登校で授業内容についていけないという心配があった七海だが、教師たちの配慮により、魔物による被害を受けた生徒を集めた臨時教室が設けられ、その懸念は晴れた。
──まぁ、普段から学校でやることなくて予習してたから困ることはほとんどなかったけど……。
なんとも悲しい理由だが、事実である。
とはいえ。七海を含む生徒達は大半が疲れた顔をしてぐったりしていた。無理もない、必要な範囲だけの授業だったとはいえ、相当な量をこの午前に詰め込まれたのだから。
そんな臨時教室も一度区切りがつき、元の教室へと戻っていく七海。ざわざわと流れる生徒の波を進みながら、今日の昼ごはんもいつもの場所で食べようかと思案する。
教室に一度戻り、小さなバッグを取り出した。今日の昼食である。
教室からいつもの場所までは多少遠く、だが人気が確実にないことは立証済みだった。七海は浮ついた気分で教室を出る。
──が。
「七海……ちょっと、いいか?」
「……?」
廊下で待ち伏せるように立っていたのは、二上だった。




