【第二章 魔法少女の責任】6
「く、来るんじゃないわよ!」
足を振り回し、寄らせないようにしているが、簡単に避けられた。
七海は心で、思いを束ねる。
──特別な力じゃなくていい。ただ一瞬、この人を守れるだけの、そんな力が……!
その思いの力は、願いは、光として顕現する。
「──眩しっ、な、七海さん? 何なのそれ⁉」
「これって……」
手に握ったペンダントをかざす。その光は、七海の思いと呼応するように光り続けた。
そして、七海は確信していた。
「……お姉さん。少しだけ、目を閉じていてもらえますか?」
「は、はぁ? このバケモンほっといて、そんなの無理に決まって──」
「なら。今から私、ちょっと変なことするんで、見なかったことにしてください」
「ねぇ、七海さん? 一体何の話を……」
答えを待たず、七海は目を閉じて、その力に祈る。
「マジック。メタモルフォーゼッ‼」
力の奔流が、七海の中へ流れ込む。光の束が、七海を包み込む。腕に、足に、体に。
「え、何、きゃあ⁉」
看護士の背中から剥がれるように、七海は正面に躍り出る。ゴシックドレスのスカートがひらりと舞った。
「……! 魔法、少女⁉」
動揺する看護士を、今度は七海が抱えた。
「え、ひゃあ⁉」
窓を見る。そのフロアは病棟の二階。人がいないことを確認し、
「お姉さん、怖いかもしれないけど、ちょっと、飛ぶから!」
「飛ぶって、どこに、う、うわあああああああ⁉」
七海は窓を開け、看護士とともに、病棟の外へ飛び出した。自分でも強引な選択だと思いつつ、これが今出来る最善だと疑わなかった。
無事、着地する。足にズキンと来る痛みを耐え、何とか持ちこたえた。
「……、い、生きてる?」
目をぎゅっと瞑って縮こまった様子の看護士に少し笑いながら、七海は答える。
「はい。生きてます。ごめんなさい、こんな方法しか思いつかなくて」
「え……うん……。えと、七海さん、よね?」
「あー……、えっと、別人? ってことで勘弁してください……」
「えー、何なのそれ……」
ついさっき正体をバラすなと言われた手前で心苦しいが、今はそう言うほかになかった。
「とにかく、急いで逃げてください。ここより安全な所へ!」
七海は看護士を降ろし、逃がすことを優先させた。そして、飛び降りてくる犬ゾンビと対峙する。一部の犬ゾンビは不慣れな着地で動けなくなっていた。
「でもあなた、体は……!」
「私なら、もう平気です。行ってください!」
そう言って、右手をかざし、弓を握った。その足で、しっかりと立っていることを証明しながら。
「──……、あ、あまり無茶しないでよ! 怪我が治ってる訳じゃないんだから!」
動揺しながらも、七海のまっすぐな目に気圧されたのか、看護士はそう言って走り去っていく。最後まで七海を気遣うその姿に、笑みが零れた。
「全く。キミは、とんでもない魔法少女ベポ」
隣から、不意に現れたその存在に、目を細める。
「……アンタ、どこにいたの」
「一応ボクは隠れてたベポ。キミに迷惑が掛からないようにね」
そう言うベポリスは、少し怒っているように見えた。無理もないか、先ほど言われたことをさっそく破ってしまったのだから。
「本当に、こんな無茶な変身、前代未聞ベポ」
「……でも、それでこそ、ヒーローって感じしない?」
「そういうことは、きっちり倒してから言うのがカッコイイベポよ?」
そうやって、軽口を叩き合う。それもそうだ、と七海は薄く笑った。
「その力、長くはないベポよ。無理矢理絞り出したような力だ、おそらく三分も持たないベポ」
「……わかってる」
言いながら、七海は自身に宿った魔法少女の力を確認していく。体に痛みはあるが、和らいでいる。
──そう。これはきっと、ちょっとした奇跡みたいなものだ。あの時みたいに、戦い続ける力には程遠い。
だから、少し時間を稼ぐだけでいい。あの人が、皆が逃げられるだけの、少しの時間を。
弓を構え、前方からにじり寄る犬ゾンビから目を逸らさない。数にして十匹はいるか。いや、まだ上から降りてくるものも含めると、正確な数はわからない。
「あの見た目だけど、俊敏な奴らベポ。加えて数も多い。狭い範囲の攻撃はすぐに回避される。気を付けるベポよ」
ベポリスのアドバイスを受け、頷く。
「……だったら、こうかな」
複数の黒い矢を浮かび上がらせ、指で挟み込むように掴み、
「拡がれ……!」
放つ。
「スケールショット!」
狙いを絞らない、数十にもなる矢の広がりは、避け切れないまま命中する。
「ギャウン!」
一体ずつを確実に仕留めることは出来なくとも、足止め程度には効いていた。矢が複数刺さり、動きが緩慢になっている。
「よしっ……!」
狙いを絞り、鈍った犬ゾンビを中心に、矢を射る。命中させる度、光の粒子となって消えていく。
「雫九!」
「えっ、うわっ!」
突如、死角から現れた犬ゾンビが七海に跳びかかる。咄嗟に弓を突き出して、柄を噛まれてしまう。反動で足元がぐらつき、背中側から倒れた。
「あっ、ぐぅっ⁉」
痛み出した足に思わず声が漏れる。マズい、このままじゃ……!
「グァウ!」
「は、離れて!」
弓を振り回し引き剥がそうとするも、執念深く噛み続ける。構っている間、その後ろから他の犬ゾンビが近付いてくる。
「雫九、もう手を離して逃げるんだ! 十分に時間は稼いだ、多勢に無勢ベポ!」
「くっ……!」
万事休すか、と思われた。
「アクア・プーラ」
そんな声とともに、水の塊が魔物に襲い掛かり、呑み込んだ。艶のある声だった。
「……⁉ ……!」
「! なに、これ……」
手を地面について、その光景を目撃する。水の中で苦しみもがく犬ゾンビに、その声の主は、
「ご加護あれ」
一息に近付き、拳をぶち当て殴り飛ばした。その手には黒い指ぬきグローブがはめられているのが見えた。
「シスター!」
とベポリスが喜びの声をあげていた。
「あら。あなたもいらしたのですか、ベポリス」
シスターと呼ばれた少女は、ベポリスの反応をいなしつつ、七海に手を差し出した。
「お怪我はありませんか?」
「う、うん、大丈夫……」
突然の出会いに困惑しつつ、差し出された手を掴み、立ち上がる。
銀色の髪が風になびいた。儚げながら凛々しい顔立ちは、薄いベールに覆われている。白に包まれた衣装は、彼女の華奢な曲線美を隠すことなく晒していた。
犬ゾンビの群れは警戒しているのか、グルルと唸り声をあげている。
「えっと、あなたは……」
「説明は後ですわ。今は集中なさいませ」
その凛とした声で振り向き、見据える。犬ゾンビの群れは、二人を囲むように群がり、警戒していた。
「バウッ‼」
一匹の犬ゾンビが、吠える。共鳴するように、周りの犬ゾンビも吠え始める。
「この数、厄介ベポね」
「どうしたら……」
しかし彼女は怯えることなく、まっすぐ見つめる。氷のような目が、犬ゾンビを睨んだ。
「よく吠える駄犬ですこと。ですがそろそろ──耳障りですわね」
シスターは腰を落とし、拳を構える。それに合わせ、慌てて七海も弓を構えた。
「ふっ!」
「キャウンッ⁉」
瞬間、素早く距離を詰め拳を振るうと、一匹の犬ゾンビが昏倒した。
「まどろっこしいのは嫌いですの。……まとめてかかってらっしゃいな」
挑発するように、手で招く。引き金になったその仕草で、魔物の群れが一気に襲いかかった。
彼女は臆することなく、身一つで立ち向かう。
「アクア・パルモ!」
拳の形を取った水の塊が、犬ゾンビを容赦ない速度で襲い、怯ませる。
「まだまだ、こんなものではないですわよ!」
己の拳と、水の魔法を両立させ、犬ゾンビの群れを圧倒していく。洗練されたその動きは流麗で、鮮やかだった。
「す、すごい……」
弓を引くことを忘れ、呆然と眺める七海。動けなかったというより、見とれてしまっていた。
一瞬にして掃討された魔物の群れは、光の粒子となって空へと消えていく。
「こんなものですか。あっけないですわね」
そうして、七海の出番はないまま、戦闘は終了した。
「流石シスター。お見事ベポね」
「お褒め頂くのは結構ですが、あなたはどうしてここへ?」
「雫九の看病ベポ!」
「してもらった覚えはないけど……?」
七海は思わずツッコんだ。シスターは少し笑っていた。
「改めまして、七海さん。わたくしは魔法少女、シスター。今日はあなたに、ご挨拶にと伺いましたの。とんだ邪魔が入ってしまいましたが」
シスターは、柔らかな表情を浮かべ、七海に向き合った。
「えっ、ご挨拶ってそんな。まだなったばっかだし、私なんかにそんな、」
「私なんか、などと言うものではありませんわ。謙遜は美徳かもしれませんが、あなたはあの日、その役目をきちんと果たされたのでしょう?」
「そう、なのかな」
「ええ、そうですとも。あの二人──アイギスとブレイズからも、よろしく伝えてほしいと聞いております。ただ、町の復旧作業に追われて、少しご挨拶が遅れてしまいましたが」
シスターは辺りを見回すと、
「残党もいないようですし、わたくしはこれで」
「あっ、シスター、ちょっとまっ……!」
背を向け、歩き出そうとしたシスターを追いかけた時、不意に変身が解ける。
「いぎっ⁉」
踏み出した足に、激痛が走る。堪らず、
「? どうかされ……、え、きゃああああああ⁉」
シスターを押し倒すように、転倒する。
「おっと、これはこれは……」
ベポリスから、何か含みのあるような声がするが、二人には聞こえない。
「いったた、もう、いったいなんなのですか⁉」
困惑を露わにし、シスターが叫ぶ。
「あ、はは、その。最後にありがと、って言おうとしたんだけど、……ごめんなさい」
「はぁ、そんなことですか、全く。同じ魔法少女同士なのですから、助け合うのは当然でしょう? それより、早く立っていただけませんこと?」
「あっ、そうだね、ごめっ、づッ⁉」
慌てて立とうとし、勢い余って彼女の胸に顔をうずめる七海。
「ひゃん⁉ ど、どこを触って! ……ふざけるのもいい加減にしてくださいまし!」
怒りながら七海に促す。が、
「……、ごめん、立てないや」
シスターの胸から顔を上げ、はにかむように笑う七海。
「? 何を言って……、⁉」
シスターは、変身の解けた七海の容姿に目を向けていた。その体に巻き付いている包帯に。ぷるぷると、足が震えていることに。
「……あなたまさか、その怪我で戦っていたんですの……?」
「え、ええと、……はは」
「笑い事じゃありませんわ⁉ バカですの⁉ 本当にバカじゃありませんの⁉」
「う」
「……二人から、あなたのことについては聞いておりましたが、痛みを庇う様子もないので、もう平気なのかと。本当に、無茶な人ですわね……」
「……、言葉もありません」
ぐうの音も出ない。七海は頭を抱えるシスターに申し訳なさを感じていた。
「先輩魔法少女として、これは説教ですわ。いいこと? 痛みを堪えて戦うことは、まったくもって美ではありませんわ!」
「は、はい……ごめんなさい」
「仕方ありませんわね。……クラ・エネル」
するとシスターは、七海の足に手をかざし、唱えた。その手からほのかな光が生まれる。
「? これは……?」
「『癒し』の魔法ですわ。魔法少女相手に使うことはわたくしの美とするところではありませんが、今回ばかりは不問といたしましょう、変身も解けていますし」
「……さっきから言ってるその『美』って何なの?」
「わたくしのポリシーみたいなものですわ」
「……どうして魔法少女には使いたくないの? すごく便利なのに」
「だからですわ」
シスターは一つ息をつく。
「わたくしが、魔法少女たちのためにこの力を無闇に使えば、『シスターがいるから』と無謀な戦いに挑みかねませんわ。もちろん、そうした方ばかりではないとはわかっておりますが」
「……優しいんだね」
七海が微笑みながら、静かにそう言うと、
「なっ……あまりからかわないでくださいまし」
ふいっと顔を背け、照れた様子のシスターがいた。
「……こんなものでいいでしょう」
かざしていた手をあげ、
「おそらく、もう立てると思いますわ」
その言葉を聞き、恐る恐る、足を動かす。
「……あ。ホントだ。痛みが……」
全く痛くない。どころか、完全に治っているような気がした。立ち上がり、彼女を起こす。
「ホント、何から何までありがと。助けてもらってばっかだ」
「とんでもないですわ、お礼なんて。それより、安静にしていてくださいまし。せっかく魔法少女として覚醒したあなたを、失う訳には参りませんから」
「……うん。ありがと」
「ですからお礼など……。もういいですわ、わたくしは行きますから」
つんと顔を背け、シスターは歩き出していく。少し照れているようにも見えた。しかし、途中で顔だけ振り返り、
「また、どこかでお会いしましょう。七海雫九さん」
と頭を下げ、去っていった。お嬢様のような気品あるお辞儀にたじろぎつつも、
「うん……またどこかで」
七海もその背中に微笑みを返した。
「……雫九」
ふと、ベポリスが話しかける。
「何?」
顔も向けず、簡素に答える七海。
「魔法少女にも色々あるベポが、焦って役目を果たそうとしなくてもいいベポ。前回も今回も、結果的に助かったけど、いつもこうだとは限らない。……雫九のペースでいいベポよ」
「……慰めのつもり? 私が、何も出来なかったことの」
「慰めではないベポ。雫九がこれからも魔法少女としてやっていくための、教訓ベポ」
「そ。つまり私が頼りないから、ゆっくり成長しろってことね」
「いやだから」
「わかってるよ。ありがと、……うん、そうする」
七海は、彼女の背を追いながら、ほのかに微笑むのだった。
……その後。
「七海さん、ちょっとお話が」
「……」
がちゃり、と。
鍵のかけられた病室で、七須川と名札の付いた、七海を看病していた看護士が、七海を鬼のような形相で睨んでいた。
「……本当に、魔法少女だかなんだか知らないけど、その前にあなたは病人なの! 怪我増やすようなことしてどうするの!」
「はい……」
「助けようとしてくれたことは認めるわ、でもそれとこれは別問題! わかるわよね! あと一歩間違ってたら動けなくなってたかもしれないんだから!」
「ひぃぃ……」
大人のお姉さんの鋭い視線、こわい、とすっかり縮こまってしまった七海だった。
「……とにかく、このことは黙っておいてあげるけど、次はないからね」
「……本当にご迷惑をおかけしました」
「反省したなら、良し」
ほっと胸を撫で下ろし、七海は安堵した。
「にしても、怪我もなんか、逆に治ってないかしら?」
「えっと、シスター? って子が……」
「……あー、あの子ね」
「知ってるんですか?」
「……ま、この病院のよしみ、ってヤツ?」
「?」
よくわからないが、何か事情があるらしいと、七海は悟ったのだった。




