【第二章 魔法少女の責任】5
「いや、雫九こそ。本当に何してるベポ。ペンダントまで持ち出して」
対して、ベポリスは冷めた表情で呆れたように言った。後ろめたさがある七海はその切り返しに狼狽える。
「え⁉ い、いや、別に何も……。そ、それより! トイレにまで入ってくるのは論外、ありえないから! プライバシーってもんがあるでしょ⁉」
「ボクは女の子に欲情する趣味はないベポ」
「だまらっしゃい!」
指を差し再び怒りをぶつけるも、のらりくらりと躱される。
ベポリスは、七海を一瞥するように、
「……変身するつもりだったベポね?」
と七海の行動を見抜いた。
「う。……だって、せっかくだし」
つんと口を尖らせ、不機嫌そうに顔を膨らせる。実際問題、七海もそれなりにヒーローに憧れることはある。ましてや、その存在に自分が選ばれたとなれば、少しは浮かれてしまう気持ちも当然あった。
「……それに」
七海は、小さく呟いた。
「……私、出遅れてるから。皆より、先に進むのが一歩遅いから、少しでも追い付かないと……」
それは焦りでもあった。六城、二子澤を始めとした魔法少女が日々戦う中、七海だけがまだまともに戦いに参加出来ていない。無論、怪我を押して戦うなど以ての外だと彼女自身も理解していたが、少しでも魔法少女でいることに慣れなければと、気持ちが前のめりになっていた。
ベポリスはふぅと息をつき、七海に言う。
「……雫九が変身出来ないのは、きっと力を使いすぎたからベポ」
「力を……」
「そうベポ。あんな無茶な戦い方で、反撃も受けて、それでも生きてられるのは、魔法の力があったからベポ。……魔法少女特有のコスチューム、あれには、魔物の力に対抗するために魔力が込められているベポ」
ベポリスは冷静に七海を見つめ、説明していく。
「でも、全てを受け流すことが出来る訳じゃない。魔法にだって限界はあるベポ。ましてや、人の体の数倍以上もある魔物の攻撃を食らった後なら尚更、魔力は疲弊するベポ」
「そう……」
落ち込み、顔を俯かせた七海を見て、ベポリスは目を伏せながら言う。
「安心するベポ。体力と同じで、魔力も回復していくベポね。だから、今は体を休めるのが一番ベポ」
「そっか。……それもそうだね」
「そ・れ・と」
と、七海に詰め寄るベポリス。急なその態度に驚き、遠のくように顔を引く。
「え、なに」
「言い忘れていたベポが、雫九が魔法少女であることは、世間に知られないようにするベポよ! まぁ前回は例外的だったベポが……、これは鉄則ベポ!」
より真剣な眼差しでベポリスは言った。
「なんで?」
七海は当然のように疑問を唱える。
「……雫九はアイドルの裏の姿とか見たいタイプベポ?」
「……何の話?」
舵取りが急すぎる、と怪訝な顔をする七海。
「いいから答えるベポ」
「……気にはなるかな。いい人であれ、悪い人であれ」
すると、満足げに頷きながらベポリスは続けた。
「それベポ! 人というものは、隠されればされるほど暴きたくなる生き物ベポ。そしてそこへ! 魔法少女という未知なる存在。そんな秘匿な存在が、実は世間を偽って普通の女子学生として普段は生活をしている──というのは誰もが想像つくかもしれないけど、果たしてそれが真実か否か。……暴きたくなるベポねぇ」
「……なるかなぁ」
興奮したように語るベポリスを前に、七海は冷めた様子で見つめる。
「なるベポよ、きっと! ひょっとしたら、魔法少女はもう少女ではないかもしれない、もっと言えば元の姿は男なのかもしれない。知らないということは、そういう偏見や理想も生まれるかもしれないベポね。何が言いたいかというと、それを意地の悪い世間様に知られないようにしないといけないベポ!」
「……何のために?」
ベポリスは七海の終始変わらぬその態度に嘆息する。
「……、雫九は魔法少女のロマンってやつがわかってないベポ」
「ヒトですらないやつに言われたくないんだけど」
「じゃあ逆に、雫九は正体が魔法少女だってバレて、騒ぎになってほしいベポ?」
「……あー」
「そういうことベポよ」
そこでようやく気付く。魔法少女になるということは、それだけ好奇の目に晒される。七海はまだ魔法少女になったばかりであり、世間バレには程遠いが、有名であるかはさしたる問題ではない。ましてやその正体や素性など、真実がどうであれ気になってしまうものだ。
「……肝に銘じます」
諦めたように、七海は約束を交わした。
その時。
不運にも、サイレンが鳴り響く。
「‼ 嘘でしょ、また魔物警報……⁉ ここ、病院だよ⁉」
「……魔物は待ってくれないようベポね」
「そんな……、ひとまず、外に……!」
扉を開け、手すりに掴まりながら必死に歩く。
病院内は、パニックに陥っていた。悲鳴が飛び交い、看護士による避難指示がまともに届いていなかった。医療現場ということもあり、日頃から魔物に関する避難誘導は訓練されているのだろうが、実際に事が発生すると、うまく機能しない。
「こちらです! とにかく外へ! 動けない人から順番に!」
誘導される形で、七海も逃げる。それと同時に、魔法少女になれない不甲斐なさで歯を噛みしめていた。
「た、たすけてくれー!」
叫び声をあげ、七海の後方から男が脇目も振らず走ってくる。
「え、きゃ!」
七海は突き飛ばされる形でぶつかり、その場で転倒する。ぶつかった事にも気付かず、男はそのまま走り去っていった。
「……、い、一体何が……!」
男のあまりの焦った様子に、七海は後ろを振り向く。
「ッ⁉」
背筋が凍るような、禍々しさがあった。見た目はオオカミのような獣だが、その姿は異様で、顔や体がドロッと溶け、牙が剥き出しだった。まるで『犬ゾンビ』だ、と七海は不快感を示す。
「ひっ!」
しかも、一体だけではない。複数のその魔物が、群れを成してぞろぞろとやってきていた。
「なんで、いつもこんな、発生まで早すぎる……!」
魔物の出現には、決まった予兆などはない。自然発生的に突然現れ、人々を、町を襲うのだ。
「……それが魔物ってやつベポ。キミも早く逃げるベポ! ここにいたら危険だ!」
言われなくても、と七海は立ち上がろうとするが、
「あっ⁉」
瞬間、足に電流のような痛みが走った。
「雫九! 何してるベポ⁉」
「いっ、たい……! 立てな……!」
「……! 雫九……!」
立ち上がることもままならない。痛みでどうにかなりそうだった。
這うようにしてどうにか逃げようとする。しかし、魔物の群れは刻一刻と迫っている。
「い、嫌、やだ、なんでこんな……!」
グルルルル……、と、一匹の犬ゾンビが、七海に狙いを定めるように、低く唸り声をあげる。
そして、跳び上がった。その牙を剥き出しに。
「! いやあっ!」
その時だった。遠くから何者かが走ってくる音が聴こえたのは。
ガキンッ! と、鋭い金属音が弾ける。
「……! ……え」
見上げると、ナース服姿の女性がいた。パイプのようなものを掴んで、その犬ゾンビの跳びかかりを阻止していた。
「──わったしの、大事な患者に、手ぇ出してんじゃないわよッ‼」
ああ、と、ようやく気付いた。入院中七海を看病していた一人の看護士だと。
その看護士は、掴んでいたパイプを犬ゾンビごと、群れに向かって投げ飛ばす。まとめて攻撃を食らった犬ゾンビの群れが幾らか気絶したようにひっくり返っていた。
「七海さん、怪我は……」
言いかけて、足を庇っている七海を見てすぐに切り替える。
「──っ、急いで逃げるわよ!」
「え、あ、うわあ!」
日頃から患者の相手で慣れているのか、軽々と七海をおぶり、犬ゾンビに背を向ける。
「ちょっとばっか走るから、舌噛まないようにね!」
「……、は、はい!」
そして、走り出す。彼女の気迫とたくましさに、七海はほれぼれしつつ、何も出来ない自分に気分が落ち込みそうになっていた。
「七海さん」
と、看護士は七海に、低めの声で話しかけた。
「私、今どういう顔してるかわかるかしら?」
「え、っと……、お、怒ってます?」
声色から、明らかに怒っていることがわかり、七海は困惑する。
「そうよ! 怒ってるわよ! あなたねぇ、動けるからって勝手に病室抜け出して。いないから心配して探したのよ? ごめんなさいの一つもない訳⁉」
語気を強め、七海を叱責する。迫力と勢いに思わず、
「っご、ごめんなさい!」
と反射的に謝罪する。恐る恐る、反応を待っていると、
「……よし、許す! それじゃこれで、おしまいね! もう無茶な真似するんじゃないわよ?」
首だけ振り向いた看護士は、笑っていた。
「え、……それだけ、ですか? あの、もっと怒られちゃうかと……」
「なーに? 怒ってほしかった? だったらもうちょっと、言ってあげてもいいけど?」
「え、遠慮しときます……」
「あっはは! 素直な反応! 嫌いじゃないわよ?」
快活に笑い、場を和ませる。自然と七海もつられて笑っていた。
しかし同時に、自分の無力さを、彼女と比較してしまっていた。
──私、せっかく魔法少女になったのに。こんな怪我一つで誰かを救うどころか、自分の身すら守れないなんて。しかも、この人まで巻き込んで、危険な目に……。
「な⁉」
「っ‼」
曲がり角を曲がった先で、また脅威と出くわす。別の犬ゾンビの群れがあった。五、六匹ほどの群れだった。
「く、この……!」
戻っても、先ほどの犬ゾンビの群れがある。どちらを選んでも地獄だ。
「っく……!」
「お姉さん……!」
周囲を囲む犬ゾンビの群れ。絶体絶命のピンチで、七海は思いを巡らせる。
──私を守ってくれるこの人を、私のせいで危険にさらすなんて……! 私にもっと、力があれば。こんな逆境ぐらい、跳ね返して見せるのに……。
じりじりと、距離を詰める犬ゾンビは、不気味に剥き出した歯を噛みしめ、唸った。




