【プロローグ ~憧れは、いつも遠い~】
「ハァ、ハァ……!」
七海雫九は息を切らしながら走っていた。長い黒髪が暴れ、視線を遮るのも構わず、一心不乱に。
町中が混乱に包まれている。叫び声、泣き声、そして──何かが迫る音。
振り返りたい衝動に駆られるたび、彼女は必死に前を向き続けた。見てしまえば、体が竦んでしまう気がしたからだ。
「いやぁ……! たすけてぇ!」
小さな子どもの声が耳を刺した。
反射的に足が止まる。振り返ると、そこには幼い少女が地面に座り込んでいた。その背後には、黒い影が迫る。
──逃げるべきだ。
頭の中ではそう告げているのに、体は反応しない。
「来ないで……あっち行ってぇ……!」
気付けば七海は走り出していた。幼女を抱きかかえ、地面に飛び込む。
「大丈夫、大丈夫だから……!」
瓦礫が腕をかすめる痛みに顔をしかめながらも、幼女を守るように覆いかぶさった。震える声で言いながら、七海は微笑もうとしていた。その瞬間、
「……!」
影が──魔物が迫る。恐怖が体を縛った。
逃げられない──そう悟った瞬間、
「でりゃああああああッ‼」
轟音が響き、少女たちの前に立ちはだかる、巨大なハンマー。
涙を溜めた目を見上げ七海は、その光景に、姿に、目を奪われた。
光の中から現れたのは、真剣な眼差しを湛えた、明るい衣装を身に纏う少女だった。
鮮やかなピンクのスカートドレス。胸が少し空いていて扇情的ながら、ハートの装飾がキュートに輝く。リボンでツインテールにまとめられた髪が風になびいた。
「……あ」
吐息のような声が漏れる。
その声に、ツインテールの少女が振り返り、花が咲くような笑みを振りまいた。
「……もう、大丈夫だよ! 私がいるから!」
その声は、太陽のように力強く、温かかった。
──時折空を見上げると、飛行機雲のようなカラフルな軌道の線を見かけることがある。
赤や青、オレンジ、緑や黄色、果てはピンク。様々な色が空を彩り、どこかへ向かうのだ。
誰が言い出したか、その発祥など定かではないが、一つ確かなことがある。
きっと、女の子であれば誰もが一度は憧れたのではないか。あるいは女の子でなくとも、正義のヒーローに、救世主に、魅力を感じることは、あるのではないか。
そんな大雑把な表現が具体化され、この町の平穏を守る存在がいた。
それはいつしか、人々の共通認識となり、誰もがそれを見たとき、その言葉を思い付く。
即ち。
「魔法少女さん……!」
抱きかかえられた幼女が、その姿を見て、明るい笑顔でそう言った。
魔法少女、リリィ。『奇跡』と謳われる少女。誰もが目を引くスーパーヒロイン。
「魔法……少女……」
七海もまた、奇跡に惹かれた一人だった。
──そして、時は流れ。
「ゴシック! そっちカバー頼むぞっ!」
「任せて! 狙い打て……! ブレイクショット!」
「足元がお留守。コードδ、起動!」
「キシャアアアアア⁉」
「うっしゃ、トドメ! バースト・トリガアアアアァァ!」
三人の魔法少女が、連携力を活かし、魔物の討伐を行っていた。
ズウン……! と重たい衝撃が地面を這い、光の粒子が空を舞う。同時に、変身を解いた少女たち。
「ふいー、お疲れさん!」
「お疲れ様。七海さんも。大活躍おめでとう」
「ううん……。二人こそ。やっぱり、すごいよ、見直しちゃう。……私ももっと、強くならないと……」
「なーに言ってんだ。もう十分過ぎるくらい強くなったって! あたしが保証してやる!」
「でも、私まだ一人じゃ何も……」
「何も一人にこだわらなくていい。味方は多い方が有利に進む」
「そういうこった。七海の武器にしたって、個人戦向きじゃないしな」
「うーん、そう、なのかな……、二人の力に頼ってるだけな気もして……」
「気にしいも。し過ぎは毒。もっと適当に行こう、五火みたいに」
「そうそう、って八夜ぁ⁉」
「口が滑った」
「……、ふふっ……ホント二人、仲いいなぁ」
などと、戦闘後とは思えないほど和やかな談笑が場を包んでいた。
二人のじゃれ合いもそこそこに、七海は空を見上げる。──あの日、変わってしまった運命を思い返しながら。
「……リリィ、見ててよ。今に私、あなたに追いついてみせるから」
快晴の空に手をかざし、静かにそう告げた。
──この町には、魔法少女がいる。
これは、奇跡に憧れた少女──七海雫九が、魔法少女へと至り、様々な運命を乗り越えていく、始まりの物語である。