56話 魔族少年
魔物の大群との乱戦が始まってからどれくらいがたっただろうか。
もはや、そんなことを考える騎士や魔法師もいない。
特別辛いわけでもないが、油断できるわけでもない。
ただひたすらに迫りくる魔物の波を処理し続けるだけ。
状況は有利とはいえない。
なぜなら、本命の敵がまだ到着していないからだ。
対ドラゴン用に編成されている部隊も、疲れない程度に魔物の処理に参加している。
ドラゴンが到着すれば、その状況が崩れる可能性もある。
「遅いな」
カバネルが呟いた。
「遅いとはどういうこと……でしょうか」
意図を聞いたのは報告をしに来ていたあの中堅騎士だ。
この街にいる騎士からすればカバネルは雲の上の存在。
そのため、緊張を隠せないのである。
「アースドラゴンは機動力が高くない事は知っているな?」
「はい」
「でもこれは遅すぎだ」
「そうなのですね」
アースドラゴンに限らず、ドラゴンと呼ばれる生き物は死ぬまでにお目にかかれないのが普通だ。
そのため、一介の騎士がそんなことわかるはずがない。
ここの支部長であれば分かったかもしれないが、今彼はここにいない。
「ああ、私の予想だと到着するまで十五分から二十分ってところだと思っていたんだけど」
「すでに三十分たっていますね」
「うん――まぁ、考えすぎるのも良くない」
「対ドラゴンに任命していた部隊を呼んできてくれ」
「了解しました」
中堅騎士は駆け足で丘を降りて行った。
彼とすれ違うように男女二人組が駆けあがってくる。
「カバネルさん。戦況は?」
ナナとジェイだ。
ナナは無理のない程度につらそうにしている部隊の援護に入っている。
助けにはいる部隊を見極めるためにカバネルのいる丘を登ってきたのだ。
「どうかしましたか?」
浮かぬ顔のカバネルにジェイが問う。
これを聞いてナナも気が付いたようだ。
あまりにも心配そうな目をしている二人に、カバネルは微笑んでしまった。
「いや、心配ないよ。ただアースドラゴの足が遅いと思ってね」
「そうなのですか」
ジェイが答える。
先程の騎士同様、二人にもその感覚は理解できなかった。
特別辛そうな部隊は見当たらなかったので、体力温存のためにも少し休むことにした。
少ししてこちらに向かってくる中堅騎士と対ドラゴン部隊の姿が見えた。
同じように反対の街側から魔法師が登ってくる。
先頭にいる男性はカバネルの知り合いだ。
「カバネルさん。こちらも準備ができました」
「ありがとう。じゃあそろそろ始めよう。一発大きいのを頼むよ」
「任せてください」
彼は頼もしい魔法師だ。
作戦は彼の大規模魔法でドラゴン周辺の魔物を一掃し、騎士が戦いやすい場所をつくるというものだ。
その後は、アースドラゴンに対するテンプレートに則って応戦する。
テンプレートは、近接で注意を引くことでドラゴンに地面に干渉する魔法を使わせ、その際に出来た隙をついて魔法師が遠距離攻撃を行うというもの。
一度の攻撃で倒すことは想定されておらず、この作戦をドラゴンが倒れるまで繰り返すのが対アースドラゴンのテンプレートだ。
そこから15分ほどが経ち、ついにその時が来た。
魔法師の彼に魔力が集まってゆくのが感じ取れる。
感じ取れるほどの魔力量ということはそこから繰り出される魔法の威力がどれほどのものなのか、この場にいる魔法師であれば全員が予測できる。
「マッドストーム!」
彼が魔法を唱えると、魔物の大群の中に小さな塵旋風が生じた。
それは徐々に肥大化してゆく。
やがてその頂点が雲と交わり、竜巻と呼べるほどの大きさにまで成長した。
すでに巻き込まれた魔物が飛ばされているのが確認できるが、この魔法はこれで終わりではない。
砂埃で確認できなかった竜巻の中がわずかだが見えるようになった。
これは舞っている砂埃を固め、殺傷能力をもつ岩のようなものに変形させたからだ。
巻き込んだ物体を変形させる魔法は範囲魔法のため竜巻の外にでると砂に戻る、大規模ながら集団戦に使い勝手の良い魔法なのだ。
風の上級魔法「マッドストーム」は対魔物だけでなく、人間同士の戦争などにも古くから広く使われる攻撃魔法なのである。
「さすがだな」
カバネルは感嘆の言葉を口にする。
近年の魔法師界隈では威力の高い魔法が好まれる傾向にある。
そのため、必要最低限の威力を持ち仲間を傷つけないこの魔法と繊細な技術を持つ彼は、王国でも希少な存在であり、もっと評価されるべき人物だとカバネルは感じている。
「ジェイ、ボクもあんな魔法が使えるようになるかな」
ナナはこの魔法のすばらしさを見抜いたようだ。
その言葉を聞いて、お嬢は本当に仲間思いの方だとジェイは思った。
「なれますよ」
ジェイはそう断言した。
ナナは少し嬉しそうだ。
少しというのは見た目だけの話で、内心はもっと喜んでいる。
ジェイは普段、ナナに合わせるように話しているだけなので、実はこの真面目モードがジェイそのものなのであるが、それはナナの知るところではない。
戦場の誰もが感心し、安心し、その希望の柱に勇気をもらった。
対ドラゴン隊も各々準備を始める。
騎士達はすでにドラゴンの方角へ走り出しているため、ここに残っているのはカバネル、ナナ、ジェイと魔法師たちだけだ。
「よし、それでは――ッ!?」
カバネルが咄嗟に防御魔法を発動する。
展開された防御魔法にはノータイムで何かが着弾した。
狙われたのはマッドストームを行使した魔法師だった。
カバネルが防がなければ確実にやられていただろう。
「なにいまの。いまのどこから!?」
「わ、わかりません」
ナナがジェイに確認したが、ナナに見えなかったものがジェイに見えているはずもないというのがこの二人の実力差なのである。
この場でその攻撃を確認できたのはカバネルただ一人だった。
「正面です! ――おそらく、あのドラゴンの上」
先ほどの攻撃で、魔法師はマッドストームの行使を止めていた。
宙に舞った砂埃がゆっくりと晴れていく。
そこには無傷のドラゴンの姿があった。
だがそれは想定内。
想定外だったのは、ドラゴンの周辺の魔物の殆ども無傷であった事と、ドラゴンの背に一人の少年が乗っていることだった。
距離は二百メートル以上あり、その少年の細部までは確認できない。
なんとなく口を動かした気がした。
直後、ドラゴンの下で制止していた魔物の大群がこちらに向かって真っすぐに走り出した。
それはまるで、洗練された軍隊の様な動きだった。
一体として隊列から外れず、前を追い越さず、速度を保って向かってくる。
これは、魔物の習性から考えるにありえない行動だった。
オオカミに似た魔物などは、種族ごとに群れを成すことは稀にある。
しかし、あれだけの種類の魔物が同じ行動をとることはありえない。
先ほどまでのドラゴンから逃げる為に動いていた魔物も、それぞれの思うがままに逃走経路を選んでいた。
その為、街からそれるように逃げている魔物たちも少なくはなかった。
「こんなの、初めてみた」
ナナの言葉に対して同情する者も、否定する者も現れなかった。
反応がないため、ナナは振り返って様子を窺う。
カバネルは額に大汗をかいていた。
顔は戦場を向いているが、表情と揺れる瞳からは動揺と焦りが伝わってくる。
「ジェイさん。ナナさんを連れて逃げてください」
「なんで!?」
「分かりました」
二人の反応は正反対だった。
ナナを直ぐに連れて帰ろうとするジェイにナナは必死に抵抗している。
「イヤだ! ボクにも手伝わせてよ!」
「お嬢。ここは言うことを聞きましょう」
ジェイが説得を試みているが、かなり難航しそうだ。
カバネルは悩んだ末に、状況を説明することにした。
できれば混乱を避ける為にもごく一部の人にのみ伝えるはずだった内容だ。
狙われた彼以外の魔法師は、彼よりさらに経験が少ない。
だが、状況はすでに僅かな躊躇いも許されない段階にあるとカバネルは感じ取っていた。
「あの魔法の威力、速度と正確性、周辺の魔物の動き。そしてあの少年が放つオーラ。おそらくあの少年は――魔族です」
「「…………」」
丘の上に集まる全員が息を呑んだ。
少し離れた場所で戦闘を続ける騎士たちの音が良く聞こえる。
カバネルの推測を耳にした者たちはそれぞれ自分を落ち着かせるように努めている。
ジェイはナナを力尽くでも逃がそうと決心し、ナナの腕を引こうとした。
だが出来なかった。
ナナはその魔族を真っすぐ見つめていた。
その瞳には絶望どころか光すら感じられる。
同時にここから連れ出すことは許さない、とナナの気迫が語っていた。
「似ている」
ジェイは小さくいった。
今のナナの様相はジェイの尊敬する、ダリス・デカルトが全力を出すときのそれだった。
そうなったダリスは、誰の言葉であろうと聞く耳を持たなかった。
ナナも同じなのだろうと、ジェイは察した。
止めたくても自分の実力では止める事も出来ない事実からは目を逸らして。
「お嬢。無理は許しませんよ」
「うん」
ナナの参戦は許されることになった。
返事も普段より落ち着いているように思える。
デカルト家の話が終わるのを待って、カバネルが作戦を伝える。
「対ドラゴンの編成は崩さない。魔族の相手は私とナナさんでします。ジェイさんは側にいて、万が一の場合はナナさんを連れて逃げてください」
「ふ、二人で相手をするのですか?」
「すまない。これ以上の良案は浮かばなかった」
「そうですか……」
「ジェイ。大丈夫」
作戦はジェイにとって不安の大きなものだった。
一刻も早いダリスの到着を願うことしかできない。
「他の者は街に帰還させろ。戻り次第住民をまとめてこの街から退避しろ。向かう場所はデカルテ領だ。途中ダリスさんとすれ違うだろう。ダリスさんたちに状況の報告を頼む」
「了解しました!」
カバネルはダリスへの報告を中堅騎士に頼んだ。
そこにもう一人の若い騎士が待ったをかけた。
「待ってください。その場合、暴れている魔物や街の家々は」
「魔物は大丈夫だ。私たちの戦いに巻き込まれれば勝手に死ぬだろう。街の事だが、今はそんな事を言っている場合ではない。それにここは防衛都市だ。その真価を示すときが来たと思ってくれ」
途中までは納得していた騎士だが、最後の一文の意味が解らなかった。
防衛都市ならば、逃げてはいけないのではないかと素直にそう思った。
だが、これはカバネルが決定したことだ。
はっきりとした立ち位置こそ分からないが、この国では五本の指に入る実力と影響力を持っているとも言われている。
若い騎士はカバネルが決めたのだから大丈夫だろうと思い込むことにした。
各々は直ちに行動を始めた。
援護攻撃をしていた魔法師たちが急いで街に戻っていくのを確認し、カバネルも動き出す。
「ナナさん。いきましょう」
「はい。何か作戦はありますか?」
「まずはあのドラゴンの上から降ろします。あのままでは手を出しづらいですから」
「その方法は?」
「移動しながら話しましょう」
「分かりました」
ナナとカバネルは猛スピードで丘を駆け下りた。
平地に出てからもそのスピードが落ちることはない。
カバネルはすれ違う騎士たちに退避命令を出しながらドラゴンに接近する。
後方には対ドラゴン部隊が追従している。
ドラゴンとの距離はそこまで無かった。
相手の間合いに入る直前で足を止める。
統制の取れた魔物はこちらに構わずに街を標的にしている。
これは僥倖だとカバネルは思う。
これで、ドラゴンと魔族との戦いに集中できるというものだ。
カバネルが小さく息を吐くと、ドラゴンの背から少年が顔を覗かせてきた。
「自分たちから来るって、殺されたいの? 僕のペットの餌にしてあげるよ」
カバネルたちの頭上から悪意も感じられぬような無邪気な子供の声が降り注ぐ。
「あれが……魔族?」
騎士の中の誰かが呟いた。
魔族は瞬きをする。
カバネルは防御魔法を展開した。
魔族の攻撃は再び霧散する。
ナナも反応を示したが、行動をとるところまでは到達していない。
「さっきもそうだけどさ。その反応速度と硬さ、お兄さんおかしいよ。こんな人間がいるなんて聞いてないんだけどなぁ」
少年は誰かに文句を言うようにドラゴンの背の上で寝転がった。
そんな隙があるにしても、ナナとカバネルは攻撃を仕掛けない。
「そこにいるだけなら、みんなこの子に潰されちゃうよ?」
「グウォォォォ!!」
アースドラゴンの咆哮が荒野に響き渡る。
その迫力に腰を抜かしてしまいそうだ。
対ドラゴンを任される者たちの中には、子供のような魔族の相手をしたいともう者もいる様だ。
しかし、それが間違いであることを本当に理解できているのはこの場ではナナとカバネルのみ。
ドラゴンが首を振った。
一秒のずれもなく、ナナに力が収束する。
PTで見せた技と同じものだ。
しかし、収束する力の大きさはその時の比ではないとカバネルは分析した。
地面が、滑るようにして抉れた。
そこにいたはずのナナの姿はない。
ドラゴンは気付きもしていない様子だ。
「あれ?」
コンマ数秒の間に魔族が違和感に気づく。
魔法を発動しようとする。
カバネルが防御魔法で魔族を閉じ込めた。
以前は自分から離れた場所に防御魔法を展開することは出来なかった。
しかし、ショウの防御魔法の使い方を目の当たりにし習得に向けて練習していたのだ。
硬度やスピードこそ満足のいくものではないが、今はそれで十分だった。
魔族がカバネルの魔法を内から破壊すると同時に、下にあった踏み台がなくなる。
宙に浮きながら、飛ばされるドラゴンが視界に入った。
「すっごいパワーだね」
魔族はそのままの感想を述べた。
魔族は自分を挟みこむように着地したナナに手を翳したが、魔法を放つ前に仲間と合流されてしまった。
合流したといっても仲間は先ほど魔族を防御魔法で閉じ込めた男だけだ。
他の者たちはドラゴンが飛ばされた方へ向かっている。
もう一人男がいるがそいつは何もしてこないし、強そうじゃない。
魔族はそう判断し、人間と正対した。




