1 私の常識、非常識
「…別れてくれ」
「は?」
結婚式まであと2週間と言ったところで、恋人の智也から突然、別れ話を切り出された。
「…どういうこと?結婚式までもう2週間しかないのよ?」
私は額を右手で押さえながら、なるべく冷静に智也に聞き返した。
「ごめん」
「いや、謝罪じゃなくてね。何でって聞いてるの」
「由香が妊娠したんだ…。俺の子だ」
「は?」
「だから…」
「そうじゃなくて!由香って…」
「お前の妹だ」
「は?どういうこと?」
由香は私の、8歳離れた義理の妹だ。ちょうど3年前に母が結婚して、義理の父親の連れ子だったのが由香だ。もちろん、母との血縁関係はない。
「由香はまだ大学生よ。どうやって…」
「半年前にお前の両親に挨拶したときに、連絡先を貰ったんだ」
「なんで?」
「お前とうまくいっていないから、義兄さんに相談に乗って欲しいって言われて…」
「それで?」
「食事も兼て、由香が行きたがってたホテルのビュッフェに行ったんだ」
「…」
「あんまり人に聞かれたくないからって、ホテルの部屋に誘われて…」
「それで?」
「関係を持った…」
「うそでしょ!?」
半年前って、お互いの両親に結婚の挨拶を済ませて結婚式に向けて準備をしていた頃だったはず。
「その時に妊娠したってこと?」
「いや…。今12週目って言ってたから…」
「ちょっと待って。じゃあ、1度だけじゃないってこと?」
「ごめん」
「…信じられない」
じゃあ、こいつは私との結婚式の準備をしている間も、由香と関係を持っていたってこと?いや、マジであり得ない。
「12週ならまだ、中絶出来る期間じゃないの。由香はなんて言ってるの?」
「絶対に産むって言ってる」
「自分の義姉の恋人よ」
「…」
プルルルル、プルルルル…。
自分のスマホの着信が鳴り、相手を確認すると番号は母のものだった。一度強制的に切ったけど、再び鳴り出す。
「ごめん、母からなの」
「ああ」
一度智也に断って、電話に出る。
「ごめん、お母さん。今ちょっと立て込んでて…」
「お姉ちゃん、私。由香」
「…」
「今、智也さんと会ってるのよね?」
「そうだけど、何?」
「私、彼の子を妊娠してるの」
「今聞いたわ。それで?」
「それでって…」
「12週目なんでしょ?中絶も出来る時期だけど、あんたはどうしたいの?」
「私、産みたいの!」
「彼は私の婚約者よ。もう結婚式の招待状も出し終わってる。どうすればいいか、分かるわよね?」
「パパは何も言わなかったけど、ママは賛成してくれたわ!」
「はあ?」
「ママに代わるわ」
そう言って由香は、私の母に電話を替わる。
「紗英」
「どういうこと?お母さん」
「由香ちゃんは妊娠してるのよ」
「それは聞いたわよ」
「あなたは妊娠してるわけじゃないんでしょ?」
「そうだけど…。それが何?」
「子どもには父親が必要だわ!だから私も啓介さんと再婚したのよ」
「お父さんが亡くなって、1年も経たないうちにね」
「あなたの為にと思ったのよ!」
「私、お母さんが再婚したときはもう成人してたし、就職もしてたんだけど?」
「由香ちゃんはまだ17歳だったもの」
「じゃあ、由香の為に再婚したって言いたいの?」
「それは…」
「大体、今はそんなことどうでもいいわ。由香に智也との子どもを産ませる気なの?」
「子どもは授かりものよ!」
「相手は姉の婚約者だけど?」
「紗英、あんたは妹の幸せを喜べないの?」
「はあ?…じゃあ、逆に聞くけど。お母さんと由香は、子どもと姉の幸せなんてどうでもいいわけ?」
「なんでそんな意地悪するのよ」
「…意味が分からない。これのどこが意地悪なの?大体、もう親戚や友達に招待状も送ってるし、会場も抑えてあるのよ」
「苗字が同じだから、由香の結婚式でも大丈夫よ。親戚には印刷ミスって言えばいいわ」
「いやいや、ありえないわよ」
「智也さんのご両親にはもう承諾を貰ったわ。あとはあんたが聞き分けてくれれば、みんなが幸せになるの!」
「…」
開いた口がふさがらないとは、こういうことなのかと実感する。
義姉の婚約者と関係を持つ義妹、婚約者の義妹に手を出す恋人、結婚相手を義妹に譲れという実母。そして、そんな常識外れの提案に承諾する婚約者の両親…。
正直、なんだか馬鹿らしくなってきた。話が通じる人達ではないなと、呆れる。
「もう、いいわ」
「え?」
「もう、結構です。お望み通り、智也とは別れるわ」
「じゃあ、当日は式に参加を…」
「馬鹿じゃない?」
「え?」
「あなた達全員の望み通りにするんだから、これ以上は望まないで!」
「待っ…」
私はお母さんの返事も聞かず通話を中断して、そのまま着信拒否に設定する。
「智也」
「ああ」
「あなた達の望み通り、あなたとは別れるわ」
「…すまない」
「さようなら」
私は彼にそう告げると、そのまま待ち合わせしていたカフェを後にする。正直、コップの水を智也にぶっかけてやりたかったが、最後の理性がそれを行動に移さなかった。
私はそのまま自分のアパートに帰る。正直、今日が新居に引っ越す予定だったので自分の荷物は洋服と小物類だけであとは処分してしまった。それにアパートの引き渡しも3日後に迫っている。働いていた会社も寿退社をしてしまって、今は無職の状態だ。
「とりあえず、荷物を持ってビジネスホテルにでも行かないとね…」
このままここに居ても、生活が出来るわけではない。ガスも止めてしまったし、電気も水道も今日までで止まってしまう。それに、就職先も探さなければならない。貯金もそんなにたくさんあるわけじゃない。新居の家具や家電などの購入を智也と折半していたからだ。
私は荷物を3つのトランクに入れて、アパートを出る。そのままビジネスホテルに移動して荷物を預けた後、職業安定所に向かう。ホントは何も考えたくはなかったが、これからのことを考えるとそうも言ってられない。
職業安定所で求人案内を見ていると、びっくりな求人案件を見つけてしまった。
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「嘘…」
思わずその求人募集をガン見する。
普段の自分ならそんな怪しい求人要項などは無視するが、今回はあまりにも自分に魅力的な条件だったのだ。私はそのまま職員の人に、面接をセッティングしてもらった。面接を希望しているのは私一人らしく、明日面接となった。
そのまま、私はビジネスホテルに戻り、明日の面接に備えてスーツをトランクから引き出し準備をする。正直、もう何も考えたくなかった。ビジネスホテルに帰る際に見かけたお弁当屋さんでお弁当を買って、そのまま備え付けのユニットバスでシャワーを浴びて眠った。