新たな試練と立ち向かう覚悟
俺は、吉田の指示で村の様子を探るように言われていた。特に目立つことはするな、と強調されたが、この状況で目立たずに情報を集めるのは容易ではない。俺は草の上を歩きながら、できるだけ目を引かないよう努めつつも周囲に注意を払った。
村人たちはそれぞれ忙しそうに働いている。畑仕事をする者、魚をさばく者、そして物資を運ぶ者――皆が役割を持ち、この土地で生きているのが伝わってくる。俺もかつて、普通の現代社会で生きていたはずだが、この場所に放り込まれてからは全てが異質に感じられる。
「よう、そこの兄ちゃん。」
声に驚いて振り返ると、ひげ面の中年男が立っていた。身なりからして漁師か何かだろう。だが、目は鋭く、ただの一般人とは思えない何かを感じた。
「俺か?」
「ああ、お前だよ。見ない顔だな。どこから来たんだ?」
俺は一瞬答えに詰まるが、吉田との会話を思い出しながら適当に言い繕う。
「旅の途中で、この村に立ち寄っただけだ。」
「旅人か……なら、覚えておけ。この村で変な真似をする奴は長く生きられん。」
男は軽く鼻で笑って去っていった。俺はその場にしばらく立ち尽くしたまま、彼の背中を見送る。彼がただの村人ではないのは明らかだ。だが、それ以上に何か特別な理由があるのか、それとも俺が神経質になりすぎているのかは分からない。
その日の夜、俺は吉田に昼間の出来事を話していた。吉田は黙って話を聞き終えると、しばらく考え込むように腕を組んだ。
「おそらく、それはこの村の監視役だな。」
「監視役?」
「ああ。この村の治安維持のために、どこかの勢力が送り込んだ男だろう。見た目は普通の村人でも、役割はそれだけじゃない。」
「なら、俺は余計なことをしない方がいいんだな?」
「その通りだ。お前はまだ目立つべき時じゃない。今は情報を集め、どの勢力がどんな動きをしているかを知ることに集中しろ。」
吉田の言葉に納得し、俺は再び考え込んだ。この村は見た目以上に複雑な利害関係で成り立っているのかもしれない。
数日後、村の隅でひっそりと作業をしている若い男を見つけた。彼は何かを気にしているようで、周囲をキョロキョロと見渡しながら慎重に行動していた。その姿が妙に引っかかり、俺は声をかけることにした。
「何をしている?」
男は驚いたように振り返り、すぐに口を閉じた。その態度が余計に怪しい。
「別に……ただの作業だ。」
「ただの作業にしては慎重すぎるようだが。」
俺が突っ込むと、男は観念したように肩を落とした。そして周囲を確認してから、小声で言った。
「本当は……この村に潜んでいる奴の正体を探っているんだ。」
「潜んでいる奴?」
「そうだ。村を偵察している敵勢力のスパイがいると聞いた。俺はその正体を掴むよう命じられている。」
その言葉に俺は思わず息を飲んだ。もし彼が言うことが本当なら、この村に別の勢力が紛れ込んでいるということになる。俺自身も疑われる可能性があるが、うまく立ち回ればこの状況を利用できるかもしれない。
「俺も手伝おうか?」
「え?」
「そのスパイ探し、俺も興味があるんだ。お前一人では手が足りないだろう?」
男はしばらく俺の顔をじっと見ていたが、やがて小さく頷いた。
「分かった。ただし、あまり深入りするな。お前が怪しいと思われるのは俺の責任にもなる。」
「承知した。」
こうして、俺は彼と協力することになった。だが、俺の目的は彼とは違う。この村を巡る勢力図を把握し、どう動くべきかを探るための第一歩だ。慎重に進めなければならないが、この機会を逃すわけにはいかない。
「どうする?」
俺は再び自分に問いかける。選択を間違えれば、俺の命運がここで尽きるかもしれない。
続き
男の名前は慎之助と言った。素性を尋ねてもはぐらかされるばかりだったが、それは俺も同じだ。互いに何かを隠しながら、表向きだけの協力関係を結んだ形だ。
俺たちは村の裏手、人気のない場所を探ることから始めた。慎之助は自分が集めたという情報を小声で俺に話した。
「最近、この辺りで見かけない奴らがちょくちょく現れているらしい。ただの通りすがりとは思えない。」
「その連中が、例のスパイかもしれないってことか?」
「ああ。村人に馴染もうとしているが、不自然に気を遣いすぎているという話だ。」
「どんな奴か特徴は?」
「それがはっきりしていない。ただ、挙動が少し変だってだけだ。」
抽象的な話に過ぎないが、何もしないよりは手掛かりになる。俺は村中を見渡しながら、慎之助の言葉を頭に入れて周囲の様子を探った。
夕方、俺たちは村の小さな市場にやって来た。行商人や村人たちが食材や道具をやり取りしている賑やかな場所だ。慎之助は辺りを注意深く観察しているが、どこか落ち着かない様子だった。
「お前、こういう場所は慣れてないのか?」
「……まあな。俺は人混みが苦手なんだ。」
そう言って慎之助は苦笑した。だが、その目つきは何かを探るように鋭い。慎之助もただの村人ではないという確信が俺の中で強くなった。
その時、ふと視界の隅に妙な男が映った。汚れた着物に草履、頭には深く笠をかぶっている。特に目立つわけではないが、立ち止まって周囲を観察する仕草が少し不自然だ。
「慎之助、あの男を見てみろ。」
俺が指さした方向を見た慎之助は、顔をしかめた。「確かに、あいつ怪しいな。」
慎之助は人混みに紛れながら、その男に近づこうとしたが、突然その男が動き出した。慎之助は慌てて後を追おうとするが、俺は腕を掴んで引き留めた。
「待て、ここで追いかけるのは目立ちすぎる。」
「だが、今逃がしたら……!」
「いいから冷静になれ。」俺は慎之助を睨みつけて言った。「無駄に騒ぎを起こせば、俺たちの方が怪しまれる。慎重に動け。」
慎之助は悔しそうに唇を噛んだが、やがてうなずいた。「分かった……」
俺たちはあの男の動きを遠巻きに追った。男は市場を抜け、小道を通り抜けて村の端にある古い建物に入った。慎之助は少し興奮した様子で言った。
「あそこだ。この村の倉庫だよ。」
「倉庫?普段は誰が使ってるんだ?」
「食料や工具を保管するための場所だ。村人以外が入るのは変だ。」
「なら確かめるしかないな。」俺は慎之助に合図を送り、倉庫の周囲を慎重に調べることにした。建物の隙間から中を覗き込むと、例の男が何かを探している様子が見えた。
「……何をしているんだ?」俺は低く呟いた。
「倉庫を物色しているようだな。」慎之助も小声で応じる。「スパイなら、何か証拠を残す可能性がある。」
俺は慎之助を制して言った。「俺が中に入って確かめる。お前は外で見張っていろ。」
「危険だぞ。」
「だからお前は外だ。いざとなったら知らせてくれればいい。」
慎之助は不満そうだったが、しぶしぶうなずいた。
倉庫の中は暗く、埃っぽかった。俺は足音を立てないよう慎重に進みながら、例の男の動きを観察する。彼は何か紙を広げて見ているようだ。
「……地図?」
俺は身を潜めながら、その紙に描かれている内容を確認した。どうやらこの村と周辺地域の地図のようだ。赤い印がいくつも付けられている。
「一体何の印だ……?」
その時、男が急に振り返った。俺と目が合う。俺は息を飲んだが、すぐに行動を起こした。
「待て!」
男は地図を握りしめたまま出口へと走り出した。俺もすぐに追いかける。外で待っていた慎之助が気付き、男の行く手を塞ごうとしたが、相手の動きは予想以上に素早かった。
「くそっ、逃がすな!」
俺たちは必死に追いかけたが、男は村外れの森に飛び込むと、茂みの中に姿を消した。俺たちはしばらく森の中を探したが、結局見つけることはできなかった。
村に戻った俺たちは、倉庫に残された物を調べた。だが、地図以外の手掛かりはほとんど見つからなかった。
慎之助は悔しそうに言った。「あの男が何者かは分からなかったが、スパイである可能性は高い。」
「ああ、だが地図を見た限り、この村が何らかの計画の一部になっているのは間違いない。」
俺は地図に記された赤い印の意味を考えながら、この状況をどう切り抜けるべきか、改めて頭を整理した。
「どうする?」