【手相占い】結
「お姉さん、猫飼ってるでしょ。」
俺達はファレティさんの部屋で、一人掛けソファにそれぞれ腰掛けていた。小さなテーブルを挟んで。
「あれ、どこかに毛がついてたかな。」
ティーカップを持ち上げて、医師は小首を傾げた。先ほど男では無いと訂正したため、ファレティさんは呼び方を変えている。俺はと言えば、どこか気不味く紅茶を啜っていた。
「背中。取ってあげよっか。」
「ありがとう。」
少女のように危なげに身を乗り出し、後ろを見せる医師から毛を摘み上げた。
「綺麗な猫ちゃんなんだね。大事に一緒に暮らしてるんだ。」
「本当は野良猫なんだよ。ウチには遊びに来るだけ。」
「でも好きなんでしょ、この猫ちゃんのこと。じゃなかったら、こんな綺麗な毛並みにならないもの。」
医師は目を伏せ、頷いた。小さな窓からの光が、その睫毛を照らした。
「うん、好きだよ。大切だ。」
ファレティさんは満面の笑みを返す。
「なんだか、私、あなたのことを知ってる気がする。大切な気がする。あなたみたいな人に覚えがあるの。」
はっと目を見張ったのは俺だけで、医師は表情を変えず微笑んだまま、こう訊いた。
「でも、その人は、男の人でしょう?」
「確かにそうかも!なんで分かったの?」
不思議そうに首を傾げる彼女を見、俺の希望は静かに崩れ落ちた。この人は、娘を覚えているわけではない。彼女から感じる、愛し合った男の気配を感じ取っている、だけ。
この婦人の夫であり、この医師の父の男を。それはいい話なのだろうか?俺は医師の顔を覗った。しかし、彼女はちらとも動揺を見せない。反対に、婦人がおかしな動きをした。まるで寝起きのように瞬きをして、そしてゆっくりと辺りを見回したのだ。
彼女は医師に目を留めると、首を傾げた。
「どちら様?」
唖然とする俺の横で、医師は柔和に微笑んだ。
「お茶に、お誘いしようと思って。」
「あら、駄目よ。仕事しなきゃ。土日出勤は断ってるんだもの、平日はみんなの倍働かなくちゃ。」
「たまには休んでもいいでしょ?」
「休みは子供と過ごしたいの。だからごめんなさい。」
「…お子さんがいらっしゃる?」
このとき、慌てる様子だったファレティさんの顔がぱっと変わった。嬉しそうな笑顔。
「ええそうなの。夫に似て、利発な子でね。でも平日はほとんど会えなくて。いつも寂しい思いさせてばかりじゃないかしら。ねぇお兄さん、あなたくらいの世代の人は、共働き家庭ってどうお思われる?」
ふ、と俺は婦人を見つめ直した。この人はさっき、少女としか思えなかった。だが今はどうだ?どう考えても、医師より年上で、家庭を持つ女性だ。
この人の中で、現在地が移ったのか。子供の_シェンさんの_存在する時間軸に。
それでもこの人は、目の前の女を男だと見る。
今回は、医師も否定せずに話を続けた。2回間違われて2回とも訂正できるほどの鋼の心を、彼女は持っていないらしかった。
「う〜ん…。じゃあ、お子さんの気持ちを、占って差し上げますか?」
「あの子の気持ちを占えるの?」
紅茶から立っていた湯気が、いつの間にか消えていた。
「ええ、手相占いは得意でして。お手を。」
医師がエスコートするように手を差し出す。ファレティさんはおずおずとその手に自身の手を乗せた。
誕生日や最近の様子をそれらしく尋ねつつ、彼女は手首に指の腹を当て爪の様子を確認し、果ては舌の状態も確認した。端から見ると完全な健康検査なのだが、医師がいかにも占いらしい言葉を使うせいか、婦人は怪しまずに最後まで付き合った。いや、怪しみながら付き合ったのかもしれない。
「なるほど…。」
彼女がしたり顔で頷くのを見、何がなるほどなんだよ、と呆れる。なるほど大凡健康のようですね、だろうか。
「あなたは、娘さんととても良い関係を築いていますよ。娘さんはあなたに憧れています。"現在"、彼女はあなたと同じ美容師を目指しているでしょう。」
「本当!?まあ、あの子、そんな話一度もしないわ…。」
「気恥ずかしくて言えないだけでは?」
「お父さんにも教えなきゃ!お父さんは何処だっけ?」
「彼に伝えるのは、もう暫く待って下さいな。きっと娘さんの方から言い出しますよ。ええ、それまで、どうか待っていて下さい…。」
父親の居場所を思い出し、俺は医師の横顔を盗み見た。彼女はまだ穏やかに微笑んでいた。
「…初めまして、どちらからいらしたの?」
唐突に、ファレティさんが目を丸くした。医師はまた、お茶に誘いたいのだけれど、と甘い声で囁いた。




