【ピーナッツと林檎】結
光羅謝達が戻って来る少し前。
「彼は今でこそフリーの記者ですがね、元々は結構大手の新聞社に勤めていたんです。私とバディを組んで。」
俺は一瞬考え込んでから、尋ねる。
「汚い理由で、辞めさせられたんですか?」
彼は薄く苦笑した。
「えぇ。ピーナッツでした。」
「ピーナッツ?」
俺の声がひっくり返る。リモンドにちょっと可笑しそうに微笑まれ、コンマ1秒くらいだけ、不服げに口を歪めてしまった。見逃してるといいが。素直な青年の顔を戻してから、
「どういう意味ですか?」
「んー…。まず、彼は危険な取材を進んでするのですが_警察より先に詐欺組織を見つけたり、国民が忌避する地域の住民と暫く一緒に暮らしたり、記者が黙認する国家の闇を破ろうとしたり。無論、そういった記事が載ることなんて無いんです。別の機会に書いた、本当に当たり障りのない内容のものだけが使われました。」
「ヤバい取材ばっかりするから、会社から邪魔に思われて辞めさせられたんですか。」
「そうです。自主退社させるために彼への嫌がらせが始まって。彼はそれはもう強かったですよ。あの人は苦しさやいたみに慣れきって、鈍感なんですから。…だから、標的が変わった。」
"じゃあ、りーくんは普通に手間取ってるのか。ごめんね、疑っちゃって。"
"足!親指切った!"
"りーくんがやったの!?なんで?"
「あなたに?」
リモンドはゆっくりと首肯する。
「矛先が私に変わった途端、彼はひどく弱かった。始まって1日もせずに退社したんですよ。」
リモンドは苦笑いを浮かべた。大事で憧れて支えてあげたい人が、自分のせいであっさりと諦める。それは、この男にどれ程の苦痛を与えたか。
「私の食事にこっそり、ピーナッツが盛られたから、怖くなったんでしょうね。」
はっとする。ピーナッツは3大アレルゲンの1つ。少量でも重いアレルギー症状が現れやすい。もしリモンドがピーナッツアレルギーなら?
ピーナッツアレルギーの人に、ピーナッツを盛る。
相手が何処まで予想していたのかは分からない。ただの考え無しかもしれない。でもきっと、受けた側には、強大な殺意にしか見えなかっただろう。
「理解の早い方ですね。えぇ、私は割と重いアレルギー持ちでして、あのときの彼は全く、酷い様子でした。」
「…それでよく、あんな顔できますね。」
脳裏を過るのは、輝くマリーゴールドの双眸で、華やかに笑う男だった。
対して目の前の男は、仄かに妖艶さの漂う藤納戸色の瞳で、すっと微笑を見せた。
「だって、彼はそれしか術を知らないんですもの。生きている内は、闇を切って、切って、切り裂くことしか出来ない。それでも悲壮的でなく輝いている彼が、私には堪らなく美しく見えるのです。」
そう言われて、ふと、リモンドが殺されたのではないかと不安がるときでも、彼が人前では気丈に振る舞っていたことを思い出した。
ゴールの無い徒競走。可愛い絵本をループ。同じ技しか出せないゲーム。端から見れば自由意志で選んでるようでも、本人としては、意志も無く連れて行かれてる。恨み辛みを感じても表に出せない。感情を振るえない。外に出せない。
気付けば理由もなく、笑っている。
ちょっと、分かる。
「おや…。彼への敵意が薄れたようで何より。微力ながら助けになりましたかね。」
返事はしなかったが、リモンドは特に文句を言わなかった。俺は頬杖をついて、
「でも、そんなことがあっても一緒にいるって、なんでなんですか?」
リモンドは黙って自身の顎に手を添えた。理由が分からないというよりは、他人の分かる言葉にするのが難しい、と言いたげだった。
「グリム童話の、」
唐突な言葉に目を瞬く。
「白雪姫のラストはご存知ですか?」
「えぇっ?王子とくっついてめでたしめでたし、じゃ?…あっいや、グリム童話なら、白雪姫を殺そうとした女王が、熱くした靴で踊らせられるやつですか?」
「そう、そちらです。この話を知ったとき、私、不思議でしょうがなくって。」
「不思議?」
大概の人が、びっくりか怖い、だと思うが。リモンドは子供っぽい笑みを浮かべた。
「だって多分、復讐したがるんなら白雪姫でしょう?つまり白雪姫が、"鉄の靴を用意して、熱して頂戴。あの女を踊らせましょう!"って言ったのに、王子様も誰も"怖い!"とか"結婚やめよう!"なんて言わなかったってことなんですよ。不思議じゃありません?」
「…王子は余程の面食いだったとか?」
リモンドは声を出してころころと笑った。
「それでもいいんです。大事なのは、王子様はお姫様を捨てなかったという、ただそれだけなんです。…ずっと、羨ましかった。」
彼が目を閉じると、裏葉色の睫毛がどうにも儚げに写る。光羅謝だのラオメだの、最近は豪快な人とばかり一緒に居たせいで、余計そう見えた。若干気不味く、反射的に茶化す声を出す。
「蓮はあなたの王子って訳ですか。」
目を開け、大人びた苦笑でリモンドは首を横に振った。
「そう言いたいのではありませんが、…まぁそれでも良いのですがね。」
彼等には、心臓半分くらいは、心を許す気になった。




