後半【マリーゴールド】リモンド
後日、先の教師が休職処分になったことを知った。大人の方で何かしら話し合われたのだろうというくらいしか、私達生徒には分からなかった。それと、そのきっかけを作ったのが蓮であることも。
点を下げられてばかりだった生徒は彼を英雄のように讃えた。あの教師の気に入りの生徒の中にも、感謝をする者が相当数居た。周りに悪いと思いつつも教師が怖かったと言っていたが、真実かは分からない。兎に角、蓮は沢山の生徒に褒めそやされた。蓮はそれを、冗談と恥じらい混じりに受け取った。そんな柔らかな態度が、余計に彼の人望を高める。気付けば蓮は、1年生の頃から居たかのようにクラスに馴染んでいた。
彼があの教師に喧嘩を売ったときに私が予想した悪い未来は、何ひとつ起きなかった。呆然とした。そして、一歩踏み出す決心がついた。蓮を信じられるか確かめる決心だった。
「おはよう、リモンド。」
「おはよ。…なぁ、ちょっと訊いてもいい?」
「えっ?うん、いいよ勿論。何?」
「あんさ、なんであんなことしたの。」
彼は首を傾げた。彼の中では、テストの一件は過去のことになっていたのだろう。私が教師の名前を出しテストの話だと言うと、彼は漸く手を打った。
「ああ!あれね。うんうん。……え〜と…、もしかして怒ってる…?」
神妙な上目遣いで問われて、可愛いなと思うと同時に、今度はこちらが首を傾げた。
「怒ってるって、なんで?」
「え?…あー、なんだ。点数貰ってたから、オレのせいで下がっちゃうって話かと思って。違うのか。ごめんごめん。」
ほっとした顔で手を合わせる蓮。私は首を振ってから説明を足した。
「俺はそういうんじゃない。なんつーか、単に、気になって。だってお前にとってリターンとリスクが見合わな過ぎる行動だったろ。」
彼にとってのリターンはほぼゼロ。強いて言えば、点を下げられていた生徒からの感謝か。反対にリスクは、点を下げられるリスク、クラスで浮くリスク、気に入られている生徒から逆恨みされるリスクが彼にはあった。私に怒っているか訊いたなら、それらリスクについては気付いていたのだ。その上で、何故あんなことをしたのか。
蓮は唇をすぼめて考える様子を見せた。少しして、言葉を選ぶように彼は話し出す。
「うんとね、オレはリスクよりリターンが大きいと思ったから、やったつもり。もし先生とかクラスのみんなとごたついちゃっても、転校すればいいかなって。学校なんて期間限定のドールハウスみたいなモノだし。」
サラリと出てきた爆弾発言に、やっぱりこの人は汚さも暗さも知らない訳では無いのだと確信した。
「だけどリターンは大きかった、オレにとってはね。だからやった。それだけの話だよ。」
「お前にとってのリターンって?」
訝しく思い眉を顰めた私を、彼は真っ直ぐな瞳で捉えた。にやりと笑う、鮮やかで強烈なマリーゴールド。
「野望達成。」
ポカンとした。次いで、あの善意に見えた行動にも利己的感情があるのかと、げんなりした。
「野望ね。意外だな。お前にそんなものがあったなんて。」
「あれ、そう?」
「お望みは?世界征服?」
「そんな訳ないじゃない、…と言いたいところだけど、なかなかどうして言い得てるんだよな〜。」
今度こそポカン、だった。
「はあ?」
「この世界の全部を、引き摺り出すのがオレの野望。死ぬまでに叶うとは思ってないけどね。だからって止める気はないから、出来るとこまではチャレンジしようと思って。」
引き摺り出す、だって?
「意味分かんねぇよ。何、"引き摺り出す"って。」
「考えてみて。この世界に、みんなに気付かれてない輝きがどれくらいあると思う?綺麗なもの優しいこと楽しい音色、なんだって、まだまだ隠れてると思わない?」
「それこそ"綺麗"な考えだな。この世界を覗き込んでも、出てくるのは汚くて暗いモンばっかりだろ。」
「"ばっかり"かどうかどうかは分かんないけど、あるだろね、汚いもの。いいんだ、それも引き摺り出す。」
星のようだった軽やかだった光が、炎の激烈さに変わる。私は口を開けたままで、それを見詰めた。
「言っただろ。全部を引き摺り出すんだよ。綺麗なものも汚いものも、全部。だって、綺麗なものが隠れてるのは勿体ないし、汚いものが隠れてるのは腹立つでしょ。」
腹立つ。そう、腹が立ったのだ。不倫した癖に言い訳してあっさり去った父親にも、こちらをちゃんと見ずに怒鳴り担任教師が告げるまで息子のピアスや髪の色に気付かない母親にも。でも腹立たしいとは絶対に言えなかった。だって私は彼等の息子で、育ててもらっている立ち場で。
「醜いよ〜って、言っちゃいたいんだよね。」
笑顔で吐かれた毒に、顔を伏せる。鼻が痛かった。赤くなっているだろう目を、見られたくはなかった。
「みんな言えないでしょ、側の人には。オレもだけど。だから将来は記者になって、代弁してみようかなって。…これは後付けかな。結局オレは、め〜っちゃ利己的な野望の為に生きてるの。」
瞳の光から炎の様な苛烈さが消える。残ったのは、きれいなマリーゴールド色の瞳をもつ華奢な少年だった。
「失望したでしょ。」
すぐに首を振っていた。横に。
利己的だと思う。要は彼は全てを暴いて書き切ることで、すっきりしたいだけなのだ。なのに、どうしてだろう。美しく思える。
「無理しないで、いんだよ。分かってる、オレね、性格良くないの。」
この人は、すべてを見ようとしている。目を逸らすという選択肢を殺して終えている。人間らしい汚れを持っていて、この世の醜さを知っていても、尚。だから、こんな私のことも視界に入る。
これでどうして、美しくないだろうか。
顔を上げない私に、心配したらしい蓮が声を掛けた。
「大丈夫?ごめんね、変な話しちゃった。忘れて。どーせオレ、他国言語あんまり使えないし、写真撮んのも下手だから、記者なれるか分かんないんだよねえ。」
記者。他国言語。写真。
やるべきことは決まったなと思った。
髪染めと煙草を止めた。不定期でやっていた勉強に力を入れた。東部地方の言語を学び始めた。ピアスは迷ったものの、左耳に小さいものだけ残した。
高校生で再会したとき、彼は全くと言っていいくらいに変わっていなかった。
「ビジネスパートナーなんて言わないで。メイトとして、オレの隣にいて下さい。」
本当に変わらない笑顔で、瞳で、見詰め方で、私も笑顔が漏れた。




