【コール音の破裂音】結
バイトから帰って、作ってもらったご飯やポカポカの風呂があるというのは、学生にしてはかなり幸せなことだ。
「お先しましたー。」
何故か食後にジェンガを始めて風呂へ行けなくなった2人へ、髪を拭きながら声を掛ける。ペアピンで前髪を留めているのでちょっと拭きづらい。ジェンガ中の2人を眺める。大の大人がよくそんなに楽しめるな、とボヤきたくなる程、彼等は熱中している様子だった。
「あっつー…。」
ドライヤーの時間を減らすべくガシガシ髪を抜きながら、スマホを探す。シフト表が送られているはずなので、確認したかった。
「俺のスマホ、何処か知りません?」
「うーん…。え?あースマホ?机の上に放ったらかしでしょ。」
「よッ……ああっ!!」
ガシャガラガラと盛大にジェンガが崩れた。ラオメの勝ちらしい。
「負けたァー。仕方ねェ風呂行くか。」
「いや〜なんで勝者より早く入る気なんですか〜??僕が先で〜す。」
ツインテールを弾ませて、ラオメはジェンガを片付け始める。光羅謝も自分の敗因についてラオメの見解を求めつつ、散らばったジェンガを集めた。この人達が<悪魔殺し>に勝ったなんて嘘みたいだ、と考えながら俺はスマホを手を取る。
と同時に、手の中のスマホが震えた。コール音も響く。画面には『母』とあった。
「えっ。」
母親とは専ら手紙のやり取りであるため、電話は珍しく、何かあったのかと心配になった。心配になって、焦っていた。
光謝羅とラオメが、俺の声どころか、聞き耳を立てれば電話の奥の母親の声すら聞こえるような距離にいるのを、忘れていた。
応答のボタンを押すと同時に、声。
『結ちゃん!?貴女大丈夫なの!?』
「大丈夫なのって、私に電話してきたのはママじゃない。」
高めの柔らかい声で口にしてから、心臓が一瞬止まった。光謝羅とラオメの視線を感じたが、背を向ける。もう遅いが、外に行こう。
「…。」
が、手首を摑まれた。光謝羅だろう。俺は逃走は諦めて、大音量の心臓の音で掻き消えそうな母親の声の聞き取りに専念した。
『今結ちゃんの手紙受け取ったら新しい友達が二人できたって書いてたから大丈夫なのって!変な人じゃない?嫌なことされてない?もしかしてボーイフレンド?駄目よ二人もなんて!』
「待って。待ってよママ。二人は友達だって。本当。私が信じられないの?」
『そんなわけないでしょう!!ママは結ちゃんのことを世界一信じてるわ。だけど結ちゃんたら優しいからすぐ騙されそうで。』
戸惑いと驚きに満ちた2人の視線を感じるが、俺は母に対しての"普通"の喋り方をした。"おれ"の話し方をすれば、どんな反応をされるかくらい、分かっていた。嫌になるほど。
「大丈夫、私は人を見る目あるもの。」
『無いわよ!一人身の癖におっきな家で家政婦に住み込みで仕事させる男すらいい人って言うもの、結ちゃんは。』
「それママの元ダーリンでしょ。酷いこと言わないの。」
『やだ結ちゃん、そんな言い方やめて〜。』
俺は笑い声を電波に乗せてから、話を終わらせにかかった。
「ママ。私は大丈夫。もし何かあったら、すぐにママに知らせるから。ね?安心して。」
『いちばん最初にママに言うのよ。他の人に言っちゃ駄目。間違ったこと教えられるからね。』
「分かってるよママ。じゃあ、また書くこと溜まったら手紙送るね。」
『書くこと無いくてもいいから送って。』
「もお〜、そしたら白紙の手紙送ることになるじゃない。待っててってば。」
『確かに白紙は寂しいわね。でも、本当に些細なことでも書いていいから、ママ楽しみにしてるからね?』
「ありがとう、じゃあまたねママ。」
『うん、またね結ちゃん。』
赤いボタンを押し、ホーム画面に戻ってからスリープさせた。手首は摑まれたままだった。軽く引いてみる。拘束は緩々で、俺の腕の動きに着いては来るが、振り払うのは簡単そうだった。"腐ら"せるのが怖い?"腐る"と思っているんですか?
あんな顔でおれへ笑ってくれた癖に!
「…結。」
ラオメのその呼び掛けには、僅かに、その名で合っているのか思案する間があった。
手首。母にすら触られないように気をつけていた部位だった。手は、俺の強化条件だから。
「らしくねェじゃん。何、今の。」
床に座っているせいで上目遣いの光羅謝を、思い切り見下ろす。
「別に、母さんにとって俺は長女だから、"らしく"しただけっすよ。」
「だからだったんだ。」
ラオメは唇を歪めて囁いた。
「だから、僕の格好に対して、なんでって聞いたんだ。おかしい、でも、意味わかんない、でも無く。僕も結みたく、無理強いされてると思ったの?」
「俺のは無理強いでは無いすけど。あのときはラオメのこと分からないのに、勝手言ってごめんなさい。」
「いいよ、別に僕も結のことなんか分かんないし。」
片笑んで返される。椅子の上で足を組み直すラオメへ、俺も淡泊に応じた。
「そうですか。」
さっきより強く腕を引く。頼りない動きながらも、光謝羅の手は着いてきた。彼の目を見詰める。彼はそれが苦手だと知っていた。しかし光謝羅は珍しく睨んできた。子供の反撃じみた表情であるにせよ。
「離してくださいよ。"腐る"の心配するくらいなら。」
「そりゃァ、心配するだろ。だって、1回好きになった奴なんか、俺、嫌えないし、好きな奴"腐らせる"なんて、耐えらんねェ…。分かんねェし。お前がまだ"腐ら"ないのか!」
揺れた瞳に、青年の、趣味の悪い笑顔が写った。
「試してみれば?」
逡巡する間があったが、ゆっくりと手が近づいてくる。やがて少し汗ばんだ指の感覚。光羅謝の顔にありありと、安堵の色が浮かんだ。なんだ、本当に心配だっただけなんだ、と、おれもこっそりほっと息を吐いた。
「他に方法なかったの?なんで今ですら、お母さんに付き合ってあげてんの。」
学生時代、最も仲の良かった二人程に相談したことがある。彼等は俺のことを、優し過ぎると評した。
「理由とか、特にありませんけど。」
自分が優しかったことなんて今までの人生で一回も無い。母さんのことだって、それ以外思い付かなかったからとか、多分そんな感覚で演じてて、今更止めるのも難だからとか、そんな感じで続けてる。おれとって1番楽な道が、これだった。それだけだった。
「お前さァ…、ばっかじゃねェの!」
ぱし、と遠慮がちな弱さで背中が叩かれた。ラオメがそんな光謝羅を揶揄する声。
スマホを握ったまま、俺はぼうっと立っていた。馬鹿というのは、初めて聞いた。こんなに正確な表現は、無かった。笑声が漏れた。