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雑草の花束  作者: 片喰
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【武器屋の思考回路】八重

 嘘つきの目つき、というのがある。それはこちらの非を見逃さない目だ。昏く鋭い光の宿った目だ。疑心に満ちた本心を閉じ込めるために、殻の被った瞳だ。

 結の双眸はこれ以上なく、嘘つきの目だった。観察して疑って考えて隠して笑う。あのときのうちは酔っていたとは言え、記憶はしっかりしてる。ちゃんと分かる。

 あの男を信用してはいけない。

 戸惑う姉を追い出して、1人になってからスマホを取った。…人を疑うのは、姉の管轄ではない。メッシュの男の電話番号を打ち込んだ。

「…もしもし、うちだけど。」

『八重"にも"、来てほしいなァ。』

 いきなり本題。メッセージと変わらない言葉。溜め息を漏らしてから、

「ねえ、結って人、絶対に嘘ついてる。何か隠してる。それなのに信用する訳?」

『そうだけど。悪い?』

 悪びれない声色である。空気を飲み込んで、うちは勤めて冷静に尋ねた。

「それで、信用したせいで、チーム全体がヤバくなるとしても、信用すんの?」

『……そんなこと_いや、そうだなァ。そう、信用する。信用している。』

 足元に目線を落とす。塗料や溶けた金属片が飛び散った床。掃除してもとれない汚れ。

「光羅謝って、うちらのこと_ラオメ姉さん以外のチームの人のこと、好き?」

 間があった。考えているというよりは、電波障害みたいな間だった。しばらく待って、溜め息が聞こえた。震えてて小さな、壊れる手前の息。

 はっと思い出したのは、いつかラオメ姉さんが言っていたことだった。光羅謝がラオメ姉さんを好きなのは、光羅謝がラオメ姉さんに好かれてる自信を持っているからだと。

 彼の愛情の指針はいつだって、好かれているか否か。絶対に、自分からは発生しない。

 だから、さっきの質問は、彼には違って聞こえただろう。例えばこんな風。

 私達から愛されている自信はありますか?

『哀しいこと、訊かないで。』

 いつも通り雑で平坦な声色の中に、苦い気配が満ちていて、次の言葉が出てこなかった。しかし光羅謝はすぐに切り替えて、完全にいつもの声で話を戻した。

『_兎に角、結が何かしたなら俺が責任を持つ。結のせいで万が一何かあれば、俺が命を懸けて止める。誓う。…確かにあいつは何かを隠しているんだろォが、隠し事があるのは、みんなだろ。八重や飛鳥から家族の話を聞いたこと、俺、1回もねェぞ。』

「……うん。そうだね。うん、確かにうち、あの人のことあんま知らないし、今結論出すんは流石に性急だね。分かった。時間とってごめん。」

『いい。変にわだかまりあるのに黙ってる方が、不健全だろ。また何かあったら言ってくれ。じゃァな。』

「待って光羅謝!」

『どした?』

 頭の中で言いたいことを整理して、それからゆっくりと言葉を声にした。彼が聞き間違えないように、すぐ忘れてしまわないように。

「うちも、多分お姉ちゃんや姉貴やリモ蓮も、光羅謝のこと好きだから。それ伝わるまで、うちら待つから。ね。」

 微かに息が揺れる音。彼には珍しい笑い方だった。

『ありがとう、八重。』

 優しく甘い口調に、なるほどラオメ姉さんはこれに絆されたんだなと、妙に得心した。

 和やかに通話を終えた。しかしスマホを置いたうちの脳味噌に残ったのは、苦い思いだった。さっきの光羅謝の言葉が思い出されたのだ。"八重や飛鳥から家族の話を聞いたこと、俺、1回もねェぞ。"

 そりゃあ、言わないよ。言えないよ。

       ●बुद्धि से जीतो●

 うちらを出産してくれた(ひと)を、うちらは知らない。出産させた男が言うには、責任感がなく軽い人らしいが、煙草を吸わなきゃ震えるような男の言葉など、うちは信じない。姉も聞き流してたし。

 我が家の収入は、国から貰う少額のお金が主だった。どういう仕組みでニコチン中毒者が生活保護を受けれるのか、当時は分からなかった。今も、よくは分からないが。姉は事あるたびに謝ってきた。眉尻を垂らして、悲しそうに微笑みながら。ごめんね、あたしがもうちょっと大きくなったらバイトできるから、そしたら3食ご飯食べれるし、いい服着れるし、靴の踵踏んづけてなくていいんだよ。大きくなるに連れ、頑張っても千知露国内では高校生からしか働けないことと、高校生が働いても大して稼げないことを理解した。姉はそれでも夢物語のようなことを言い続けた。あれは現実逃避ではなく、3歳下の妹を笑顔にさせるためだったのだろう。

 父に働けと怒鳴ったことは何度かある。今も肩と背中に残る傷痕は、そのときのものだ。姉に止められた後も、彼女がバイトとか学校とかのときに父と殴り合ったこともある。躊躇いは無かった。家事はうちがして、姉にも手伝ってもらって、お金は保護金と高校生のバイト代なんて、おかしいのは馬鹿でも分かる。それでもあいつは競馬以外にお金が流通する場所はないと勘違いしてるのか、頑なに動かなかった。うちは迷ったが、親族に助けを求めた。働くようにせっついてくれ、競馬か煙草を止めるだけでも助かる、私達姉妹は疲弊している、姉なんてバイトと家事でまともに勉強も出来ないのだ、と。

 彼等は口を揃えてこう言った。

 "お姉さんは親孝行な娘さんだ。君もお父さんとお姉さんを支えるべきだ、こんなことしてないで。"

 うちん家に父親なんて居ない、と叫び返した。

 千知露国では、親孝行を最上の行為と言う。父母を何よりも敬愛し、彼等の苦労をひとつでも多く取り除かんとするのが"善"。眉尻を垂らした悲しい微笑みで、勉学を犠牲にしても、煙草と競馬に明け暮れる男を養うのは、"良い話"。

 そういう伝統の国だった。

 そんなのが伝統なら伝統なんて滅んじまえばいい。伝統を振りかざすだけで、人ごろしも許容されるなんて、頭が狂っている。

 もう1つの懸念もあった。それは姉の瞳に<使者>の文字が現れたことだ。彼女が10歳くらいのときだったか。成人するまでは狩り隊も殺さないらしいが、本当かどうかも怪しい。それにその言葉が本当でも、それは大人になれば殺されることを意味するだけ。姉は、ニコチン中毒者と狩り隊と…そして3歳下の妹という足枷と共に生きていた。

 転機は、姉が17歳のときだった。

 うちが家に帰ったとき、姉が血を流して倒れてたのだ。男は姉には、今まで一度も手をあげたことがない。だからうちも安心して、家が2人きりになるのを恐れなかった。

 何が原因だったのか、うちは分からない。事実は、男が姉を殴った、ただそれだけ。

 そして、まだ殴ろうとしている、それだけ。

 うちは男の股間を蹴り上げて姉の手を引いた。

「お姉ちゃんっ!行こう、一旦外に出よ。」

「…八重。」

 彼女は夕日が燃えるような茜の瞳を見張って、男を見詰めていた。

「支度しなさい。出るわよ。」

「えっ…?出るって…。」

「家を出るの。ここは捨てなさい。」

 姉が偶に使う、そしてその度にうちはイラッとする命令形文だったが、今は苛立つ暇もない。

「どゆうこと?え、家出てどこ行くん?」

「何処でもいい。ここよりはマシよ!」

 彼女は叫んで、ボロいボストンバッグに数枚の服と全財産の入った小さい貯金箱を叩き込んだ。少し新しい方にうちらの教科書とノートを、これは丁寧に包んで入れる。

「出るわよ、八重!あんたもあたしも_こんなとこにいたら、死んじゃうわ。」

 語尾は、打って変わって囁くようだった。うちはぽかんと彼女を見上げるしかない。

 姉が、身を削って家族を守ってきた彼女が、ここを捨てると言う。うちにとっては要するに、父につくか姉につくかなのだ。それなのにこんなに悩んでいる自分に気が付いて、反吐が出た。こんな男もうちには父親だったし、あんな伝統はうちの根底に入れ墨のように彫られていた。

 だったら、故意的に捨てるしかない。

「…。お姉ちゃん。遠くてもいいなら、ロップ国の<葬り町>にしよう。うち、前に噂を聞いたんだ。」

 姉の手を摑んで、うちは宣言した。彼女は足枷のうちを守ってくれたし、今でも捨てる気がないらしい。だったら、うちはこの姉を守ればいい。

 こうして姉妹は治癒の<使者>の下へ転がり込んだのだった。姉貴以外に話したことはないし、話す気もなかった。

 あの男のその後を、うちは知らない。


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