【ターゲット・ベンチ】ラディ
そのときも、僕はベンチで昼食にするつもりだった。だが、誤算が。いつもは人の少ない公園にしては珍しく、ベンチに先客が居たのだ。
柔らかな藍色の髪をひとつに結っている女性だ。年は20歳手前か。穏やかな青の瞳が、無邪気に公園の景色を眺めている。膝の上のお弁当箱を見るに、彼女も昼食中らしかった。
ぱっと目が合う。
すぐに回れ右をしようと思ったのだが、それより先に、女性が声をかけてきた。さっきとは打って変わって、彼女は大分慌てている様子だった。
「ごっ、ごめんなさい。ここでいつもご飯食べてたんですね。すぐよけますから。」
「…別に構いませんから_いえ、やっぱり、もし良ければ、片側に座らせてもらえませんか?」
横の大きめのバッグの取ろうとしてお弁当箱を落としかけ、あわあわしている彼女は、僕の申し出に目を丸くしてこちらを見上げた。上目遣いの姿勢のせいか、幼く見える。妙に戸惑って、一歩下がる。それに気付いていないのか、女性は、ぱあっと笑顔を浮かべた。
「もちろん!私、誰かとご飯食べるの、本当に久しぶり…!」
他人の隣で食事をすることに抵抗はあったが、職場で食べるよりは随分ましだろう。
「_ひとつ、伺っても?」
バッグをよけてもらって隣に座りつつ、僕は相手の顔を観察した。
「何故、僕がいつもここで食事をしていると思ったんですか?」
「え?簡単な話ですよ。」
女性はにっこりと微笑んだ。
「お昼ご飯のお弁当箱が入りそうなサイズの紙袋と、水筒を持っていたからです。しかもそれなりに長年使っている様子。そして今は丁度お昼時。ならまずお昼ご飯を食べに公園へ来たと考えるでしょ?」
穏やかな風が吹く。彼女はそれを味わうように目を細めた。
「あなたは真っ直ぐにここへ向かってきた。周りを見回した様子はない。そして私が居ることが予想外な顔だったから、きっといつものこのベンチの状況_多分、座る人がいない状況_も知っている。以上から、あなたはいつもお昼時にここへ来る。
これとさっきの結論を繋げば、十中八九あなたはいつもここでお昼ご飯を食べている。合ってませんか?」
目を見開いたまま固まって静聴していた僕は、彼女からの確認にはっとして返答した。
「あ、合ってます…。」
女性を改めてまじまじと見詰める。寒い時期でもないのに、ショールで首と肩を包んでいる。それでも彼女が華奢なタイプではないのは分かる。泥の跳ねたスニーカー。横髪に2つのヘアピン。手袋。頬の中央に小さなほくろ。
きょとんとした青色の双眸が、僕を見ている。可愛らしいが、賢しい光が灯っている。
彼女への興味がぐっと湧いてくるのを、静かに感じていた。
「どうしました?」
「名前、まだ聞いてなかったなと思いまして。」
一拍間があった。訊くタイミングを誤ったかと悔やんだが、そういう訳ではなかったらしく、彼女は笑顔で返した。
「ツキです。」
●Sådan vil jeg gerne være●
「あっ時間!ごめんなさい、私戻らなきゃ。」
2人とも食べ終わったくせに、話したいからとだらだら居座っていた。多分、彼女の昼休みがもうすぐ終わってしまうのだろう。ツキさんは慌ててバッグを摑んで立ち上がった。それでも、彼女はちゃんと僕を振り返った。
「また会えますか?」
風になびいた藍色の髪が、青空に溶け込むようだった。僕は、柄になく微笑んだ。
「貴女が、そう望むのなら。」
「ありがとう。じゃあ、また、ここで。」
いち音いち音丁寧に発音する彼女独特の話し方が、妙に頭に残る。ツキさんは手を振って去った。僕が手を振り返すより先に、公園の南出入口の方へ行ってしまった。出入り口の手前にはシュラブと背高の木(多分、公衆トイレを隠す狙いだろう)が茂っていて、彼女の姿はすぐに見えなくなった。それでも、暫くは何となく南側を眺めていた。上の方では風があるのか木が揺れている。また、本当に会えるのか?担がれてはいないのか?
そのまま数分座ったままだった僕の頭上で、明らかに風とは思えない音を立てて木が揺れた。
「…誰だ?そこにいるのは分かっている。出ろ。」
ここは狩り隊ロップ国支部の近くだし、何より腰に下げたナイフで、僕が狩り隊なのはバレバレである。この前のような情報提供者が来ることもあるくらいなのだ。<使者>が襲撃してこない確証は、無い。地面に置いていたバッグへ手を伸ばす。
すると、慌てた声が響いた。
「ちょっ、タンマ!タンマ!」
ガサガサと音を立てて木から降りたのは、赤黒い瞳が目を引く男だった。青い髪を右半分持ち上げて4つのヘアピンで固定している。慌てた表情だが、瞳の冷徹な光はこちらを小馬鹿にしているように見えた。
「俺、フツーに覗いてただけだって!」
「覗いていた理由を言え。」
「え〜。強いて言えばナンパ?」
「…さっきここを去っていった彼女か?なんだお前、ストーカーか?出るとこ出てもいいんだぞ。」
「ちっがうっちっがう。アンタだよアンタ。アンタをナンパしに来たんだよ。」
少しの間見詰め合って、しかし相手はへらりと笑うばかりだった。
「馬鹿らしい…。去れ。」
「…じゃっ、俺ん名前だけ、覚えといて。通って言うから。」
ひらり、と手を振って彼は去った。その身軽な雰囲気が、妙に羨ましく感じられて、僕は頭を振る。