【姉妹の来訪】シェルファ
8年前、父の元に狩り申請者が届いた。父は母と私に謝っていた。彼が<使者>であることを承知で結婚した母は、泣きながら首を横に振った。行かないで、と叫んで。いつも逞しい彼女がそんな風になるのは、初めてだった。
父は死んだ。家に狩り隊が来ないように、私達に危害が及ばないように、自ら戦地に赴いて。
次の日、私の耳にタトゥーのような文字が現れた。
<魔女の使者>は、夜のうちに子供の中から選ばれる。1人欠けたら1人補うシステム。選出方法は不明。だが当時の私はなんとなく、子供というのは15歳程度までだろうと思って、次の治癒の<使者>のことなんて微塵も考えてはいなかった。考える余裕なんてないし。
だから、17歳の自分が選ばるなんて、夢にも思っていなかった。父と同じ位置の文字。同じ意味の言葉。彼が一生使ってこなかった、魔術。
ぱっと、そのときの私の脳内に浮かんだ計画は、空前絶後で、実現可能性が低く、人でなしなものだった。
治癒の魔術を餌に、<使者>を統制し、狩り隊を壊せば_
いや、と苦笑する。私の頭にあったのは母の存在だった。確かに父の仇は討ちたい。でも彼が生涯愛し、そして私も生涯愛している彼女にまで危害が及ぶかもしれない計画なんて、手に取る気はない。
そう決めていた。父を喪ってすぐに、母が認知症を患うまでは。
平日は仕事、休日は地域の手伝いや私の買い物に付き合ったり、忙しい人だった。元々体的にはきつかったのだろう。それを、楽しいからという理由だけで乗り切っていた。だが今、彼女に残っているのは、最愛の人が死んだ事実と、これから1人で娘を育てなければならない不安だけ。
もしも今、私に狩り申請書が届いたら?<使者>であることは必死に隠しているが、父ですらバレたのだ。私がバレない筈がない。無視すれば家に狩り隊が来るのは不可避。だからと言って父のように行って死ねば母は1人になってしまう。母と共に逃げるか?この状態の母を抱えて狩り隊から逃げ切れるのか?
ふと、<魔女の使者>になった直後に浮かんだあの計画が、頭に蘇った。
この元凶を餌に<魔女の使者>を集め、狩り隊を潰して、…そして、母と2人でのんびり生きる。
私は腹を括った。
まずは母を安全な場所へ移すことから始めた。母を受け入れてくれるところで、いちばん環境の良い施設を探し出す。入居費は馬鹿みたいな値段だったが、それも魔術で解決した。あらゆる体の病気を治すと謳って、世界中の富者から大金を巻き上げたのだ。まあ、本当に"治し"はしたからオーケーだろう。
取り敢えず、無法地帯と有名な頬睦利町に引っ越した。魔術を堂々と使いつつ、やって来た狩り隊は尽く無視。その傍若無人な暴れっぷりを見た<使者>が来ることを願った。
5年前、最初に来た<使者>は小さな姉妹だった。
「…お前等、いくつ。」
口を開いたのはチビ2人の内、余計小さい方だった。
「うち14。お姉ちゃん17。」
偉そうに顎を持ち上げたチビが、これまた偉そうに述べる。2人は千知露国出身に相応しい低身長で、サバよんでるだろ、と私は眉を顰めた。
「あたし、二大強大魔術、操作の魔術、もつ。つかう。あなた、戦う、出来ない。代わり、あたし、戦う。」
片言のシャニ語は、姉の言葉だった。彼女はハンカチと前髪で隠している片目を剥き出しにした。途端に頭へ飛び込む言葉。
"私の視界の中は、私の掌の上。さあ踊れ!"
「ふうん、確かに操作の魔術らしいな。
だがお前は餓鬼だ。東部連合条約で19歳以下の<使者>は要監視対象に引き下げられた。だからお前等は別に狩り隊に襲われないさ。こんなとこに来る意味は無い。さっさと家へ帰れ。」
姉妹は顔を曇らせて互いに視線を交わす。姉の方も、達者には話せないなりに聞き取れたらしい。
「うちら、家出したん。だから住まわせてほしいの。その対価に、あんたの護衛したげる。ね?」
「チッ…。交渉すんならせめてもっと私に敬意を示せ。」
「会って数分なのに?無理。<使者>はビジネスライクな関係を築く方が安心できていーじゃん。」
その判断は評価できるので、顎で続きを促してやった。
「あんたはうちらに最低限の衣食住と狩り隊の情報を与える。家はテントとか物置きでいいし、ご飯1日1回あればいける。そのお代に、お姉ちゃんは魔術を貸す。うちはこれ貸す。」
ずいと差し出されたのは、紙袋だった。随分くしゃくしゃだ。中身を取り出すと、ミイラのように布に包まっていた。それを私は雑に剥ぐ。出てきたのはよく分からない装置だった。
「これで狩り隊がもってる銃が遠隔で爆破できるの。うちはこーゆーのいっぱい作れる。ね。割安でしょ、この姉妹。」
私は餓鬼をなぶるように見下ろし、薄く笑んだ。
「…演技はどこで覚えた。」
ビクリと震えたのは、姉だけ。妹は目つきが余計悪くなっただけだった。
遠隔で狩り隊の銃を爆破?んなこと簡単に出来たら私もこんなに苦労していない。それに、そんな代物を包んでいる布なら、さっきの私のように雑に剥ごうとしたときに止めてるだろう。
私は威圧的に片笑んで少女を睨め下ろした。
チビな頭に似合わぬデカい茜の瞳に、じわじわと水気が溜まる。だが、頑として少女はそれを垂らさない。
「…家、帰る、出来ない。」
私達ははっと振り返る。姉の方が、ゆっくりと言葉を重ねていた。温かな朱の混じった桃色をした髪は、妹より穏やかな気配を滲ませているが、彼女の双眸は、尊大な妹のそれより遥かに靱やかだった。普通なら折れる瞬間にしゅらりとしなって生き延びる、靭性のある刀。
「全部のこと、する。あたしする。お願い、家、置いて。もし、妹だけ、とても、いい。あたし、無い、オーケー。だから、お願い、お願い。」
「…なんで、そんなになってまで家を出た?」
「家、外、まだ、生きる、出来る。」
"家はテントとか物置きでいいし、ご飯1日1回あればいける。"
"…家、帰る、出来ない。"
何を言ってるのか分からなかったが、何を思ってるのかは分かる気がした。
自然と、私の口から溜め息が零れる。
「名前は?」
「!うちが八重、お姉ちゃんが飛鳥!」
「私はお前達の戦闘能力を買ったんじゃない。お前達の度胸を買ったんだ。そこ、絶対に間違えんなよ。」
髪を掻き上げる。この姉妹はプロモーション待ちのボーンかそれとも重荷か。どっちにしろ手放せないものが増えた、ように思う。
「私のことは先生と呼べ。」
まあ、やりきってやるさ。