【女性医師】シェルファ
帰り際、母は私の手を握ってこちらを見上げた。また来てくださる?と頬を赤らめて。私は出来るだけ、父の、何処までも柔らかで優しい笑顔に近付くよう気を配って、顔を作った。そして、あなたがそう望むのなら、喜んで、と囁いた。
結がどう思っているかは、知らない。有り難いことに、青年は母の前でもポーカーフェイスを保っていた。まあ、そうだと予想できたからこそ連れてきたのだが。母の感情を乱す程に感情を顔に出す奴なら、まず連れてこない。
スタッフ達が、もう帰るんですか?と引き止めたのを微笑みつつ軽く対応して、私達は駐車場へ歩いた。駐車場には車が何台かある代わりに、人は1人もいなかった。それを認めるや否や、結と私は同時に笑顔を消した。私はいつもの仏頂面だったが、結の方は珍しく、ぼんやりとした顔だった。この青年はいつだって愛想の良い態度で、その癖一切の隙が無い。の割に、今はちょっとつつけばすぐに隙にぶち当たりそうな風体だった。
「疲れたか?」
「あー…いや、そんなことはないと思うんですけど…。」
歯切れの悪いことだ。内ポケットを探ったが、煙草の箱は無かった。母の体に障ると困るので、昨日から喫煙は我慢していたが、流石にもう限界そうだった。車にあっただろうか。猫達に会う前に服やら髪を洗う手間を考えても、吸ってしまいたい。
「…ニコチン中毒者。」
ポケットを探る動きだけで大体察せたのか、結がぼそりと呟く。私は無視した。
「ニコチン中毒は、"治せ"ないんですか?」
「馬鹿言え。ニコチンってのは、精神にも届くんだぜ。私の魔術は物理にしか効かない。」
「絶対に煙草は嫌って思わせてくれる名言ですね。」
もっと明るく言えば笑って話せる会話なのかも知れないが_私には自虐ネタでも_低血糖な口調のせいで、ただの失敗した禁煙啓発ポスターだった。
駐車場に停まる数々の高級車の中で、私の車は物凄く見つけやすかった。ここでいちばん古くて、安くて、いかにも壊れそうなやつ。
「…この施設にお母さん入れるの、大変じゃなかったですか?」
「まあな。入居費が馬鹿高い。」
「でしょうね。高級車ばっかり。…でも入れたんですね。」
「ここがいちばん良かった。環境が良くて、頬睦利町から車で行けて、父の墓が近い。」
施設に入れないという手も、ないことはなかった。幸福なことに、母は体の方は比較的健康だったので、私でも支えることは出来ただろう。
私もそうしていただろう、己が<魔女の使者>でなければ。
「巻き込みたく、なかった?」
私は何も返さずに、ボロい車のロックを解除した。結もそれ以上詮索せず、ドアを開けて助手席に収まった。
「煙草吸うなら、窓全開にして下さいよ。」
煙草を摑むより先に牽制された。餓鬼の癖に。
暫くはお互い黙ったまま車を走らせた。私は咥え煙草のせいでもあったが、結は単に黙っていた。しかし唐突に、信号待ちのとき、彼はこちらを見た。
「なんで、俺を連れてきたんですか。」
「…前、母娘を見ていただろう。羨ましいっつって。だから。」
煙草を右手に持ち直す。くすんだ灰色の煙と共に、言葉が流れた。
「関係なくないですか、それと、俺を連れてくるの。」
「…さあな。」
母娘を見ていたあのときの結の目には、見覚えがあった。主に、施設帰りの鏡の中とかで。母が見詰める先に自分がいる自信が、ない、奴の目。
信号が変わる。右手に移していた煙草を咥え直し、進む。
「私のことは信じなくていい。隠し事をしてもいい。だが、ラオメと光羅謝くらいには、話してみたらどうだ?ちょっと愚痴ったっていいんじゃないか?」
あの2人に対しては、それくらいの情がこの青年の中で、多分もう生まれている。
結は何も言わなかった。私も特にそれ以上は言及しない。首元が窮屈に思え、母に会うとき以外は滅多につけないネクタイを外す。一瞬手放し運転になっても、助手席からは反応がなかった。そのまま進む。
「…なんで男じゃないって否定してたのに、その格好なんですか?」
やがて、車窓と向き合ったままの結から質問が流れてきた。私も彼を見ずに答える。
「父親に譲ってもらったんだよ、この服。これ以外にちゃんとした服、持ってないから。」
あっそ…と気のない返事。また少しした後で、今度は別の質問が浮遊してきた。
「そう言えば、あなたのことはなんて呼べばいいですか?」
"そう言えば"の言葉からは、本当に今思い出したというより、今必要になったから訊くけど前からちゃんと考えてた雰囲気出した方が印象がいいよな、みたいな考えが透けていた。
「先生と呼べ。」
「それは嫌です。」
「なんで頬睦利町の奴等は決まって先生呼びが嫌なんだ…。」
「先生と呼ぶ相手にいい思い出が無いので。」
「じゃああいつ等みたく女医でいいだろう。許してやる。」
少しの間の後、結はこちらに視線だけ寄越した。
「女医って、ヤじゃないんですか?シャニ語に男の医師って呼び方は無いのに、そうゆうの、嫌じゃないんですか?」
「…お前もしかして、あいつ等の言う"女医"って、シャニ語だと思ってんのか?」
「え?違うんですか?」
きょとんと目を丸めると随分幼く見える。私は軽く笑った。
「あれはトゥール語だ。最初に呼び始めたのはリモンドでな…。」




