第五話 提案
多少の緊張はあったけれど自信を持って意気揚々と渡した提案書はいっそ綺麗なほど酷評された。
「ダメって…なんで。」
「減税が市場を潤すという考えは分かった。だがこの通りうまく行くのか?」
「もちろん絶対ではないけれどある程度の信頼性が…」
「いーや違うね!やってみなくてもわかる!このままじゃ失敗する。」
バサリとお兄様の手元で書類が音を立てた。
「…なんで言い切れるの?」
「まず減税すれば市民はものを買うようになる…これはその通りだろうな。この領地は先の飢饉の影響を受けてはいないが対して裕福でもない。使える金があれば使うだろう。」
「そうでしょ?」
それがこの政策の肝だ。そうして儲かった店が従業員の給料を上げ、従業員でもあり住民でもある領民がまた買い物をしてどんどん豊かになる。
「だが一部の店が儲かったところで領民は豊かになるのか?アリシア、この領地の大半は農民だ。直接ものを売ってるやつなんか一握りだろう。大体の農民は作ったものを店が仲介する形で売っているわけだ。売り上げが上がったところで作った農民に還元されないとは考えなかったのか?」
「…そ、れは…」
「何の本を参考にしたのか知らないが合う政策と合わない政策がある。その本は住民が大半商人だっていう前提でやってたんだろ。」
ガンと頭を殴られたような衝撃だった。確かに現代日本はあまり農家を営む人はいなくて大半が何かの企業に勤めて商売をしていると記憶にあった。でもまさかそのせいで私の領地に通用しないとは考えられなかったのだ。
「で、でも私が売り上げの内生産元に還元する割合を一定にするよう求めれば解決するんじゃないの?」
中抜きが問題だというのならそれを禁止して仕舞えばいい。例えば40%還元するよう一定にすれば5万売れた内2万が生産者に渡る。それが10万売れるようになれば4万が生産者にわたり商人も農民も儲かるはずだ。
けれどそう説明してもお兄様の険しい顔は変わらない。
「結局商人と農民の所得差は変わらない。金持ちの商人達がどんどん物の値段を釣り上げたら農民の苦しさは変わらないだろうな。」
「…農民達が買えないほどは釣り上げないんじゃない?商人にとっても商売相手の大半は農民でしょう。」
「結局経済格差は変わらない。いずれ物価の高騰に追いつけない農民が出たり医者にかかれない農民が出たりするぞ。」
分かったらもう一度練り直せ、そういってお兄様は部屋に戻ってしまった。
私は呆然と提案書を見ることしかできなかった。
「なるほど。クロード兄様がそんなことを…。」
あまりのショックにそのまま仕事に戻る気にもなれず、私はテオの部屋へと向かった。
テオは私とお兄様が握りしめて少しくたびれた提案書を読んで同情したように呟く。
「お兄様の言ってることはもっともなんだけどね。私が…」
私が気がつけなかっただけの話だ。むしろ領民が不利益を被る前に止めてくれてよかったとも言える。
「でも姉様は領地を良くしようとして考えたんでしょ?大事なことだよ。」
慰めのような言葉だが、テオには慰めている自覚もないのだ。彼にとって私を元気づけることはわざわざ気を使うことでもなくて、自然とそうなってしまうということ。
テオは私に甘いと思う。いや、そもそも人付き合いが少なくてスレたところのない子なので誰に対しても優しい子ではあるのだけれど、私には輪をかけて。
「…そうよね。元々私の評価のためなんかじゃなくて領民達のためにやることだものね。落ち込んでられないわ。また考え直さなくちゃ。」
気合いを入れ直して提案書を返してもらおうとしたとき、テオは提案書を引っ込めた。
ぱちくりと目が瞬く。もう一度提案書をつかもうとしてさっきよりも身を乗り出す。また避けられた。
「テオ?姉様にその紙を渡してちょうだい?またちょっと忙しくなるけれど、ちゃんとあなたのところに顔を出すようにするから。」
可愛らしい弟なのだ。きっとこの間みたいに私が執務室に篭りきりになるのが嫌なのだろう。
けれど諭してもテオは提案書を返してくれない。
意地悪をするような顔でもなく、ただ必要だから渡しませんとでも言うかのようにサッと手を引っ込めてしまう。
「姉様、僕が練り直してもいいかな?」
…練り直す?この政策を?
「僕は政策を練ったこともないし姉様からしたら不安だと思う。でも、一度機会をくれないかな。僕なりに思いついたことがあるんだ。」
この政策の問題点は、ざっくり2つだ。
まず、この領地で行うには農民と商人の割合が離れすぎていて商人が儲かるだけに終わってしまうかもしれないこと。
次にその経済格差で農民たちが物価上昇についていけなくなったり医者にかかれなくなったりするかもしれないということ。
「経済格差をなんとかすればいいんだよね?」
「そうね。」
肝はそこなのでもし本当になんとかできてしまうなら、問題の大部分は解決してしまう。ただ私にはどうやったら解決できるのか分からないから、テオが何か思いつくなら任せてしまうべきなのかもしれない。
「見直しにちょっと時間はもらうけど2日くらい待ってくれれば姉様にもクロード兄様にも説明できるくらいにできると思うんだ。」
「…そう、ならよろしくね。くれぐれも無理はしないように。具合が悪いと思ったらすぐに言ってね。」
任せられたのが嬉しいのか、やる気に満ち溢れた弟の顔は可愛いけれど、張り切りすぎて倒れないかが心配だ。
それに、テオは賢い子だけれどまだ幼いし、クロードお兄様が手厳しいことを言って落ち込ませてしまうかも。
なんてことを考えながら、私は執務室へ戻った。