第四十四話 正体
「思ったより早かったわ…。」
王家の紋章が押された手紙を眺めつつ呟く。
殿下からの招待状が届いたのだ。要件はもちろん例の件についてだろう。
招かれたのは2日後。まさかほんの数日で方針を決めてしまわれるとは、流石殿下と言ったところかしら。
強いて懸念があるとすればルイが所用で来られないことだ。
もちろん殿下の名前を出せば断れない用事なんてほとんどないでしょうけれど、極力この件は内密に進めたいし、ルイの用事には大体それなりの理由がある。
私たちとしてもよほどのことでなければそちらを優先してもらいたい。
ただ懸念するのは先日の婚約の打診について。
殿下がどこまで本気なのかは分からないけれど、この前以上にグイグイ押された場合私1人でどこまでキッパリとお断りできるかが少し不安だ。
まあどれだけ言われても引き受けるわけにはいかないから結局は断ることになるのだけれど。
「謹んでお受けいたします…っと。」
ジャガイモも先生の知識にあるものと同じだったし、あと2日あれば十分殿下に進言するための資料もまとめられるだろう。
ただこれだけ早く呼ばれるということは当然殿下も何かしら動きがあったということ。もしかしたら私の動向がどうでも良くなるくらい進展があったのかもね。
「アリシア様、よろしいですか?」
「どうぞ。何かあった?」
上手く押せた印を眺めて満足する私にキーアの声がかかった。
私専属とはいえ用事がないとキーアも部屋には来ないので、扉が開く音さえ鮮明に聞こえる。
「タリオス殿が先程お帰りになったのですが、団長閣下をお連れです。」
「閣下を…?」
私との約束通り団長閣下はタリオスを熱心に指導してくださっている。お忙しい方だし、指導してくれても1、2回くらいかと思っていたのだけれど未だ止まる気配はない。
それにしても閣下が約束もなくいらっしゃるのは珍しい。火急の要件かしら。
「すぐに行くわ。お引き留めして。」
「かしこまりました。」
閣下は礼節を重んじる人…なのかは正直分からないけれど、少なくとも貴族社会の常識を簡単に無視するお方ではない。
普通は遣いをたてて約束してから家に来るのが当たり前だからそれだけ緊急の用事ということでしょう。
全然心当たりがないのが却って不安ですけれど。
廊下を歩きながら一応予想してみる。
流石にもうルイと遭難したときの件をお話ししには来ないでしょうから、やっぱりタリオスの件かしら。
すごく強いですね、とか?見込みがありますね、とか?
元々お兄様に支えていたんだからタリオスが無礼を働くということはないと思うのだけれど。だから褒め言葉なんじゃないかしら、多分。
「ごきげんよう。どうなさいましたか?閣下。」
閣下は練習着らしきかなりラフな格好で応接間に座っていた。
柄ではないと主張しながらも、閣下は貴族の地位を与えられた立場として可能な限り礼節を尽くそうとなさっている印象だったので少し驚く。
これはかなり急ぎ、あるいはマナーを気にすることができないような用件ということかしら。
「アリシア様、急な訪問をお許しください。タリオスについて、どうしてもすぐお伝えしたいことが。」
「閣下がなさることが軽はずみであるはずがありません。どうぞ何も気にせず、お話しください。」
向かい合うとそのお顔には焦りが見えた。
あまり、いいことではなさそうだ。
喋り出そうとした閣下が周りを見て躊躇った。
この部屋にはお茶をお出しするための給仕やここまで閣下を案内してくれただろう執事、それからキーアが控えているけれど、人払いをした方がいいのでしょう。
「皆、ひとまず部屋を離れてちょうだい。人払いを。私は閣下と話しますから、この部屋に誰も入れないようにお願いね。」
これでよし。
素早く出ていった使用人達を見送った閣下は一言お礼を言って本題を切り出した。
「以前、私はタリオスを見極めると申し上げましたね。」
「ええ。先日いらっしゃったときのお話ですよね。剣術の指南をそのまま受け入れてくださったので認めていただけたものと思っていましたが…。」
もしかしてタリオスの実力が足りなかったということ?
いや、レンド領で鍛錬していた時も他の騎士を負かしていたらしいしそれはないかしら。
「実力はそのときから認めております。あの年齢にして、騎士団でもそう見ない実力者だ。」
褒める様子に嘘は見受けられない。
でも何かが引っかかるからここにいらっしゃったのでしょう。
「…アリシア様は『レンゴットの悪魔』と呼ばれた男をご存知ですか?」
言うことは決まっていたでしょうに、閣下はらしくもなく躊躇った様子で切り出した。
レンゴットの悪魔。
その言葉自体は存じ上げないけれど、レンゴットは地名として知っている。
この国の地名ではなくて、もっと北にあるタンネという国の国境辺りの地名だったはず。
そして確か5年ほど前にタンネとその隣国、アゾの戦争で戦場となってた場所の一つだったと思う。
「言葉自体は存じ上げませんが、地名としてなら。5年ほど前の戦争と何か関係があるのでしょうか?」
「はい。レンゴットの悪魔はとある傭兵に畏怖を込めて名付けられた称号です。」
戦争で傭兵を雇うこと自体は珍しくない。ただ、その異名が遠く離れた地で閣下が知るほど広まるということはおそらく珍しいのだろう。
「その傭兵が悪魔と呼ばれた理由は2つ。一つ目にその男は驚くほど強かったそうです。周りを全て敵に囲まれてもたった1人で100人を撃ち倒し生き抜いたとか。」
この世界にはまだ銃がなく、戦いは主に槍や剣によって行われる。本来いくら強くても数の利に勝つのは容易ではないだろう。
多少は盛られているとしてもその逸話を作られるくらいには強かったのは確実でしょうね。
「二つ目に、狂気的なまでに好戦的だったこと。その男は当初タンネの傭兵として雇われ、数度戦場に現れた後タンネを離れ、レンゴットでの戦いの時アゾに傭兵として雇われました。」
つまり陣営を乗り換えたと言うことね。傭兵は基本お金目当てだからそう珍しいことでもないと聞くけれど。
「不可解だったのはタイミングです。当時アゾは劣勢で、報酬の保証どころか当然命を落とすリスクも高く…。」
それは確かに不可解だけれど、なんとなく話の流れは察しがついた。勝ったのはアゾだったはずだから、劣勢だったはずのアゾが勝っているということは、その傭兵が関係しているのでしょう。
「予想がついたとお見受けします。その傭兵はレンゴットでも大いに活躍し、味方の士気を上げ形勢をひっくり返しました。ですが問題はそこではなく、優勢だった軍に所属する安定よりもわざわざ劣勢の軍を選んで戦いに身を投じる狂気が悪魔と呼ばれた所以です。」
「…レンゴットの悪魔については分かりました。ですが、それとタリオスになんの関係が?」
いえまあ察しはつくのだけれど…。流石に閣下の口から聞かないと俄かには信じ難いわ。
おそらく物々しい空気を帯びているだろう私に一つ頷いて、閣下は次の言葉を放った。
「アリシア様、タリオスはレンゴットの悪魔張本人です。」




