第四十話 嗜み
さて、目下1番の問題は片付いた。
すぐに戻ってくるとは言っていたものの、ルイはまだ向こうにいるみたいね。
ルイを待つ間に私も軽く世間話でもしていようかしら。
メイシオ公爵家の方々に挨拶するのが目的だったけれど、ペロー伯爵家の羽振りの良さを聞きつけてか今日は人が多い。
特に学園で同学年になる方とは仲良くしておきたいわよね。もしかしたら学園がクーデター回避の正念場になるかもしれないし。
「アリシア嬢、今少しいいだろうか。」
そう思って視線を彷徨わせた私に、つい先ほど会ったばかりのハイド様が声をかけてきた。
構わないのだけれどさっきのご令嬢は?
「もちろん構いませんが…先程どなたかをお連れになっていませんでしたか?私は同席していただいても構いませんよ?」
後ろ姿しか見えなかったけれど確かキルシュ伯爵家のメツィア様だったと思う。結構古い家で、ハイド様の結婚相手としてもおかしくないくらい。
てっきり恋仲なのかと思ったのだけれど、それにしては5分くらいしか一緒にいなかったんじゃない?
「彼女は…なんでもない。少し話すことがあっただけだ。」
もう少し親密に見えましたけど。
まあ私が詮索することでもないか。
「それで、お話とはなんでしょう?」
「ここでは何だ。場所を変えても構わないだろうか。」
他人に聞かれない場所ってこと?
例に漏れず周囲から聞き耳を立てられているし、一個人として聞かれたくない気持ちは私にもある。けれどあからさまに場所を移すのはやましいことがあるみたいだ。
「ご存知の通り婚約者のいる身ですので…。」
他の男性と2人きりになるのは良くないだろう。ハイド様が失念しているとも思えないけれど。
「もちろん、弁えている。貴女の婚約者殿の後で構わないから俺にもダンスの申し込みをさせてくれないか?」
ダンスというのは当然社交ダンスのことだ。
基本的には婚約者と一番に踊りさえすればあとは自由にパートナーを変えられる。特にルイ以外と踊る予定はなかったのだけれど、ハイド様がわざわざ申し込んでくるということはそれなりに大事なお話なんでしょう。
内密の話のためにダンスの機会を設けるのはちょっと変な感じだけれど、ここは彼を信じることにしよう。
「承知しました。では、また後で。」
「ああ、ありがとう。」
微笑んだハイド様は踵を返した。けれど見える限りメツィア様は見つからない。どうやら照れ隠しじゃなく本当に大した関係ではないらしい。
「戻ったよ。」
「あら、おかえりなさい。」
ハイド様と入れ替わるようにルイが戻ってきた。
相変わらず読めない笑みを浮かべているけれど良い情報はあったのかしら。
「収穫はあった?」
「そこそこに。」
盗み聞きを封じるためかルイはぼかした返事をした。
確かにペロー伯爵の不倫の件は内密にしておけばいざという時の切り札になりそうだし、隠すのが賢明ね。そうでなくとも会話を聞かれて得になることはあんまりないし。
「君の方は?」
「ちょっとだけセイヨンと話したわ。大したことじゃないけれど。あと、ルイと踊った後にハイド様と踊ることになったからよろしくね。」
「ハイド殿と?」
あまり女性を誘わないハイド様が声をかけてきたと言うことは何か明確な理由があると言うことだ。
これで何かあるということは伝わったでしょう。私にも何があるのかはよくわからないけれど。
でもすんなり頷くかと思ったルイは、なぜか私の腰に手を回して少し引き寄せてきた。
私の額がルイの肩口に付くくらい接近する。別に構わないには構わないけれど…
「ハイド殿に靡いちゃダメだよ。」
「ルイ…。」
戸惑う私にルイが囁いた。
聞き耳を立てていた野次馬…もとい周囲の貴族たちが色めきだったのが分かる。なるほど、邪推されないように私たちの仲をアピールしてくれたのね。
流石、こういうことをさせたら右に出るものはいない。
正直ちょっとだけ照れるけれど。
「もちろん、あなたがいるもの。」
無言でルイの笑みが深まった。ちゃんとあなたの意図は伝わってるわよ。
「ならよかった。じゃあ行こうか。」
腰に回した手はそのままに体の向きがダンスホールに向く。
ふと、ルイの紺色の礼服と私のドレスの黄色の組み合わせが目に入った。コントラストは悪くないけれど、そうね…
「次はあなたの瞳に合わせて緑色のドレスにしようかしら。」
「え?」
今日はあらかじめ用意しておいたドレスだからルイのイメージには合わないけれど、緑色だって似合わないことわないと思うの、私。
「いいでしょう?」
「…ああもちろん。なら僕も君の瞳に合わせた装いにするよ。」
形だけの婚約関係ではあるけれど、そういう工夫をしてみたっていいと思う。たまにはコンセプトを決めて衣装を選ぶのも楽しいだろうし。
さて、ダンスダンスっと。
ダンスホールではすでに何組か踊り出している。
ダンスは得意だ。主にフィオを練習相手に、たまーにクロードお兄様やハイド様にも相手役をしてもらって学んで来たけれど、誰と踊っても特に困ったことはない。
「ルイも得意よね、ダンス。」
社交界でチラッと見た程度だけれど上手だった記憶がある。流石社交のプロ。
「まあね、君を完璧にエスコートして見せるよ。…自信がないならしがみついても構わないけど?」
「そんなに下手じゃないわ!」
何なら上手い方よ!
刺繍とかダンスとか…令嬢の嗜みに分類されるものは軒並みお母様に仕込まれてきた。
お母様は社交界で恥をかかないように、誰かに侮られないように、素敵な殿方に見初められるように、と口癖のようにおっしゃっていた。当時はピンと来なかったけれど、今にして思えばあれは愛情だったんでしょうね。
「アリシア?」
ムキになっていた私が急に静かになったからかルイが不思議そうに顔を覗き込む。
いけない、感傷に浸ってる場合じゃないわ。
演奏されている音楽は先生の世界の名曲…らしい。ベートーベンとかバッハとかモーツァルトとか、有名な誰かの曲であることは確かなのだそう。
その記憶がなければ私は作曲者の名前を知ることも知ろうと思うこともなかったのだろう。
腰に手を添えられたままルイと向かい合って滑るようにホールへと足を進める。
よく聞く曲、ステップも序盤だからか簡単なもの、人前で踊るのが久しぶりだろうと特に緊張するようなレベルではない。
やっぱりルイも上手だし、まるで危なげがないわ。
「上手いね。」
「あなたもね。流石。」
移動の進行方向も完璧。私はちょっと反らないといけないから周りは見えづらいのよね。
ふと目が合ったとき、ルイはニコリと笑った。いや、私の感覚的にはニヤリと、というのが正しい。
「じゃあちょっと見せつけてやろうか。」
そう言うやいなやルイは私を離した。私が少し離れて回転しまた位置を戻すと引き寄せる。急だったけれどこれは簡単な方ね。
「力を抜いて。」
簡単とはいえ一つ大技をこなしたと落ち着いたのも束の間、ルイの言葉に頷くより早く私を抱え上げた。リフトの一種だと分かったけれど、難しい動作の一つのはずなんだからもう少し間をくれない?
いえ、対応はできるのですけれど一言相談ってものがあるでしょ。私だってただ抱えられてりゃいいってもんじゃないのよ?
何度か回転して足が地面につくとまた最初の体制に戻る。
「一言相談してよ!」
「ごめんね。君なら大丈夫だと思って。」
微塵も謝罪する気なさそうにルイは笑う。
全くもう!…いや、まあいいか、なんとかなったし。
「それにしても意外と力あるのね。」
ルイは私と同じでまだ14歳だし、男性の体格の成熟度で言うなら抱え上げるのは少し難しいと思う。ましてルイは細身で若干小柄だし、ただでさえ重いドレスは流行りがAラインだから割り増しで重い。
「舐めてもらっちゃ困るな。あれくらいできないと満足しない相手もいたからね。」
苦労が垣間見えるわ。
「見なよアリシア。視線が変わった。」
促されるまま視線を巡らせると、確かに周囲の雰囲気が変わっている。
悪い意味ではなく注目が集まっているというか、どこか感心したような目線だ。
「君はダンスが上手い。でも僕がギリギリ把握しているくらいの知名度だ。もっと見せつけて認めさせないとダメだよ。目に見える特技は貴重なんだから。」
「そう、かしら。」
「ひけらかすんじゃない。自分を上に見せるんだ。人は上に見てる相手を警戒するけど、上に見てる相手に優しくされると一気に好意を持つ。上手く利用しないとダメだよ。」
なるほど、いいことを聞いたわ。
確かに上にいる人間って下の人のことを虐げる力があるものね。階級制度が強いこの世界では尚更。
それが良い意味で裏切られるとすごく優しい人間に見えるってことか。
「ハイド殿とのダンスも。この会場で1番注目を浴びてるのはメイシオ公爵家だ。君は彼の隣に立てるくらいの人間なんだって示してきなよ。」
「ええ。教えてくれてありがとう。」
ハイド様は完璧な貴公子だと言われている。家柄、地位、人当たり、学業、作法、ダンス…どれをとっても最高峰。
もちろん注目は集まるし、隣に立てば値踏みされる。でもルイの教え通りならチャンスだ。
一挙手一投足手を抜かないわ。突く隙もないくらい完璧に振る舞って私と言う小娘を認めさせて見せる。




