第三十八話 メイシオ公爵家
たっぷり1日休ませてもらったし、体調はすこぶるいい。
今日のパーティーで踊り続けろと言われてもできてしまいそう。
ただ、少し憂鬱なことがあるだけだ。
今日のパーティーはペロー伯爵の主催なのだが、ペロー伯爵家は元々メイシオ公爵家の分家でおそらく彼らも出席するだろうと思われる。メイシオ公爵家は四大家の一つで、その次男のセイヨン・メイシオは攻略対象者の1人だ。
メイシオ公爵夫人、つまりセイヨンの母君は私の母と仲が良く、母の生前はわざわざ山を越えて遊びに来るくらいだったので彼女や息子2人とは私も何度か顔を合わせたことがある。
今日のパーティーは正直付き合いという側面が大きくて、クーデターの回避に役立ちそうな目的があるわけじゃない。
とはいえメイシオ公爵と夫人は私の両親が亡くなったときにとても心配して何通もお手紙をくださったからきちんとその分の礼は尽くしたいし、ルイと婚約したことを広めるいい機会だとも思う。
だから行くことは嫌じゃない。ただ、ちょっと会いたくないやつがいるだけ。
「なんだか複雑な顔してるね。それはどういう顔?」
馬車に同乗するルイが興味津々といった様にジッと見つめてきた。
形容し難い顔をしてるならあまり見ないで欲しいのだけれど。
「嫌なことでもあるの?」
「ちょっとね。でも大丈夫よ。大したことじゃないから。」
そう、大したことじゃない。嫌いだ嫌いだと言ってもせいぜい一度挨拶するくらいの関わりで済むだろうし、そもそもあいつが出席しない可能性すらある。
「嫌いな人でもいるの?」
「…なんでもお見通しなのね。」
「いや?僕だって会いたくないやつは沢山いるからさ。部屋を出る前に鏡を見るとそういう顔になる。」
それを取り繕っているのがいつもの笑顔なんでしょうね。別に同情させるために言ったんじゃないでしょうからわざわざ触れないけれど。
「教えてくれたら僕だけで挨拶してくるよ。構わないだろ?婚約者になったんだから。」
「そうだけど…平気よ。避けられるものでもないし。」
普通にしていれば酷いことを言ってくるわけじゃないのだ。いや、私は嫌なことを言われて嫌いになったんだけれど。
兎にも角にもこの先を含めて一生避けられる相手じゃない。
それに嫌いだからと言っていちいち過剰反応もしていられないだろう。
「メイシオ公爵家とは仲がいいんだろう?ハイド殿やセイヨン殿とも幼馴染だって聞いたけど。」
「幼馴染と言えば幼馴染ね。そう頻繁に会っていたわけでもないし特別仲がいいわけでもないけれど。」
ハイド殿というのはメイシオ公爵家の長男のことだ。セイヨンの3つ上で、私たちの4つ上にあたる。確かもう学園は卒業しているはずだけれど、ずば抜けて成績が良かったとか。
ハイド様は元々優秀な方だから別に不思議はないけれど。
「そっか。」
意外そうにするか、なんとも思わないかと思ったルイだったけれど、今の相槌はどこかホッとしたように見えた。
「…私が取られるとか思った?」
自意識過剰かしら。でもそうとしか思えなかったのよね。別に2人とも危険人物とかじゃないから。
ルイはキュッと口を閉じて目を瞬かせた。
それはどういう顔?見当違いすぎてびっくりした顔?
「ごめんなさい、違った?」
「…合ってるよ。」
ルイは恥ずかしそうに目を逸らした。心なしか顔が赤くなっているような気がする。照れたにしては微かな表情の差異だけれど。
というかもしかして顔色まで制御できるの?どこの女優かしら。
「他に友達がいるからってルイのことをほったらかしたりしないけれど。」
「分かってるよ。そもそも君は元々リリーシャ嬢とか…他にも友達がいるわけだし。」
社交界の都合もあるし、それこそ避けられるものじゃないってことよね。まあルイから見て友人だと思う人は多分正真正銘好きでそばにいる人たちだと思うけれど。
どうもルイは独占欲が強いというか…根本的なところで自己肯定感が低いというか…他に仲がいい人ができると自分は捨てられると思っていそうな素振りがある。
でもこれは言葉で伝え続けても限界があるか。そんなことないって行動で表さないとね。
ふと、リリーシャと聞いて思い出した。
そう言えばこの間のパーティーでセイヨンが気になっていると言ってなかっただろうか。
「ねえ、リリーシャとセイヨンがどうなったか知らない?」
急に変わった話題に嫌な顔ひとつせずルイは口を開いた。
「詳しくは知らないけど、セイヨン殿が一言二言話した後どっか行ったってことは聞いてる。」
詳しく知らないなんて言って、それが全部じゃない。
それにしてもセイヨンが後から手紙を送ったり人伝で何か伝えてフォローするとは考え難い。
どうやらうまくいかなかったみたいだ。
リリーシャが気にしてなければいいけれど。
「アイツ気難しいのよ。こだわり強いし。誰が話しかけても一緒だから特別リリーシャが何かしたってわけじゃないと思うけどね。」
ルイなら当然そのくらい分かっていそうだけれどなぜか小言が漏れてしまう。
分かってる。これは私がセイヨンに思うところがあるからつい溢してしまうだけだ。
「意外と真っ当に幼馴染してるね。」
「そう?別にチクチク言うのが幼馴染ってわけでもないと思うけれど。」
「それだけ君がセイヨン殿のことを知ってるんだって意味だよ。まあ嫌いなら嫌いで僕は構わないけど。」
セイヨン殿とはそのうち会わなくなりそうだし、とルイは続けた。
セイヨンは社交界嫌いで有名で、ハイド様が後を継ぐのがほぼ確定しているのもあってご両親も自由にさせている。
学園を卒業したら本当に貴族社会とは無縁になるかもね。
「アリシア様お久しぶりねぇ。聞いたわ、トリオロスとかいう男のせいで大変だったんですって?」
久しぶりにお会いしたメイシオ公爵夫人は相変わらず親しげに話しかけてくださった。元から友人の娘として可愛がられていた自覚はあるけれど、お母様達が亡くなってからより気を配ってもらっている。
「それに遭難したって…もう、気が気じゃなかったわ。アンナに続いてあなたまで遠くにいっちゃうんじゃないかって。」
それにしても口を挟む隙がない。こちらを気にかけてくださって悪い人じゃないんだけれど、マシンガントークは健在ね。
「夫人、お久しぶりです。」
「あら、ルイ様。そう言えば今日のエスコートはあなたなのね。いつの間にアリシア様と仲良くなられたの?」
相槌以外をする余裕がない私だったけれど、うまくタイミングをはかってルイが話を進めてくれた。
「一緒に遭難したことがきっかけで婚約しました。今は彼女の婚約者です。」
「あら!まあまあまあまあ!」
アピールするようにルイが私の肩を抱き寄せると、夫人は興奮したように眉を跳ね上げて目も見開いた。今にもバシバシと私の肩を叩きそうな勢いだ。
「ルイ様ならアリシア様を任せても安心ね!それにしても命の危機を乗り越えて結ばれるなんてロマンチックだわあ。ああでも、あなたがハイドと結婚してくれたらいいのにって思っていたのよ?そうしたら本当に娘になってくれるじゃない。息子もいいんですけれどね、娘に憧れてたのよ。ドレスも一緒に選びたかったし、婚約者の愚痴も聞いてあげたかったし…」
止まらないわ。夫人、フルスロットル。
話題の転換がすごい。よくそんなに頭も口も回るものだと嫌味でなく本気で感心してしまう。
「夫人、そこまでにしてください。あまりアリシアと他の男との関係を想像させられると妬けてしまうので。」
…あら、まあ。
さっきの夫人じゃないけれど、思わず感嘆句が漏れてしまった。
すごいわ。まさか14歳からこんな甘い言葉が飛び出してくるなんて。
しかも角が立たないように上手く夫人を鎮めてしまった。それに周りで聞き耳を立てていた人たちもこれで上手く望んだ方向に動いてくれるだろう。
「まあ…。」
夫人もびっくりして落ち着いたみたいだし。
「そういうことですので、一旦失礼いたします。またお会いしましょう。今度はお茶会の招待でもさせてください。」
「ええ。ごめんなさいね、2人とも。若い人たちの恋をお邪魔しちゃったみたい。」
夫人はどこか生暖かいような視線で見送ってくださった。ううん、会話が途切れないのも困るけれどああいう顔をされるとそれはそれでむず痒いわね。
何はともあれ角が立たず離れられてよかった。
「ありがとうルイ。助かったわ。」
「ああいうのが僕の十八番だからね。好きなだけ頼ってよ。」
十八番でも好きじゃないでしょうに。
でも助かったわ。夫人、色々気にかけてくださってお世話になってるのは間違い無いんだけれど話を切り上げるタイミングが難しいから。
それに彼女が知ったってことはルイと私の婚約も手っ取り早く広まりそうでよかったわ。
「この後はハイド殿とセイヨン殿に会いに行くってことでいいんだろ?」
「…まあそういうことになるわね。」
メイシオ公爵と主催のペロー伯爵には挨拶したしあの2人には会わないとね。そんなに大きくないパーティーだからあえて避けたら分かってしまうでしょうし。
噂をすれば影、といえばいいのかご令嬢方が誰かのところに集まっている。多分中心にいるのはハイド様ね。
招待客の一覧を見たけれどこんな風に令嬢が集まりそうなのはハイド様とセイヨンとルイの誰かだろうし、セイヨンはもっと遠巻きに見られてるから分かりやすい。
私たちの姿を見て集まっていた令嬢たちは道を開けてくれた。すごい、モーセみたい。
姿が見えたハイド様は相変わらず…婚約者がいる身でこう形容するのは良くないかもしれないけれど、精悍な方だった。あと姿勢がいい。
令嬢方の動きに釣られてこっちを見て、私達に気づいてくれた。
「アリシア嬢、久しぶりだな。ルイ殿も。」
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「ああ。アリシア嬢は?遭難したと聞いて心配していたんだが。」
「おかげさまでピンピンしておりますわ。」「そうか、ならよかった。テオドールの具合はどうだ?」
「最近は快方に向かっております。来年はきっと王都でお会いできますよ。」
そうか、とハイド様は目元を緩めた。この方は昔から私達兄弟を気にかけてくれているし、会う度テオのことも話題に出して様子を伺ってくださるとっても良い方なのだ。
幼馴染だからと言って〜なんてルイには言ったけれど、ハイド様とは仲が良いようだと思う。
そういえば、ルイと婚約したことをまだ伝えてなかったわね。
「もうお耳に入っているかもしれませんが、ルイ・ライオ侯爵子息と婚約いたしました。今後は婚約者共々よろしくお願いいたします。」
ルイの腕を軽く引き寄せてそう告げるとハイド様は少しだけ眉を上げた。どうやらご存知なかったらしい。
確かに2人で来た時にちょっと不思議そうな顔をしてたものね。
「ご無沙汰してますハイド殿。急な報告となりましたがあなたの幼馴染と婚約させてもらいました。ぜひ温かく見守っていただきたい。」
「…すまない、少し驚いた。おめでとう、アリシア嬢、ルイ殿。」
ハイド様は微笑んで祝福してくれた。クロードお兄様ほど気安い仲じゃないけれどこの方もある意味兄のような方だものね、こうして婚約を祝福されるとなんだか感慨深い。
「きっかけはやはり遭難したことか?」
「ええ。ルイがいてくれたおかげで随分勇気付けられました。」
「僕の方こそアリシアのおかげで色々と奮い立たせられました。」
「大変だったんだろうが素晴らしい話だ。」
なんだろう。
ハイド様はいつも通りといえばいつも通りなのだけれど、どことなく気がそぞろになっているような気がする。
体調が悪いなら長居するのも悪いわ。
多分ルイも気づいているから必要なら上手くフォローしてくれるでしょ。ちょっと早いけれど離れましょう。
「そろそろセイヨンにも挨拶してこようと思います。ハイド様もまたお会いする機会があると思いますが、今日のところは失礼します。」
「ああ、もう行くのか。」
「はい。また近いうちにお会いするでしょうけれど。」
やはり引き止められることもなく私たちの足は人混みの外側へ向いた。
体調が悪いならハイド様はきっと上手く休めるでしょうけれど、少し心配ね。
そう思って去り際にチラリと視線を戻すと、ハイド様は近くにいた女性の手を取って既に歩き出していた。
珍しい。あの方が特定の女性に近づくなんて。
「もしかして恋人かしら。紹介してくださればよかったのに。」
「いや…多分違うと思うけど。」
ルイは心なしか同情の滲んだ瞳で首を振った。
じゃあ何?友人?だとしたらルイのその顔は何?
けれどどれだけ私が尋ねてもルイは心配しなくて良いとだけ繰り返した。
「セイヨンはあそこね。」
ハイド様のことは少し気になるけれど切り替えていこう。
相変わらず分かりやすいことにセイヨンの周りには女性陣が遠巻きに陣取っている。
気が進まないけれど行こうかと足を踏み出しかけた時ルイの視線が別のところに移っていると気づいた。
視線の先にはペロー伯爵とロング子爵夫妻がいる。ルイの話によるとペロー伯爵とロング子爵夫人は不倫中とのことだから事情を知っている私たちから見れば修羅場ということになる。
私としてはスルーして良いど思うのだけれどルイは違うらしい。
「行ってくる?」
「…悪いね。いつか使える情報かもしれない。」
もう職業病ね。まあ無理のない範囲で情報収集を頼んでいるのは私だからここでとやかく言うのは傲慢だと思うけれど。
「少し待っててくれればセイヨンと話す前に戻ってくるけど。」
「子供じゃないんだから大丈夫よ。ルイの方こそせっかくのパーティーなのに色々気にさせてごめんなさいね。」
ルイは心配そうな眼差しで首を振った。
どうやらセイヨンに思うところがあるっていうのはバッチリバレてるわね。
それでもペロー伯爵達の方へ消えていったルイの背中を見送って、私もセイヨンを囲む集団に近づいた。
ハイド様の時と同じように周囲の女性達は分かれてくれる。
そして少し進んだ時、1年ぶりにセイヨンの顔が見えた。
急に動いた人の壁に関心が向いたのか、こちらに視線を向いたセイヨンとは残念ながらバッチリ目が合ってしまった。
うげ、と顔に出さなかったのは我ながら偉い。
そう、私はセイヨンが嫌いだった。




