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第三十三話 動かす




 一体何を言っているんだろう、この方は。

 信じられない気持ちになって、食い入るように殿下を見てしまった私に、殿下は念を押すようにもう一度、即位してからと告げた。

「お考え直しください。それでは間に合いません。」

 一度冷静になろう。殿下は聡明なお方だ。きっと私には思いもよらないお考えがあってこう言っているのだろう。

 けれど、どれだけ高尚なお考えがあろうとこの件に関しては速度に優るものはないと思う。

「これは内密の話ですが…私は城下の民たちの暮らしを見て参りました。罪のない子供たちが痩せ細り、時には暴力を振るわれる光景を目にしました。」

 殿下の瞳が伏せられた。まるで私の目を見られないとでも言うかのように。

 目を合わせたら民達の苦しみまで共有してしまいそうな避け方だと思った。そうでなければ、全力で取り組めない自分を責めるような。

 これで分かった。やっぱりこの方は市井の民達を見捨てられる人間ではない。

 でもそれならどうして躊躇っているのかしら。

「暴力を振るっていた人間もおそらく元々貧困層の子供だったのだと思います。教育も受けられず職につくことができないから犯罪をするしかなくなるのです。ですから子供のうちから職業教育を…。」

「そうだな。あなたは正しい。」

 私の目を見ないまま殿下は鷹揚に頷く。

 私の話を聞いていないわけでも、納得していないわけでもない。ならばなぜ頷いてくれないの?

「納得してくださるのならあなたのご協力も得たいのですが。」

「それは…できない。」

 殿下の組んだ手に力がこもった。白い手袋にしわが寄る。

 きっとこの人は葛藤しているのだ。

「どうしてですか?」

「貧困層のために金を使いたがらない人間がこの国のトップには大勢いるんだ。」

「そんなもの無視すればいいでしょう。」

「そんなことをすれば周りからの目線が…。」

 殿下は絞り出すようにつぶやいた。こんな静かな部屋でなければ聞こえないような小さな声だった。

 私に聞かせたくなかったのかもしれない。

 弱気な言葉だ。言葉を選ばなければ情けないと言える。

 正直色々言いたいことはある言葉だったけれど、一旦抑えなければいけないわ。


「では、このお話はなかったと言うことで。」

 冷たく言い放てば、殿下は弾かれたように視線を上げた。

 自分から断っておいて見放されると縋りたくなる。

 ルイに聞いていた通りの殿下の行動パターンだ。

 私は殿下と話す前に、ルイから彼の行動の予測を色々聞いておいたのだ。

 実のところ、ここで引き下がるつもりは全くない。押してダメなら引いてみろ、じゃないけれど一旦こちらが殿下への興味をなくしたように見せることで殿下に惜しむ気持ちを芽生えさせよう、というのが私たちの作戦だった。

「待ってくれ!」

 案の定食い付いてきたわ。

 私は構わず踵を返すフリをする。

「もう少し話そう。」

 グラついている。今度は押せばいい。あと一歩踏み込めば、殿下は私の意思に合わせて動いてくれるはず。

 …動いてくれるはず、なのだけれど。

 最後のひと押しをしない私に視界の端でルイが怪訝そうな顔をした。

 けれど、一度俯瞰で見たからかしら、思っていたよりも殿下の顔色が悪いことに気がついた。

 もう少し。

 あと少しのアクションで殿下は私の思うように動いてくれる。

 私の目的につながる。

 けれど━━━



 でも、それでいいの?

 聡明で、優秀で、民のことを慮る人を私がコントロールしていいの?

 このまま、見限られると言う不安感で殿下を手中に収めれば、スムーズには進むだろう。頭が回らなくなるわけでもないから大きくパフォーマンスが下がることもないだろう。

 目的には多分、大した影響がない。

 けれど殿下を、本来民のために奔走するはずのこの人を、見限られることを恐れて崖っぷちで足掻く人間にしていいのだろうか。

 答えはすぐに出た。

 ううん、考えるまでもないことだった。

 ダメに決まってるわ、そんなの。

 一度扉の方へ向いた足先を、殿下の方へと戻した。


「殿下。私は今、あなたを情けない人だと思いました。」

 ああもう!なにやってるんだろう私。

 せっかくルイがお膳立てしてくれたのにわざわざ安全なルートから外れるような真似をして、得意でもない人を導くような真似をしようとして。

 でも、頼りになるわけじゃない私の勘が、ここで殿下を意のままに操るべきじゃないと告げている。

 まあもう口に出してしまいましたから。

 引き返せないなら突き進んで正解にしてやる。

「…そうだな。私は確かに情けない人間だ。」

 殿下は怒りもせず私の言葉に頷いた。

「はい。民が飢えて明日の生活もままならず治安が悪化し暴力に怯えて暮らしている。そんな生活がすぐそこに広がっています。それを怯えていると言う理由で見ないフリをする殿下は情けない。」

 けれど、私の知る原作の殿下はこんな人ではなかったはずだ。

 恐れず怯まず、貴族達の勢力争いや権利関係に踏み込むことを躊躇わず民のために尽くした人だ。

 だからどうして殿下は変わってしまったのか知らないと。

「殿下。私は1秒も惜しい。今すぐ現状を変えるために動きたいのです。」

 屈んだ私と殿下の視線が交わった。

「…そうだな。あなたはそういう人なんだ。」

 この人が何に怯えていて、どうしたら私と同じ方向を向いてくれるのか私は知らないといけない。

 例え、少し踏み込んだとしても。


「殿下、私はこの国で近いうちにクーデターが起こると思っています。」

 この人が自身を脅かすかもしれない暴力に警戒しているのなら、この言葉で対応が変わるはずだ。

 視界の端でルイが諦めたように呆れた顔をしているのが見えた。ごめんなさい。

「クーデター…。」

 一度咀嚼するように殿下が瞳を閉じた。

 さて、この方はどう出るのかしら。

「…クーデターが起こるなら、そうなればいい。」

 耳を疑う、とはこのことを言うのだ。

 きっと目を見開いて絶句したのは私だけじゃない。ルイも同じだろう。

 なんて無茶苦茶なことを言うのかしら!

 私や他の貴族達からどう見えるかは怖がるくせにクーデターは構わないってどういうこと?!

「あなたはクーデターを止めたいのか?」

「それは、勿論。お分かりですか?クーデターが起こったら王侯貴族の身の安全は保障されないのですよ?」

 言外に正気かどうか確認させてもらう。

 大分失礼なことを言っている自覚はあるけれどそれだけ信じがたい言葉なのだ。


「だが、クーデターを止めたら民達の主張はどうなる?」

 殿下の瞳は今度こそ逸らされなかった。

 一分のたじろぎもなく私を見つめるその目は、力強かった。

「彼らは自分たちのためにクーデターを起こすんだ。ならば、それを黙認することが為政者の務めだと思わないか?」

 彼が一瞬で辿り着いた答えは、私が一度迷っていたことだった。

 クーデターは突き詰めれば民の主張だ。私の動きはそれを押さえつけることにならないのか。そもそも先生の世界では国民が政治を行っているというのだから、特権階級は全て廃止して国民に政治を行う権利を渡すべきなのではないか。

 もしかしたらその方が健全な国の運営体制なのかもしれない。そこに気づいた殿下はやっぱり根本が変わっていない。

 けれど、それで納得するなら私はここに来てなんかいないわ。

 もう答えは出ている。


「そのための土台すら、この国にはありません。」

 立場が弱くて、人々が何に困っているかが分かるからと言って政治を行うことができるわけじゃない。

 もしかしたら生まれ持って政治家に向いている人はいるかもしれないけれど、その人が発掘される保証もない。

 最低限政治を行うことができる基準というものがあるし、もし選挙という仕組みを取り入れても字すら読めない多くの市民はきっと候補者の主張を知ることもできなければ投票用紙に名前を書くこともできない。

 先生の知識でも、革命の後混乱して結局上手くはいかなかった事例をたくさん見た。

「この国はまだ大半の市民が教育を受けられていません。クーデターが起きて政治が市民のものになったとしても動かすのはある程度裕福で教育を受けてきた者達です。クーデターを起こした民だって、同じ国民なら全員を慈しむことができるというわけじゃありません。力の持つものが持たないものを冷遇する社会がすぐに訪れます。」

 つまり今と変わらない光景が広がるだろうということだ。

「だから私達が下地を整えるのです。可能な限り教育を施し、誰でも政治に参加できるよう育てる。それを行うことが私たちの使命なのです。政治の権利はその後考えればいい。」

 殿下のお考えは自己犠牲的だけれど立派だ。やっぱり根本的なところは変わっていないのだと分かった。

 けれど彼の主張は裏を返せばただ責務を放り投げただけ。

 クーデターで体制が変わったって良くなる保証はどこにもないのだから、民のために動く意思のある自分たちが導かなければならないのだと私は考える。

 つまり、誰かがやってくれるだろうと思ってはいけないということ。

 

 殿下は私の言葉に瞳を揺らして、俯いて小さな声で話し出した。

 気をつけなければ聞こえないほど小さな声だ。

「私は、怖いんだ。君の言う通り情けない人間だよ。」

「…その意味を伺ってもいいですか。」

「ああ。」

 殿下が語り出した言葉は、孤独だった。

 幼い頃から国の体制に疑問があったこと。国を良くするための案を何度も書いて父王に見せたけれど一度も採用されなかったこと。そして傀儡にならなそうな殿下に貴族達が危機感を募らせ、何度か暗殺未遂があったこと。

「それでも怖くはなかった。私を守る騎士達のことは信頼しているし、王家の責務だと思ったからだ。」

 こちらが口を挟む余裕もなく、続け様に殿下は言葉を発する。きっと彼の中で自己分析は済んでいるのだろう。

「私が怖いと思ったのは…。」

 殿下は言葉を止めた。

 視線は下を向いているけれど、きっと彼が見ているのは床ではなく、かつての記憶なのだろう。

 彼は黙ったまま動かない。その姿は、今日初めて会ったときに感じた覇気などまるでなかったかのように小さく見える。

 けれど、きっと今、殿下は葛藤していらっしゃるんでしょうね。

 思うに彼は、自分の弱さを探しているんじゃなくて認めるのに時間がかかっているのだと思う。

 自分の悪いところ、弱いところ、自信がないところ…そういうものに向き合うのは怖い。うっかりすれば自分の否定に繋がりかねないそれらは、誰でも恐れることだ。

「私は、期待されなくなるのが怖い。」

 少し待って呟いた彼は、美しい金髪をくしゃりと握って力無く項垂れた。

 


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