第三十話 一件落着
いつも本シリーズをご覧いただきありがとうございます!
タイトルのページに他の方の作品のおすすめ欄ができていて、私の作品もブックマークの重なりで他の方の作品を紹介できるようになったんだと感動しております
4月からは少し更新頻度が下がると思いますが最低でも1週間に一度は更新したいと考えております。
これからもよろしくお願いします。
(追記)週一更新は無理でしたごめんなさい
「きれいな跡ね。」
くっきりと赤い手形がついた左頬を見て思わず出た言葉に、お兄様は苦い顔をした。
けれどいつもなら笑うなとか、痛いとかそういうことを言うのに、今回は無言で頬を撫でるだけだ。流石に打たれたことには納得しているらしい。
「これから陛下の元へ参上してトリオロスの不正な爵位継承について直訴しようと思ってたんだが。」
「化粧していったら?だいぶ跡も目立たなくなるはずよ。少し痛いでしょうけれど。」
手紙一枚で別れを告げられたネア様の気持ちを思えばこれくらいのバチは当たって然るべきだと思う。バチというか報い?
「まあ部外者の私が言うことでもないのだけれど、ケジメはしっかりつけなさいよ。」
これくらいの苦言は予想していそうなものなのに、お兄様は更に顔をグシャリと歪めた。初めて見たかもしれないくらいの変顔だ。
眉間、顎、鼻の頭などなどシワを作ることができる顔の部位全部にシワを寄せている。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。」
お兄様はすぐいつもの表情に戻ったけれど、誤魔化されないわ。これは何か言いそうになって怒られるからやめたという顔だ。
「誤魔化してるのわかるわよ。」
「…だって怒るだろ?」
わざわざ飲み込んだってことは確実に私が怒るようなことを言おうとしてるんでしょうね。
とはいえ私はお兄様のお母様じゃないし、詮索して苦言を呈するのもちょっと踏み込みすぎな気はする。
まあせっかくいい感じに収まりそうだしここは黙っておこうかとティーカップを傾けたところ、お兄様はもの言いたげに口をもごもごとさせた。
言ったら怒られそうだけど言う気はあったからどうしようかな、という顔だ。面白いからこのまま待ちましょう。
「これは…友だちの話なんだが。」
「それは無理があるでしょ。」
結局話すことにしたらしいお兄様はふざけ切った導入で語り始めた。
「俺はネアと結婚する気はなかったんだ。」
「無いのに付き合ったの?最低。」
「ほら!そういうこと言うから言わなかったんだよ!」
貴族の恋愛というものは基本的に結婚が前提だ。そもそも結婚自体が家と家を繋ぐものであるという感覚が強いので家格があっていればそのまま結婚だし、そうでなければそもそも結婚が見込めないので付き合わないというのが一般的な考えになる。
「一応言っておくが、結婚を前提に、なんて思ってるのは社交界に慣れてないお子ちゃまか相当真面目な奴くらいだからな?遊び感覚で付き合ってるやつは相当いるから!」
「そうなの?」
私の考えなどお見通し、と言わんばかりにお兄様は弁明する。状況が状況なので怪しいけれど、実際遊び人だという噂が立っている人はいるし、遊び人になれるくらいには相手がいるのだろう。まさか多数派だとは思わなかったけれど。
「ああ。お前の婚約者様に聞いてみろよ。山ほど恋人関係の奴らを教えてくれるだろうさ。」
確かにルイはそういうの詳しそう、というか確実に知り尽くしているでしょうね。
なんだか複雑な気分だ。もっとこう、純愛みたいなのはないの?それともみんな心の中では純愛なのかしら。目的のために王太子殿下とヒロインさんをくっつけようとしている私が言えたことでもないけれど。
「でもゴルゴット侯爵家とトロント伯爵家がそんなに釣り合ってないとも思わないけれどね。」
流石にお兄様がなんの障壁もないのに結婚する気がなかったとは思わない。
とはいえ家格としては差がないわけじゃ無いけれど不可能というほどでは無いと思う。トロント領は栄えた場所だしね。今回の件で難しくなったとはいえ少なくとも付き合い始めたときにはそこまで気にするほどの差ではなかったはずだ。
もちろん聡明で長子のネア様を手元に留めておきたいという侯爵の希望もあるだろうから壁は多いだろうけれど。
「俺だって最初の頃はゆくゆくは結婚するかもな…なんて考えてたんだよ。」
「そうよね?よかった。」
そういえば私の家に来て夕食をとったとき、それも一番最初の彼らが命からがら逃げてきたとき、お兄様は酔っ払ってネア様の存在を仄めかしていた。
あのときは酔ってよく分からないことを言っているのかと思っていたけれど、あれはネア様のことを表していたのね。確かに綺麗なお嫁さんだわ。
「じゃあなんで途中で考えが変わったの?」
私の振った質問にお兄様は難しい顔をした。
躊躇っているのか、言葉にするのが難しいのか、判断がつかない。
少しして、お兄様は口を開いた。
「釣り合ってないのは家じゃない。」
「え?」
お兄様はその緑色の目を伏せて呟いた。私とお揃いの金髪がさらりと肩を滑り落ちる。
「釣り合ってないのは俺だ。」
私はお兄様のことを明るくて自信家な人だと思っていた。自慢しまくるとか自分を過大評価するとかそういう意味の自信家ではなく、自分の持っているものをちゃんと認識して誇ることができる人、という意味だ。
そのお兄様がまさか自分を低く見なす日が来るとは思わなかった。
どういう風の吹き回しかしら。
グッと距離を詰めて何か悪いものでも食べたんじゃないかしらと訝しげに覗き込む私を軽く笑ってお兄様は続けた。
「別に鬱になったとかじゃない。心配するな。」
「心配もするわよ。どうしたの?」
「…俺、策略に負けて自分の領地を追い出されたろ?」
背景を語り始めるお兄様に躊躇いつつも頷く。卑怯な手だったけれど策略に負けた、といえばまあそうかもしれない。
「あれくらいのことに足元掬われるようなやつが貴族社会でネアを守っていけるのか、いや、そもそも隣に立てるのかって思っただけだ。」
驚いた。まさかこの件がお兄様の失敗体験として相当に自尊心を削っていたとは。
なにかフォローを入れるべきかしら。でもこれってお兄様のご両親が亡くなった直後の話だし、そういう方向だとちょっと傷の舐め合いみたいになってしまってよくないかしら。
黙った私をどう思ったのか分からないけれどお兄様は話を止めなかった。
「アイツに俺は相応しくないよ。」
そんなことない。少なくともこの程度のことで価値が損なわれるような人じゃないはずだ。
アンニュイな表情で黄昏るお兄様になんと言葉をかけようか迷っていると、雰囲気に似つかわしくないシュールな赤い跡が目に止まった。
もしかして、意外と深刻な話じゃなかったりする?
「ねえ、もしかしてその跡…。」
「ああ、実はこの話には続きがある。まあついさっきまでのことなんだが。」
私の指摘に打って変わって表情が明るくなったお兄様に私の気持ちも上向きになる。
ニヤリと楽しそうに笑ったお兄様はさっきまでの重たい語り口から一転して朗々と話し始めた。
「このビンタは今のを話してから食らったものだ。ネアからは一言『舐めるな』と言われた。」
流石だ。
その一言に尽きる。
ネア様はやっぱり素敵な人だし、2人はちゃんとお似合いの恋人達だ。
静かに拍手する私にお兄様もいつも通り自信に満ちた笑顔になって、ある頼みをした。
「次のパーティーで黄色の服を着てくるように言われてるんだ。仕立て屋を呼んでくれ。」
黄色、その意味を考えるまでもない。ネア様の瞳の色だ。
まだまだ障害は沢山あるでしょうけれど、なんとかするんでしょうね。これ以上私が杞憂するのは余計なお世話というもの。
人騒がせな恋愛騒動はようやく丸く治ったらしい。




