第二十八話 策
「…これは一体どういう用件ですかな?」
明らかに戸惑った顔をするゴルゴット侯爵に対して神妙な面持ちを作って対峙する私達。
この方と話すのも久しぶりね。
「突然ですが、お父様にお伝えしなくてはならないことがあります。」
口火を切ったのはネア様だ。彼女は一際鎮痛な面持ちで話し始めた。これから告げる事実への罪悪感を表すように。
「ルイ様とアリシア様が乗馬会中に行方不明になったのはお父様もご存知ですね?」
「ああ…お二人とも無事なようで何より。」
私とルイに視線をやりながらゴルゴット侯爵はいたわし気な顔をする。
「実は…」
ネア様が言い淀むように一度言葉を切った。ここからが本番だ。
「お二人の馬を射らせたのは私なんです。」
ネア様が緊張した面持ちで告げる。
何が飛び出してくるのかと身構えていた様子の侯爵は、それでも受け止めきれなかったという顔で放心した。
「ど、どういうことだ…?」
「まずクロード・トロントと私は恋人関係にあったのですが。」
「ああ、そうだったな。」
複雑そうな顔で頷くゴルゴット侯爵。知ってはいたらしい。
「少し前に別れていて。」
「そうだったのか。」
ゴルゴット侯爵のお顔が少し明るくなった。やっぱり娘に恋人ができるというのは父親からすると中々歓迎できることではないらしい。
ここに来て初めて侯爵の本心が垣間見えたが、ネア様は父君の表情の変化も気にせず続ける。
「私が振られたのですが未練があって、その後社交界でクロードとアリシア様が仲良くしている姿を見て嫉妬したのでアリシア様を殺そうとして乗っている馬を射らせました。」
「ま、待ちなさい!」
語られる怒涛のよろしくない情報に侯爵が立ち上がった。
顔を真っ赤にして、かと言って何を言えばいいのかも分からないという様子で立ち尽くしている。
そしてこちらが黙っていると、何事かをもごもごと呟き、その間に完全に飲み込んだようで今度は真っ青になって座り込んでしまった。
「それはつまり…殺しかけたということか?」
か細い声で侯爵は呟いた。
わ、私が考えたことなのに心が痛い。私も同じ状況になったら呆然としてしまうかも。
「本当に?」
「ええ。」
「実はそんなことはなかったということはなく?」
「それは無理があるのでは…。」
「お前がそんなことを言える立場か?!」
現実逃避する侯爵に戸惑うネア様とそのネア様に怒り出す侯爵。
「理解しているのか?!お前は四大家の2人を殺しかけたんだぞ?!どれほどの問題になると思っている!」
生きていて聞いたことがないかもしれないくらいの怒号に嘘とは言えネア様が怯む。
侯爵からしてみれば今まで何も心配していなかったはずの娘が暴走して挙句悪びれていないように見えるんですものね。当然だけれど。
まずい罪悪感で私の胃まで痛くなってきたわ。
トントンと、侯爵の注意が向いていないのをいいことにルイが私の手を軽く叩いた。多分、落ち着けという意味。
「ゴルゴット侯爵。」
ここに来て初めてルイが口を開いく。
被害者の言動に侯爵も神経を研ぎ澄ませたように見える。
「ネア嬢をそんなに怒らないでください。僕たちはこうして無事に戻ってきたし、アリシアとクロード殿の誤解も解けた。」
「ルイ様…。」
ルイの言葉に侯爵は少し希望を見出したような、明るい表情になった。まるで救いがあったというように。
そして固唾を飲んで次の言葉を待つ。
「でも、何のお咎めもなし、とは行きませんよね?」
ルイは声のトーンを変えずに現状を突きつけた。
けれど当然ここに来る理由が私達にはあって、告白して終わりではない。
「…何をお望みで?」
「アーノルド商会をゴルゴット領内で取引させないという書状にサインして欲しいんです。」
「アーノルド商会…。まさか…!」
そう。私の作戦はこれだ。
まずネア様に協力を要請する。
ネア様が私達の遭難事件の犯人として振る舞うことでゴルゴット伯爵にはお詫びをする必要が発生し、そこでアーノルド商会を脅す材料となるゴルゴット領での取引停止というカードを手に入れることができる。
もちろん実際には使わない。けれどアーノルド商会はそれで無力化できるだろうから連鎖的にトリオロスの盾もなくなるわけだ。
つまり陛下に直訴してトリオロスの爵位継承を止めることができる。
早い話詐欺だ。
「クロード殿がアリシア様の下にいるらしいということは私も聞いています。よもや、私の娘の好意を利用して私に要求を通そうとしているのではあるまい?」
トリオロスとアスラーン商会の関係までは知らないだろうけれど、アスラーン商会はトロント領の重要な稼ぎ頭だ。その名前を出せば警戒されるのも当然。
侯爵は私たちの企みを推測して少し空気が変わった。流石に年季と場数が違うというか、孤軍奮闘という立ち位置なのにそれを感じさせない圧がある。
「利用?要求?何をおっしゃっているのか分かりませんね。」
それに対してルイは全く怯んでいない。
そうだった。踏んできた場数と場そのものが測りきれない猛者がいるんだったわ。
私は口を挟めずにただ眺めていることしかできない。不甲斐ないわ。
「侯爵は何をおっしゃりたいんですか?」
「何を、とは。」
「もしかして僕たちがあなたを騙しているとでも?」
ルイは多分言質を取ろうとしているんだ。ここで侯爵がそうだと言えば、私達の主張が正しかったときに更なる要求をふっかけられることも考えられる。
実際はこれ以上要求したいこともないので侯爵が困ることもないのだけれど、そのリスクをチラつかせることで侯爵が肯定するのを避けようという考えでしょうね。
流石、プロは違うわ。
「そ、れは…。」
案の定同じ考えに至った侯爵が言葉に詰まった。
実際ネア様がしていないことを証明するのは難しい。射らせた、という指示があったかどうかなんてカメラもないこの世界で確認することは不可能だからだ。
そして要の実際に射った人はこれからルイが抑えに行く。既に騎士団は誰が射ったか知っているらしく、団長様にかい摘んだ事情を話して教えていただいた。
事情が分からなくて戸惑うでしょうけれどその方も罪を軽くできるというなら一も二もなく頷くでしょうね。
「アーノルド商会をどうするかは言えないけれど…この程度で済むうちにサインした方がいい。それともネア嬢の無実を証明する方法をお持ちで?」
「いや…。」
堂に入った交渉をするルイに侯爵がたじろぐ。多分、もう一押しだ。
「ならお分かりでしょう。ご安心を。そう悪いことにはならない。」
追い詰められた侯爵は観念したように項垂れながら頷いた。
「これで良し、と。」
書状をよく確認した私は一度眺めて侯爵に視線を戻した。
「それでは帰らせていただきます。お時間、ありがとうございました。」
「ああ。…本当に他の貴族には漏らさないんだろうな?」
侯爵が心配なさっているのは社交界でネア様の評判が悪くなることでしょうね。もちろんそんなことにはならないわ。
「ええ。ネア様には私もお世話になりました。今回の件は内々で終わらせましょう。」
どの口が偉そうに、と自分で思う。
けれどここでは最後まで被害者のアリシア・レンドだ。
逃げるように去って行く侯爵を見ながら神妙な顔を作り続けた。
「ネア様、ありがとうございました。それからごめんなさい。嫌な役割を押し付けてしまって。」
「頭は下げなくて結構。私が納得して引き受けた仕事だもの。それにアリシア様に言った嫌味の件もあるし…これでトントンでしょう。」
「…はい。」
ネア様は本当に気にしていないという顔だったので、私もそれ以上の言及をやめた。
これであとは帰るだけ、なのだけれどまあ私も一つお節介を焼いておこうと思う。
「ネア様、今日一日お兄様をお貸しします。」
「んなっ?!」
「…お礼のつもり?」
「いえ、身内としてケジメをつけさせるべきだと思いまして。」
分かりやすく動揺したお兄様を無視してネア様に差し出した。これくらいはしてもバチ当たらないでしょ。
「アリシアお前…!」
「言われなくても私がこう言ってる理由は分かるでしょう?私はルイと帰るから、ちゃんと送っていただいてね。」
お兄様は何とも形容し難い顔で私の方を向いていたけれど気にせず帰ることにする。
まあ、膝は震えてないから大丈夫でしょう。馬車へと踵を返しながら私は小さく笑った。




