第二十五話 糸口
「…今なんて言った?」
顔を上げたルイ様はまだ涙が頬に残っているけれど、一旦は落ち着いたらしい。
涙は引っ込んだみたいね。よかった。
「落ち着きましたか?結婚しようって言いました。」
「落ち着いたんじゃない、驚いたんだ!…え?今求婚したよね?」
いかにも混乱しています、という顔でルイ様は首を傾げる。うふふ、面白い。
「したわ。求婚。」
「なんで?」
「そうしたら守れるから。」
「…守る?」
「自分で言ってたじゃない。私と婚約すれば危ない目に遭わされなくなるって。」
「言った。」
まだ思考が追いついていないという顔で、私の言ったことを反復するルイ様。
こんなに驚くと思わなかったな。
「正確には婚約だけでいいの。私の婚約者になって、危ない役目から逃れればいい。代わりに、私のことも助けてください。」
私の婚約者という身分を盾に危ない役目から逃げて欲しい。そして私の協力者になって欲しい。
「助ける?」
「私はやっぱりクーデターを止めたい。そのためにはあなたの力も必要です。ギャングの巣窟とか危ないところには行かせないから!」
じっと手を握ったまま彼の返事を待つ。
ルイ様は私の言葉を咀嚼するように何度も瞬きと頷きを繰り返して、やっと口を開いた。
「いいよ。」
「本当?!」
「うん。ねえ、アリシアがするつもりなのは婚約だけ?」
「というと?」
「僕がそのまま結婚したいって言ったら結婚してくれるの。」
ルイ様は試すようにこちらを伺う。
「もちろん、責任は取ります。あなたが望むなら結婚だって。」
そんな不誠実な人間じゃないわ。ルイ様がそれまでにやりたいことを見つけて私から離れるっていうなら別だけど。
「責任を取るって、逆だろ。」
呆れを滲ませながらルイ様が吹き出した。いいじゃない、男女平等。これが令和の価値観よ。
「後悔させないように頑張りますから、よろしくね。」
「さっきから僕よりかっこよくない?」
よろしく、と続けたルイ様はなんだかスッキリした顔をしていた。
「あ、うさぎ。」
「そうでした!食べましょう。」
そういえば私達遭難してるのよね。普通に命の危機だわ。
ホープは私たちが話している間も我関せずモサモサと草を食べていた。たくましい。このまま野生に放しても生きていけそう。
「そういえばさ。」
うさぎの皮を剥ぎながらルイ様が話し出した。まだ声は掠れている。
「君、敬語しか喋れないわけじゃないよね。」
そういえばさっきは随分気を抜いた話し方をしてしまっていた。ルイ様も私のことを呼び捨てにしていたからトントンだと思うけれど。
「そうですね。」
「じゃあそのままにしてよ。呼び捨てにして。敬語も使わないで。」
「いいんですか?」
「うん。僕もアリシアって呼ぶから。婚約者になるんでしょ?」
「そうね。目的はお互いの利益のためだけど…友達みたいに、楽しくやりましょう。」
「うん、任せてよ。僕を選んでよかったって思わせてあげる。」
先程までの弱々しさはすっかりなくなって、ルイは自身気に笑った。
「手始めにトリオロスの件を解決しようか。」
「知ってたのね。」
「もちろん。アーノルド商会が掌握されてることも知ってるよ。」
うさぎを焼く間にルイと私は隣り合って話していた。流石に公式情報通なだけあって、どこから漏れたのか分からない情報も知っているらしい。私の秘密も知られていたらどうしようかしら。
「でも解決する気なかったからそれ以外は調べてないんだよね。アーノルド商会に潜り込んで弱みでも調べてこようか?」
気軽にすごいこと言う…。けれど私もこの2日間何も考えていなかったわけじゃない。
友達だからこそ、頼らなくて済むところは自分で解決したい。
「ネア様…ゴルゴット侯爵を掌握できればアーノルド商会を抑えられると思うのだけれど。私が、ネア様に嫌われてしまって。」
ネア様、昨日の乗馬会で話せないかと思っていたのだけれど、無理だった。今年会ってからの嫌われようを考えると話したところで、という問題かもしれないけれど。
「それ、どうしてか知ってる?」
「知らないわ。あなたは知ってるの?」
当事者の私が全く心当たりのない話を、ルイは当然という顔で頷いた。
え、本当に知ってるの?年単位で会ってないのに?
「クロード殿とネア嬢が付き合ってるからだよ。アリシアは今年クロード殿を連れ回してたんでしょ?だから嫉妬されてたんだ。」
嘘でしょ?!あの2人が?!
なんでもないという顔で彼は衝撃の事実を告げた。
私は飛び出さんばかりに目を見開いている自覚があるけれど、元に戻すことができない。
「今はどうしてるか知らないけど、2人が話してるのを見た人もいなかったみたいだから別れてたのかな。」
知ってる人は知ってるとルイ様は付け足した。
「クロード殿が家を離れたからネア嬢から振ったんだと思ってたけどそういうわけじゃないみたいだね。」
「お兄様が振ったんでしょうね。」
自分といても未来がないとか思ったんでしょうね。そういう人だから。
でもそういうことなら話は早い。
「ルイ、ちょっと協力して欲しいのだけれど━━━」
「水がなくなった。」
そう言いながらルイは空の水筒をひっくり返した。
「いっそ雨でも降ったらいいのかしら。」
空、とまでは行かないけれど、私の水もあと少ししかない。
うさぎのおかげで2人ともお腹はそんなに心配ないけれど、水分の不足が心配だ。
先生の知識によれば水なしで生きられるのは2日か3日程度らしい。そろそろ本格的に危なくなってきた。
「ちょっと無理をしてでも川を探そう。いいね?アリシア。」
「ええ。」
ホープも心配だ。私たちと違って草を食べているから多少は水分も取れているだろうけれど、馬がどれくらい水なしで生きられるのか分からない。
それにルイはさっき泣いていたからその分脱水症状が起きそうで心配。
「行こう。」
「あ、ちょっと待って。」
「アリシア?」
先程と同じようにホープに跨ってから、あることを思い出した。
「何か目印があると探しやすくなるらしいの。」
昔団長様に教えていただいたことだ。
私は髪につけていたリボンを解いて、手近な枝に結んだ。団長様に貰ったリボンだ。きっと私だと分かるはず。
「いいの?」
ルイが気遣わしげに聞いてきた。まさか、私の想いもバレてる?
「いいの。」
白いリボンなんて、汚れたらすぐ使えなくなってしまう。今まではリボンが汚れるなんてこと起き得なかったけれど、枝に巻いてしまったらそうはいかないでしょうね。
でもあの人からいただいたものを使うのはもうやめにするから。
いい機会だ。
「今日はここまでかな。」
薄暗くなってきた。夜は火を起こして動物避けをしないといけないから、動けるくらいの明るさで止まらないといけない。
おがくずを集めるのも枝を集めるのももう慣れたもので、何も言わずともお互い動き出した。
残る食料はクッキーとビスケットがわずかにという程度。またうさぎでも飛び出してこないかしら。
私達の仲は相当よくなったと思うけれど、さすがに疲れが溜まってお互い口数が少なくなり始めた。
結局水も見つからなかったし、もってあと2日だろう。
最後の食料と最後の水を分け合って一息ついた私たちはやっぱり何も話さない。
またここを発つ時に何か目印を残すとして、何がいいだろうか。もうハンカチもないし、リボンもない。私達だと分かるもので、ある程度時間の経過具合が分かる綺麗なもの…
もう私達の服は結構汚れてしまっているし、端を少し切るのも難しいだろうか。
最悪髪の毛とか?私の髪なら長いし多分分かるわよね。気は進まないけれど死ぬよりはマシ。
ぐるぐると、考える。
なんか疲れてると思考がまとまらない。今考えるべきってこれであってるのかしら。
そろそろ瞼も閉じそうな疲れの中で、何かが聞こえた。
動物じゃない。人の声。
同じように聞こえたらしいルイも身体を起こした。
顔を見合わせた私達は聞こえてきた方向を見る。
「人、だよね?」
「そうだと思う。」
可能性に賭けて、私もおーいと呼びかける。けれど私の声は木々の隙間に消え入るような声量しかない。
私の声、細すぎ…?言い訳すると令嬢は大声出さないのよ、あんまり。
「声出るかな。」
少し喉を調整したルイは私と同じように大声で呼びかけた。今度は聞こえそう!
「ここだ!」
ルイは重ねて呼びかける。
喉が限界に近いのか咳払いをする彼の背中をさすりながら耳を澄ませる。
だんだんと近づいてくる声に、居場所を気付かせられたのだと分かった。
「もうすぐ来るわ。」
声だけでなくガサゴソと木々をかき分ける音まで聞こえるようになって間もなく、暗闇から人が飛び出してきた。
「アリシア様!ルイ様!」
「団長様!」
誰よりも頼もしい人が来てくれた。彼だけでなく、他の騎士団の方もいるようで、「見つかった」という伝達の声が次々と聞こえてくる。
「よかった…!本当によかった!さあ、こちらへ。騎士団で保護いたします。夜通しになりますが、王都へ帰りましょう。」
本当に安心した様子の団長様がこちらに近づいて来る。
待って、それはやめて欲しいわ。今は!今だけは本当にやめて!
「アリシア様?」
ルイの後ろに回って背中にへばりついた私を団長様が不思議そうに見てきた。
「団長殿、それは僕もよくないと思う。」
「何かご無礼をしてしまったでしょうか…。」
察したルイが止めてくれたことで少し団長様が離れてくれた。ごめんなさい、流石にこのドロドロの格好で会うのはちょっと…。
憧れとかそういうのを置いておいても私の乙女心が許さないというか。
「でも観念しなよアリシア。僕はもう夜通し馬を走らせる体力は残ってないし、どちらにせよ誰かに相乗りするしかない。」
「うっ。」
へばりついた私を諭すためにルイが振り向いた。
「大丈夫だよ。騎士団はこれくらいのこと慣れてるだろうし。」
男の人同士だから軽く言えるのよ。
かと言って反論もできず、苦渋の顔をする私の頬を突きながらルイは楽しそうだ。
「そういえばアリシア様。こちらを。」
ルイ越しに団長様が何かを渡してきた。
私が巻いたリボンだ。苔か何かがついて少し汚れている。
「このリボンのおかげでお2人を見つけられました。ありがとうございました。」
「そんな。団長様が以前教えてくださったからです。むしろお礼を言うのは見つけていただいたこちらの方。」
「いえ、こちらの不手際のせいでお2人を大変な目に合わせてしまいました。本当に申し訳ありません。」
そう言いながら団長様は深々と頭を下げた。周りの騎士団の方々も。
「頭を上げてください!」
焦って屈む私と違ってルイは素知らぬ顔だ。もしかして怒ってたの?
「結果論になりますが2人とも助かりましたし、悪いことばかりでもなかったと言いますか。」
ルイと仲良くなれたし、クロードお兄様の件の解決口も見つかった。結果だけ見ればいいことばかりだ。
それに馬の暴走を止めるのが大変なのは当然だものね。
とにかく今は帰るのが先だと促した私にひとまずは納得してもらえたようで、騎士団の皆さんはそれぞれの馬に戻っていく。
「団長様、私達が乗っていた馬も連れて帰りたいのですが。」
「承知しました。部下に引かせましょう。」
ほっと胸を撫で下ろした私に団長様は続けた。
「リボンも新しいものを贈らせてください。以前贈ったものは汚れてしまいましたから。」
「あ、いただいたものを汚してしまってごめんなさい。でも、新しいものは不要です。」
「ですが…お詫びと思って贈らせていただけませんか?」
昨日までの私なら一も二もなく頷いただろう提案。だけれど、私はもう…
「僕が贈るよ。」
なんと言うべきか言い淀んだ私の代わりにルイが口を開いた。
「そのリボンには僕も世話になったからね。それに、僕には贈る資格がある。」
なんか意味深な言い方されてるわ。
でもルイに贈ってもらうのが1番角が立たないし、ここは甘えておこう。
団長様は多分3割も理解できていないと思うけれど、雰囲気に押されてか頷いてくださった。
「さあ、行きましょうか。」
結局私はルイの知り合いだと言う騎士様に相乗りさせてもらっている。
ルイの情報によると寡黙で鼻詰まりがち。素晴らしい。この状況において相乗り相手としてあまりにも優れている。
この世界に花粉症ってあるのかしら。杉はあるしあってもおかしくない。今は春先だしもしかしたらこの方も花粉症なのかもしれない。
どうやら街道には馬車を用意してくれているらしく、そこまで着いてしまえば中で眠っていていいらしい。
つまりあと少しの辛抱、ではあるけれど安心と疲労で眠ってしまいそうだ。
「あの。」
「はい?」
寡黙という話に違わず先ほどから無口だった騎士様が口を開いた。寝て落馬しそうだから気を回してくれているのかも。
「キーア殿、という侍女の方の主君、であっていますか?」
「ええ。そうですけれど。」
どうやらキーアを知っているらしい。どういうつながりかしら。
「いえ、その…。」
話題を振ってきた側だというのに彼は言い淀んでいる。
「どうしたんですか?」
「…怒りませんか?」
「え?はい。」
「侍女殿にも。」
「はい。」
気になって頷いたけれど嫌な予感がする。
「実は団長様と一緒にレンド邸に伺ったのですが…。」
「はい。」
やはり言いづらそうな彼の言葉を、固唾を呑んで待つ。
そして彼は衝撃的な事実を私に告げた。
「侍女殿が団長に詰め寄っていらして、あの気迫はどこかでその類の経験を積んだ方ではないかと思って。」
ああ、喉がカラカラで本当によかったと思う。
掠れた絶叫のおかげで他の人に聞かれることはなかった。




