第十六話 社交界開幕
素晴らしい舞台と貴族の悪い面を同時に味わった私は、その後味の悪さを噛み締めつつ屋敷に戻ってきた。
そして今、コルセットをギリギリと締められている。
今夜が社交界の始まりとなる王家主催のパーティーなのだ。
先程会ったベリメラ様やネア様だけでなく、王太子殿下をはじめとした攻略対象である四大家の子息達など、この国の貴族であれば大抵が参加するこの国で最も大きなパーティーだ。私も目的達成のために気を引き締めなければ。
それにしてもコルセットはどうしてこんなに締めなくてはいけないのかしら。気を引き締めるついでにウエストが締められすぎてきっと私の内臓は一部の隙間もなく押し込められているに違いない。
普段はコルセットを身に付けずゆったりとしたドレスを身に纏っているのが仇になったわ。
それでも先生の世界の女性達ほどは締めなくていいので僥倖と言える。なんせ彼女達は骨をポキポキ折りながら腰回りを細くしていたと言うのだから恐ろしい。それに比べたらなんてことないわ。
お祖母様が用意してくださったドレスは私の瞳の色に合わせて淡い紫を基調にし、流行どおりレースをあしらったAラインドレスだ。
ドレスに散りばめられた宝石や、適度に寄せられたギャザーなど、どれをとっても流石のセンスだわ。
「お祖母様、素敵なドレスをありがとうございます。」
「気に入ってくれたみたいでよかったわあ。あら、そのブローチは…。」
「お誕生日にお二人からいただいたものです。どうですか?ドレスにぴったりだと思うのだけれど。」
この間キーアと一緒にアクセサリーを選んでいたときに見つけたイヤリングやネックレスを持ってきたのだけれど、それに加えて聞いていたドレスがいただいたブローチにとても似合いそうだったので一緒に持ってきたのだ。
ブローチに嵌っている濃い紫の大粒のアメジストは私の目の色そのもので、淡い紫のドレスに合っていると思う。ネックレスは小粒のダイヤモンドとピンクサファイアを組み合わせた可愛らしいデザインで、イヤリングは控えめにダイヤモンドとパールのシンプルなものを採用した。
「とっても素敵だわ!さあ、お祖父様達が待ってる。行きましょう、アリシア。」
「はい。」
部屋を出る寸前に鏡の前で立ち止まった。
鏡の中にいるのは着飾った私。
もう私は暖かく見守ってもらえるデビュタントの少女ではない。レンド伯爵家の当主代理として一挙手一投足が注目される立場になった。
頭の先から爪先までの動作、口角、視線の動き、全部、気を抜くな。
部屋の前には既に身支度を済ませたお祖父様とクロードお兄様がいた。
「よく似合っているなアリシア。社交界でもきっとお前が1番美しい。」
「そうでしょう?本当にすごく綺麗だわ。」
「ありがとうございます。ねえお祖父様、お祖母様もすごくお綺麗でしょう?私はお兄様に褒めてもらいますからお二人はお二人で。」
ナコウドオバサンのようなことを言ってその場を離脱する。
祖父母とは得てして孫を褒めちぎる生き物である。放っておくと服の裏地まで褒めかねない。こういう時は矛先をずらすに限るわ。
「よう。」
これからパーティーに行くとは思えない気軽さでお兄様が声をかけてくる。
「褒めてやろうか?」
「別にいいわよ。」
あれは抜け出すための口実だ。お兄様もそれが分からないわけではないだろう。
「そうつれないこと言うなよ。」
ニヤニヤしないで!年の近い身内に褒められると照れるの、分かるでしょ。
じっとりと睨んだ私の顔を面白そうに笑って、お兄様はふっと目元を緩めた。
「いい顔してるな。」
…だから褒めないでってば。
いい顔、崩れちゃうでしょ。
食べ物の匂いと香水の匂い。キラキラと光を反射するシャンデリアに流行を抑えながら趣向を凝らしたドレスの数々。貴族達の話し声、笑い声、楽団が奏でる音楽。
レースの手袋を纏った手をお兄様の腕が支えている。
予定の時刻を少し過ぎたとき、先ほどまでとは違うざわめきが起こった。
視線の先を辿ると、ある人々に集まる。
一際目立つ絢爛豪華な衣服を纏い、唯一王冠を被っている壮年の男性と、その横に付き添う女性。そしてその少し後ろに控える青年。
我が国の国王陛下と王妃陛下、そして王太子殿下のご登場である。
「皆、王都までの旅路、大義であった。」
話始めと同時に会話が止まり、静寂が訪れた。
「今宵ここに集いし高貴なる貴族達へ。我が王国を支える礎たる皆と、この佳き時を共に過ごせることを、嬉しく思う。長い歴史の中で、皆が示してきた忠誠と献身は、我が国の繁栄の証であり、その輝きは今宵の宴にも映し出されておる。今夜は、日々の務めを忘れて杯を交わそう。我が王国の繁栄を願ってここに開催を宣言する。」
貴族達の興奮でホールの温度が変わった。
率直な意見として、私は現国王陛下が施政の面で優秀だとは思わないのだけれど、やはり生まれながらに上に立つ人というのはそれ特有の雰囲気があると思う。場の空気を変えることにおいて、流石としか言いようがない。
「アリシア!」
「リリーシャ。久しぶりね。」
リリーシャは私の友人である。お母様同士が知り合いだったので一族ぐるみで貴族の中でも関わりが多い。緑色のドレスが軽やかでとっても似合ってるわ。
「あ、もう伯爵様って呼んだ方がいい?」
「やめて。私はただの代理よ。」
おちゃらけた様に笑うリリーシャを制した。狭いコミュニティの中の会話でも誰が聞き耳を立てているか分からない。テオの将来に差し障りのありそうなものは全て取り除いておく。
「紹介するわ。こちらはクロード・トロント。私の兄のような人よ。」
「初めまして。クロード・トロントだ。」
関係ない周りから軽くざわめきが起きた。
トロント家の継承権をめぐるアレソレはまあ流石に広まっているだろうけれど、本人のいるところで騒ぐのは下品だと思わないのだろうか。
「リリーシャ・ノリッジです。よろしくお願いいたします。」
一方で周囲を気にしない様子のリリーシャに少しお兄様の表情が緩まった気がする。よかった。
「アリシア。すごく綺麗。大人っぽくなったわね。」
「ありがとう。リリーシャもとっても素敵よ。そのドレス、よく似合ってる。」
褒め合いながら互いにくすくす笑い合う。世間話が始まったと思って野次馬達は去っていった。
「ねえ、アリシア。」
「なあに?」
「急で申し訳ないのだけれど、セイヨン様とお話ししたこと、ある?」
セイヨン。おそらくセイヨン・メイシオ。四大家の一つ、メイシオ公爵家の次男で、芸術を愛しそれ以外に興味を示さない変わり者にして、攻略対象の1人。けれど先生は攻略したことがなく、クーデターにどう関わるのかも分からないので接触の予定はない。
「メイシオ公爵家の方よね。一言二言くらいかしら。そんなに仲がいいわけではないわね。」
「そうなのね…ねえ、かっこいいと思わない?」
頬を染めた様子から察してはいたけれど、やっぱりそういうことか。
攻略対象になるだけあって、綺麗な顔立ちをしていることに否定の余地はない。
けれど、並の人間が御し切れる程度の変人度ではないと思う。
「リリーシャ、もしかして…」
あえて否定はしない。他人に恋心を摘まれるのはあまり良くないと思うから。
「違うの!ちょっとかっこいいなと思うだけで…」
「そうね。よく知らない内に判断するのはよくないわ。ちゃんと一度話してみたらどうかしら。」
話せば分かるわ。多分。少なくとも遠くから憧れを募らせるよりは建設的でしょう。
「は、話せるかしら。」
「リリーシャなら大丈夫よ。」
リリーシャは引っ込み思案ではない。初対面の人相手でも話しかける度胸があると思う。それでも不安そうなのは、多分セイヨンがご令嬢達に囲まれているからじゃないかしら。
「アリシアがそう言うなら…ねえ、何かアドバイスとかない?」
「そうね…違う生命体だと思ってみるとか…凪いだ心を持つとか…。」
「え?」
「いえ、なんでもないわ。先入観なしに話してみるべきよ。」
私がしても良いアドバイスになる自信は全くない。多分リリーシャがありのままで関わる方がいいと思う。
「いってらっしゃい。」
「…失敗したら慰めてね!」
はいはい。
「ついていかないのか?」
「友人と一緒に行ったらリリーシャが冷やかしみたいにならない?」
「そうか?」
セイヨンは多分そう考える。良くも悪くも芸術関連以外にドライな人間だ。いじらしい乙女心など汲んではくれないだろう。
「やあクロード!久しぶりだね。」
2人になったのも束の間、新たに声をかけてきたのは…どなた?
「デオン、久しぶりだな。」
デオン、デオン・ロークリー子爵令息ね。写真とかないから初対面だと誰が誰だか分からない。お兄様の様子からして親しいご友人なんでしょうね。
「お初お目にかかります。デオン・ロークリーと申します。クロードとは学園以来の友人でして。」
「初めまして。アリシア・レンドと申します。クロードお兄様がいつもお世話になっています。」
クロードお兄様、と発言した瞬間、デオン様はお兄様の方を見て少し笑った。お兄様は照れくさそうに目線を外していたけれど、良いご友人がいるようで何よりだわ。
「久しぶりに話そう。アリシア様もよろしければご一緒に。クロードの学生時代の話でもお聞かせしますよ。」
「まあ、楽しそう。」
「おいやめろ。」
「良いじゃないか。」
小突き合う2人。ふふ、楽しそう。本当に学園は良い思い出になってるみたい。
「あら、アリシア様じゃない!」
ああ、楽しい会話のお時間、とはいかなかったみたい。
私達の会話を遮る勢いで声をかけてきたのは先日散々な目に遭わされたベリメラ様だった。
「ベリメラ様。ごきげんよう。」
「ええ。ねえ、一緒にお話ししましょうよ。こちらで。」
残念ながら断れる相手ではない。
デオン様に軽く礼をしてベリメラ様について行こうとする私にお兄様も足を動かしたけれど、目で制す。
ベリメラ様はゲームでも現実でも自身が上に立つことに執着し、王家と自身の家以外を見下し、そして下とみなした人間に対して容赦がない。体裁を気にして優しく振る舞う人なら良いのだけれど、彼女は違う。本当に困った人という言葉が似合う。
家を追われたお兄様に何を言うか分からない。
「それじゃあ、またあとで。帰るときはロビーで会いましょう。」
さあ、本当に気を抜けない時間が始まった。




