第十五話 煌びやかな王都
数日馬車に揺られてやっと到着した王都は、やはり賑やかだった。
喋り声だけじゃなく、密集した人々が纏う服の色や、隙間なく並び立つ建物が目に飛び込んで騒々しい。
けれどそれも貴族の屋敷がある区域に向かえば収まる。
先程見た密集した城下とは異なり惜しげもなく土地を使って広い屋敷と庭を成立させている。
「やっと着いたな。」
クロードお兄様が首を回しながら呻くようにつぶやいた。道中あまり体を動かせなかったので私たち2人ともあちこちを痛めている。
お祖父様達が住む屋敷の庭は他の屋敷に比べても趣向の凝らし具合が素晴らしい。
お祖母様の趣味で季節を感じさせる花が沢山植えられていて、それらが乱雑にならないようにきちんと手入れされている。王都の屋敷は自宅ではないので社交シーズン以外は皆んな比較的手を抜きがちな中、庭の美しさなら随一なのではないだろうか。
長旅の疲れも癒える見事な鈴蘭の庭園に目を奪われた。
そうしてぼうっとしていると、馬車が止まった。
馬車の扉が開かれ新鮮な空気が吹き込んでくる。
一足先に降りたお兄様の手を借りて馬車を降りると、靴と石畳がぶつかって固い音がした。領地の土道とは全然違うわ。
領地とは何もかも違う景色に王都に来たのだと実感が湧く。
この屋敷を管理しているのはオリアスという老執事だ。彼は以前別の貴族に仕えていたのだけれど代替わりして剃りが合わなくなったことでツテを辿ってお祖父様達に仕えている。
「ようこそお越しくださいました。アリシア様、クロード様。旦那様達が首長くしてお待ちです。」
「オリアス。久しぶりね。相変わらず綺麗なお庭…あなたが管理してくれているのよね。いつもご苦労様。」
「恐縮にございます。」
オリアスが恭しく頭を下げた。どことなくフィオを思い出す。達人は動作が似るものなのかしら。
聞いていた通り、待ち侘びていたらしいお祖父様とお祖母様のお2人は、立ったままパーラーではなく広間で出迎えてくれた。
「アリシア!よく来たな。ああ、また一段と美人になって!」
「本当!あなたのお母様の若い頃にそっくりだわ。」
「お久しぶりです。お二人もお変わりないようで何よりです。」
「あら、大人っぽくなったわねえ。」
一年前会った時は喪中のようなものだったからこうして明るく会うのは久しぶりだ。
ひとしきり私の頬を触ったり髪を撫でたりして満足したお二人は近くで所在なさげに調度品を眺めるお兄様の方を向いた。
「クロード様も久しぶりねえ。聞いたわ、大変だったんですってね。」
「どうしてすぐ陛下に訴えなかったんだ?今からでも王城に遣いをやろうか?」
「お久しぶりです。…せっかくのお言葉ですが、今はアリシアのところで世話になるのが楽なので。そのうちどこかの令嬢と結婚してどこかの家にでも転がり込みますよ!」
お兄様は私の祖父母とも親戚だけれど遠すぎてあまり会ったことはないと言う。
お兄様は一瞬何か言いかけて、笑って、嘘をついた。
「どうして本当のことを言わなかったの?」
お兄様が陛下に訴えないのは自分が楽をしたいからじゃない。アーノルド商会を残して領地を守るためだ。なのにお祖父様達にそれを言わなかった。
「アーノルド商会がなくなるからって、何だって言われるだけだ。」
「そんなことないでしょう。商会がなくなったら領地の経済に打撃があることくらい分かるわよ。」
「打撃があったとして、それで?って思うのが貴族だよ。領民が困窮しようがなんだろうが今まで通り税を取ればいい。それで自分たちへのダメージはナシだ。」
お兄様の言葉はマイナスな方向に決めつけているようで、その実、残念だけれどその通りかもしれなかった。
お祖父様達は私達には優しいけれどそれは身内だからだ。
典型的な貴族というものはそもそも自分たち以外の人間のことを認識していない。まるで物語のサブキャラクターのように扱って、顔も知らない誰かの苦労を考えることはない。
それは悪なのかと言うとそうとも言い切れない。勿論平民からしてみれば悪人なのは確かなのだろうし、ゲームを作った先生の世界の技術者もそのつもりだろうけれど、そもそも情操教育の不足、と言ったらいいのだろうか。他の人の気持ちを考えなければならない必要性が薄い所為なのかもしれないが、会ったこともない誰かがどう苦しむのかに具体性がない。平民のことを全く見ていないから彼らがどれだけ苦しんでいるのか分からないし見ようともしない。
言い淀んだ私にお兄様が言葉を投げかける。
「おれの気持ちが分かるのはお前くらいだよ、アリシア。」
否定か、慰めか、なんでもいいから何か言いたかったのだけれど、言葉が見つからなかった。
翌朝、私とクロードお兄様はお祖父様に連れられて劇場に来ていた。
約束していた通りハイルデンの婦人達を見るためだ。
劇場はまるでこの建物自体も芸術だというようにどこを見ても豪奢な飾りが施されている。
誰が住むでもないから目に優しいだとかそう言うことを考えず思いっきり派手にできると言うのもあるだろう。
劇場には貴族達が大勢いる。私たちと同じように流行りの歌劇を見ておくためだろう。それと、社交シーズンに入ってあちこちの貴族が集まるからツテを作るためという人もいるかもしれない。
「今日は一段と人が多い。」
鬱陶しそうにお祖父様が呟いた。普段から劇場に出入りして観劇しているお祖父様からすればこのざわめきは受け入れられるものではないらしい。
それでも座席は充分に用意されている。
貴族も身分社会だ。より見やすい席をより身分の高い人へ。その法則の通り良い席を手に入れた私たちは辺りを軽く見渡して見知った顔がいるのを確認した。
四大家の一つ、アスラーン公爵家の令嬢で、ちょっとどころではなく過激なベリメラ様。彼女はゲームの中で悪役令嬢を任される上、それが全く疑問にならない困ったお方だ。そして四大家ではないけれど歴史は古く領地も広いことから地位の高いゴルゴット侯爵家令嬢、ネア様。
これは中々の顔触れだと思いつつ、隣のクロードお兄様を伺うと、なぜか大量の汗を流して縮こまっていた。
「ちょっと、どうしたの?具合が悪いなら退室しましょうか?」
「いい!体調は問題ない。それより話しかけるな。目立たせようとするな!」
迫力はすごいのに、とんでもなく声を潜めてお兄様は返答してきた。ちょっと話しかけただけで目立たせる気なんてないのに、何を気にしているの?
しかしそれを追求する前に幕が上がる。こうなれば私語は厳禁だ。
釈然としない気持ちで舞台の方を向いた。
「どうだ?素晴らしい劇だっただろう。」
「ええ。とっても。」
歌はとても良かった。劇場丸ごと震わせるような声量に、それでいて繊細な感情表現、お祖父様のお話では演じている役者は地方出身のシンデレラガールとのことだったけれど、訛りも全く気にならなかった。
私から不評なシナリオはそのままだったけれどそれを差し引いても記憶に残る素晴らしい演技だったと思う。
懸念していたクロードお兄様も始まって仕舞えば劇に引き込まれたようで楽しんでいたみたいなので安心した。
落ち着いたところで、ひとしきりお祖父様の見解を聞くことにする。
流石、観劇が趣味なだけあって演技だけでなく舞台のセットや小道具なんかの細部までよく見ていらっしゃるわ。
主演の方のドレスに光に当たって煌めくようにジュエリーが縫われていて、それが舞台映えするように小説の描写から変えているなんて気がつかなかった。
用事も済んだことだし劇場から出ようとしたところで、出入り口あたりがざわめいているのに気づいた。
よく見ると誰も出て行こうとしない。
「何かしら。」
トラブルでもあったのだろうか。
誰かに話を聞こうかと思ったとき、馬車を連れて迎えに来てくれたキーアが教えてくれた。
どうやら、ベリメラ様とネア様の2人がどちらが先に馬車を出すかで言い争っていて、集まっている全員が出るに出られない状況なのだとか。
意外だわ。ネア様がそういうことをするイメージはなかったのだけれど。気は強くてももっと大人びた方だと思っていたのに。
まるで先生の記憶にあった源氏物語の車争いみたいだわ。
別にこの国に地位の高い者から退出するなんてルールはないのに。
2人の気が済むまで待とうかと思っていたところ、ふと視線を感じた。それもあちこちから。
好意的とも、悪意があるとも言えないよく分からない視線だ。
けれどお兄様はその意図を察したようで私に声をかけてきた。
「よし!お前の出番だ。アリシア、アイツらを止められるのはお前しかいない!」
…え?
「この中で1番身分が高いのは今当主代理を務めているアリシアだ。」
え?
2人の勘違いであって欲しかった。けれどクロードお兄様とお祖父様に追随するように周囲の貴族達が頷いている。
嘘でしょう?
確かに、この中で身分が高いのはアスラーン公爵家、ゴルゴット侯爵家、そして我がレンド伯爵系だ。
そして令嬢である彼女達に対して当主代理の私は家格が同じ位でも多少強く出られるというのはあると思う。
でもだからってハブとマングースみたいな喧嘩に放り込まないでよ!
クロードお兄様は、「おっと知り合いを見つけた!話してくる!じゃあな!」と脱兎の勢いでどこかへ逃げてしまったし、お祖父様も自分が行く必要はないと言わんばかりに知り合いと話し始めてしまった。
私の味方は後ろでじんわりと怒りを滲ませているキーアだけだ。
とはいえこの状況で放置するわけにもいかない。貴族の皆さんに期待されている以上、私の体面というものもある。
思うに、ネア様は引っ込みがつかなくなってしまっただけなのではないだろうか。
私は話したことも何回かあるし、仲は悪くない。うまく声をかければすぐに解決するはずよ。
「ごきげんよう。ネア様、ベリメラ様。お久しぶりですね。実はネア様とお話がしたいと思っていたんです、今少しお時間いただけませんか?」
完璧じゃない?ネア様は私と話すという名目で勝負を降りられるし、ベリメラ様は希望通り先に帰れる。
これで一件落着と浮かべた微笑みを深くしたのに、ネア様はこちらを認識するや否や眉を引き上げて睨んできた。
「今ベリメラ様と話しているの。見えない?私は田舎領主と話すことなんてないわ。」
「あら、可哀想。ネア様って心が狭いのね!アリシア様も惨めで面白いったらないわ!」
ピシリと、貼り付けた笑みにヒビが入る。
今、なんて?
田舎領主?上手いこと勝負から降りる体裁を整えたつもりだったのに、私、ベリメラ様よりネア様に酷いこと言われてない?
「ベリメラ様、そのドレス趣味が悪いんじゃないかしら。主演の方が真紅のドレスを着るなんて分かりきってたことじゃない。どうして同じものを着てくるのかしら。それとも原作を読んでいないの?空気が読めないアリシア様と同じで雰囲気ぶち壊しね。」
「どうしてそんなことで文句を言われなくちゃいけないの?やっぱり心が狭いのね!アリシア様のお誘いに乗って2人でグチグチ細かい批評会でもしてたら?」
おかしい。
どうして2人とも私を巻き込むの。結果的に私は2人から嫌味を言われているわ。どうして話しかけただけの私に対して1番火力が強いの?
立ち去ることもできず、言い返すこともできず、最早不安よりも娯楽扱いしている貴族達の視線に晒されている。帰りたい。切実に帰りたい。
そして背後のキーアの気迫がすごい。抑えて!相手は貴族だから!
どうにか収集をつけようと頭を回す私の耳に、カツンとなぜか冴え渡る靴音が響いた。
「一体なんの騒ぎだ。」
空気が、変わった。
肌感で分かる。
ざわめきが一瞬で収まり、視線がそちらへと誘導される。
さらりと風に梳かされる金髪。凛々しくこちらを射抜く青い瞳。
近づいてくるその人は、我が国の王太子殿下そのものだった。
「殿下?」
静まり返った劇場内にベリメラ様の声が反響した。
「あら、偶然ね!いらしていたなんてちっとも気づかなかったわ!」
嬉しそうに無邪気に話しかけるベリメラ様は、普段から王都で暮らしていると聞く。婚約者の座を狙い続ける彼女なら王城にいらっしゃる殿下に普段から会いに行っているのだろう。緊張しないのも頷ける。
「ベリメラ嬢。これは一体なんの騒ぎだ。」
「ネア様が私に張り合ってくるの!私の方が偉いのだから私が先に馬車に乗って当然でしょう?」
まるで気圧された様子のないベリメラ様を一瞥した殿下は、今度はネア様の方を向いた。
「ネア嬢、あなたからも意見を聞きたい。」
「馬車にどちらが先に乗るかという話で、言い争いになりまして…お見苦しいところをお見せしたこと、お詫び申し上げます。」
一方のネア様は殿下の登場で頭が冷えたのか、バツの悪そうな顔をした。改めて言語化するとくだらない争いだったわ。
「それで、どうしてアリシア嬢もここに?」
「ご無沙汰しております。ネア様のお時間を少しいただけないかと思って話しかけたのですが、お忙しかったようで断られてしまって。そうしたら離席のタイミングを図りかねてしまって。」
仲裁しようとしたら何故か巻き込まれた挙句晒し者になっていたのだけれど、流石に情けなさすぎるので黙っておく。
「2人とも、子供じみた争いは控えるように。」
呆れを眼差しに滲ませながら殿下は告げた。納得したように見えるネア様と違ってベリメラ様は不満気だ。
「まだ話はついていませんわ!殿下も早く私の方が偉いと言ってください!」
おっと政治的な発言。流石に王族にして次期国王となる殿下に言わせるのはよろしくないのではないかしら。
「馬車を出す順番程度で優劣なんか決まらない。そんなにこだわるなら私が馬車を出そう。2人はその後に出ればいい。2番も3番も変わらないだろう?」
多分ベリメラ様は気にするのだろうけれど、ネア様が戦意喪失しているみたいだから譲ってくれるでしょうね。
話は終わりと言わんばかりに颯爽と出て行く殿下の背中を眺めてからベリメラ様も歩き出し、ネア様は出て行くかと思いきやどこかへ行ってしまった。
開いた出口から見えるアスラーン公爵家の馬車を見て、あることを思い出す。
「キーア、実は会場でハンカチを落としてしまったの。探してきてくれない?」
「かしこまりました。」
キーアが奥へ行くのを横目に、公爵家の馬車へ視線を戻した。
乙女ゲームの記憶が曖昧な先生が、話の筋に関係がないのに覚えていたことがある。
それは、悪役令嬢ベリメラ・アスラーンの悪癖について。
馬車に乗り上がるベリメラ様は、使用人の少年を傅かせて薄い台を持たせ、足を支えさせていた。手ではなく、足を。
台を使えばいいだけなのに、わざわざ子供を連れてきて踏み台代わりにするなんて。あんな手だけ差し出すような体制で子供が支え切れるわけがない。むしろ踏み台の方が安定しているはず。
支え切れなくて手ごと踏みつけてもいいと思っているのだ。
ああ、ネア様の言う通りだわ。
「趣味の悪い…。」




