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第十四話 別れ




 翌日、馬車に乗る前に少しだけ弟の顔を見たいと思った私はテオの部屋にいた。

「はい、どうぞ。」

「ありがとう姉様!すごく上手…大事にするね。」

 約束していたティナンシーの刺繍は我ながら上手くできたと思う。

「これから3ヶ月も会えなくなるのよね…。」

 寂しい。それに心配。

 私がいない間にテオが体調を崩して苦しむようなことがあっても、私はそばにいてあげられない。知ることもできないかもしれない。

「うん。…僕も寂しい。」

 でも、テオがこんなことを言うのは珍しいわね。この子は心配させまいと弱音を隠す癖があるから。


「でも姉様はやることがあるんでしょ?」

 けれどその寂しさを隠してテオは笑った。

 やることがあるなんて言ってないのに。まあ、テオなら分かっちゃうか。

「なら行かなくちゃ。」

 一つ頷く。そうよね、テオのためにも駄々こねてる場合じゃないものね。

 行かなくちゃ。

「そうね。じゃあ━━━」

「待って!僕も見送る。」

 行ってきますと言いかけたのを、テオが遮った。

「部屋から出て大丈夫なの?」

 テオの部屋は常に適切な温度に調整され掃除も特に念入りにされている。よほど体調のいい日じゃないと歩くことも難しいと言うのもあるけれど、テオが部屋から出ないのは彼の安全のためでもある。

「大丈夫。今日は体調がいいんだ。しばらく会えないんだからギリギリまで一緒にいたいな。」


 馬車は4両編成だ。私とクロードお兄様が乗る馬車が1両と、侍従が乗る馬車が2両、キーア達侍女が乗る馬車が1両。タリオスを含む騎士達は馬に乗り道中の護衛を行う。

 馬車は権威を示す役割もあるので豪奢な飾りを施してある。私達が乗る馬車には大きく家紋が付いている。

 去年はフィオを先頭に使用人達が見送ってくれていたのだが、今回は窓越しではないテオを先頭に屋敷中の人が並んでいる。

「フィオ、不在中領地を頼みます。何かあったらすぐに知らせてね。」

「かしこまりました。お任せください。」

 フィオはいつにも増して綺麗な礼をした。彼なら任せて不安はない。

「テオ、絶対に無理はしないでね。体調に気をつけて。何かあったらすぐランドルフを呼んでね。それから━━━」

 耳にタコができるほどお馴染みの台詞も、テオは遮らずに都度頷いてくれた。それが可愛くて、愛おしくて、話し終わるや否や抱きついてしまう。

 いつも通り、温かい体温と手に当たるゴツゴツとした背中の骨。

 どれだけ言葉を交わしても不安は尽きない。けれど。

「僕のことは気にしないで。姉様は姉様で、頑張ってね。ちゃんと待ってるから。」

「うん。あなたにいい知らせを持って帰れるよう、頑張るから。」

 絶対守ってみせるから。

 まずは王都でやるべきことを果たしてくるわ。

 そうして、私はテオと別れた。


「良かったのか。」

 馬車の揺れを感じながらリリーシャ宛の刺繍をする。結局、2番目に好きだと言っていた鈴蘭の刺繍にした。

「何が?」

 斜向かいに座るお兄様に問いかける。お兄様は退屈そうに窓からの景色を眺めていた。

「テオを置いてきて、良かったのかよ。」

「だって連れてくるわけにも行かないし、社交界に行かないわけにもいかないじゃない。」

「そうだけど…いや、何でもない。あんまり退屈だったから意味のないことを呟いただけだ。気にするな。」

「そう。」

 刺繍は慣れてしまえば単純な作業のようで、その実考え事は意外とできないものだ。次の動作に意識がとられて思考が引っ張られる。

 取り止めのない話を蒸し返す余裕はなかった。

 馬車が揺れる。まだお尻は痛くない。

 快適さのためにクッションが敷いてあるけれど、やはり何時間も揺られると体のあちこちが痛むもので、正直好きな時間ではない。幸運な点といえば私が酔いづらい体質なことだ。

「ねえ。」

「なんだ。」

「お兄様って酔いやすい?」

 そう問いかけるとお兄様はフッと余裕のある笑みを浮かべた。

「俺を誰だと思ってる?社交界に赴けば毎夜馬車に乗ってあちらのパーティー、こちらのパーティーと遊び歩いた男だぞ。」

「つまり…」

 酔いづらいってことね。良かった、私も吐きそうな人との同乗は遠慮したいから。

「すこぶる酔う。」

「私の安堵を返してよ。」

 何が遊び歩いた男よ。よく考えたら貴族の屋敷間の移動なんて大した距離じゃないじゃない。

「まずい、お前に言われたことで酔い止め草噛んでないの思い出した。意識したら酔いそうだ。」

「嘘でしょ?!」

 馬車、止めて!と窓から顔を出して叫んだところ、怪訝そうな顔をした騎士が馬を急がせて御者に伝えてくれた。誤解なの、吐きそうなのは私じゃないの。

 でも、吐きそうなのは私じゃないです!と叫ぶのもどうかと思ったので飲み込まざるを得なかった。吐瀉物ではなくて言葉の方を。


「酔い止め草でございます。」

 酔い止め草、正式には別の名前があるのだけれどすっかりその別称が定着してしまったこの草は、干したものを噛むことで酔い止めになる。実は栄養もある優れた草だ。

 私もお兄様も持っていなかったからキーアに出してもらった。酔うのが分かっているならせめて携帯くらいはしておいた方がいいと思うのだけれど。

 ちなみにものすごく苦い。その苦味が酔いを誤魔化しているんじゃないかと思うほど苦くて後に残る。私も念のため、と両親に嚙まされたことがあるけれど、そのとき二度とごめんだと思った。心底酔いづらい体質で良かったと思う。

 お兄様は慣れているのか顔色一つ変えずに噛んでいる。すごい。

「よし、これで酔いはしないな。…ところでクッキーあるか?」

 きりりとした顔のままお兄様は甘味を所望した。

 呆れはしない。むしろ安心したわ。人類にあの苦味を克服できる人なんていないと分かって。


 朝ご飯を食べたから今はクッキーはいらないと言った私にキーアは何枚か包んで渡してくれた。道中口寂しくなったら、と。

 ありがたくコートの内ポケットに入れ、刺繍を再開する。

 何時間経っただろうか。刺繍も最後の糸を切った。

 気が緩んで、ふと、昨夜のことを思い出した。いや、思い出してしまった。

 跪くタリオス。そして紡がれた誓いの言葉。

 命をかけて私と領地を守ると言っていた。


 あれ、騎士の誓いって、結構大事なやつ、よね?

 誰でも彼でも騎士なら誓うというわけではない。だから私も詳しいことは知らない。

 でも、私、というか先生の記憶が正しければ、騎士の誓いというものは攻略対象がヒロインさんに対して行っていたことのはずだ。それも結構な終盤に。大事じゃないわけがないわ。

 え、それを誓ったの?

 どうしよう!

 誓わせてしまった!

 喜んでいいの?無邪気に、認められたやったーでいいの?


「お兄様。」

 困った時は人生経験豊富な人に聞くに限る。

「実はとある人から…えっと…なんていったらいいのかしら、好意を示していただいて。どうしたらいいかしら?あ、先に言うけれど告白じゃありませんから。」

「好意ぃ?」

 怪訝そうな顔をされてしまった。そうよね。屋敷の中で誰が、と言う話ではあるわ。

「貰っとけ。」

「適当なこと言わないでよ!」

「生物以外は貰っといて損はないんだよ。」

 あることもあるでしょう。ある婦人の天蓋を忘れたわけじゃないでしょうに。

 まあタリオスが好意を拗らせて何かするとは思えないけれど、それにしたって投げやりじゃない?


「タリオスのことだろ。」

 不意打ちで核心を突かれ、クッションからずり落ちかけた。慌てて体勢を整えるけれど、こちらの調子を崩したわりにお兄様は平然とした顔だ。

「知ってたのね。」

「本人が言いにきた。今後は俺じゃなくお前に着いていくってな。」

 元の主人に義理立てしたということね。

「お兄様はなんて?」

「好きにしろって言った。そもそもお前への土産だ。」

 気にしていません、と言う顔で話すわりにどこか拗ねたような気配を感じる。もう、突き放すようなこと言っておいて寂しがってるんでしょう。

「当ててあげましょうか。」

「何を。」

「お兄様、本当はタリオスのことが大事なんでしょう?だから私のところに送って安定した職場を提供したつもりだったんじゃないの?」

「んなっ!」

 図星。顔を赤らめておいて外れてるってことはないでしょう。

「妄言だな!」

「じゃあそれでいいからちゃんと考えて意見してよ。」

「へいへい。」

 まだ顔の赤みが残るけれど、さっきよりも真剣な顔でお兄様は話し出した。


「で?何が嫌なんだよ。」

「嫌なんじゃないわ。受け取っていいものか測り兼ねてるの。」

「深く考えなくていいんだよ。あいつがお前を気に入った。だからお前のために力を振いたがってる。何を気にする必要がある?」

 確かに、この期に及んでどうすればいいか、なんて逆に酷いことを言っているのかもしれない。だけど、

「分からないんだもの。」

「何が。」

「なんでそんなに気に入ってくれたの?何を求めているの?それが分からないままじゃタリオスの人生に責任が取れないわ。」

 あの短い時間で人生の指針を変えてしまっていいものか。何人分の人生を背負っても、足される人生の重さは変わらない。

 俯いた私に、お兄様が溜息をついた。それも普通の溜息じゃない。わざと音を大きくしたとしか思えない、それはそれは大きな溜息だった。


「バカ真面目。」

「え?」

「だからそんなに深く考えるなよ。タリオスに気に入られた!やったー!強い騎士が仲間になったぞ!ってお気楽に喜んどけばいいんだよ。」

 やれやれと肩をすくめられた。駄々っ子の子供を見るように。

「あいつは勝手にお前に誓ったんだ。自分の判断で。判断ミスだったらあいつのせいだろ。もう大人なんだぞ?」

「そう、ね?」

「騎士の誓いは確かに重い。けど、お前は何にも背負わなくていい。普通にしろ。普通に。それでも気にするってんなら。」

 ああ。

 その先は私でも分かった。なんだ、簡単なことだったんだわ。

「全力でできることをやるしかない。よね?」

「ああ。それ以上の結果にならなければそれまでだ。」

 うん。

 肩の力を抜いた私にお兄様は笑って言った。

「気にするな。お前や俺のように顔が整ったやつはもっともらしい理由をつけて近寄ってくるやつがウヨウヨいる。案外、タリオスもその口だったりしてな?」

 すぐ茶化す。

 まったく、たまにはかっこいいままで終わればいいのに。

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